枝道に入ってギュッと登ると四つ辻に案内石柱?
ど素人のワタシには読めませんが、何かの案内があるのでしょうか?
誰も通らなさそうなところに🚙を停めて…と思ったら山からロードバイクの人と遭遇!
あービックリした(笑)。
少し先に行くとすぐ目の前にちょっと盛り上がった杉林、
いろんな人のblogなどで見た通りの「山の神&勧請縄」です。
林の中に入らせていただきますがここは「山の神」の碑はありません。
「クラタテ」(倉が建ちます様にという呪具(ジュグ)とか)と「真新しい農耕道具」と
「奉納金?」に、そして「カギヒキ」?
「奉納 金参兆円 峯出小場」、おぉこりゃ「倉」も建ちますねぇ…
ここは地域にとって神聖なる場所=神が宿り=なんでも叶えてくれるところ、なんでしょうか?
地元の方にお会いしたわけではないので、詳しいことはわかりません、あしからず。
「菅生の勧請縄」の全体としてはこんな風に…
参考文献として、
「山の神祭りにおける木製祭具の研究」(松崎憲三氏著)より
≪奈良県山辺郡山添村菅生
男子は七日早朝大きな木綿の袋に、餅と干柿、洗米を白紙で捻り包んだオハナシ
及び山の神に捧げる農道具・山道具の木製雛型とやはり木製の刀、
それに藁数把を持って祭場に赴く。そして、カシ・クヌギ・ナラなどの4・5尺の小枝を伐りとり、
中程にホウデン(藁苞ワラヅツ)を結びつけたものを自分の家の男の数だけ作る。
これをカギと称している。カギを作り終えると先ずクラタテをし、
そして白紙の上に持参のお供物、刀,オハナシ,農道具、山道具を傍に置く。
その後でカギを神木にひっかけ「東の国の糸綿、西の国の銭米、赤牛につけて倉へどっさりこ」と
三回繰り返して引っ張る。
そうして持参の餅をトソドで焼いて真二つにし干柿を挟んで食べる。
そうしている間にも、青年・壮年の人達は太さ2・3尺、長さ4・5間もある勧請縄を
持ち寄った藁で綯う(ナウ)。それができ上がると二人の若者がY字型の木の枝(女木)と
Ⅰ字型の木の枝(男木)を持って勧請縄を中に両側に立ち、互いに重ね合わせて「わあい」と囃し
拍手をして終わる。勧請縄はその後、神木と最寄りの木にかけ渡す。≫と書かれていました。
現代ではどこまで昔のままの祭事が行われているのかわかりませんが、
このような状態で真新しい「勧請縄」や「お供え物」等々を拝見するに、
代々伝承されている「神事」なのだと思います。
これを自分たちの代で絶やすわけにはいかない大切な行事。
ここで「神事」が行われ、ここから「菅生の里」風景。
(追加)
「十二社神社」「菅生のあたごさん」「谷出・峯出地区山の神など」の位置関係。
帰りがけ見送ってくれたニャンズ3匹、わかるかな?
屋根の上はポカポカだったのかな
個人として見て回った「カンジョウナワ行事」山添版でした。
奈良県全体としてはかなり多くの「山の神及び勧請縄」行事が残っているそうです。
その中のほんの一つ二つを巡りましたが一人で行くには奥が深過ぎました。
伊賀では「川」に掛かっていることが多く、これは「木津川の水運」との関わりであったり、
水害が多いことへの祈りの神事だったかもしれないと思ったり、、、
最後は、木津川支流の布目川沿い「笠置町飛鳥路の勧請縄」へ行きます。
山添村菅生からはやっぱり「月ケ瀬」経由で帰ります。
(3/3撮影)
「月ケ瀬梅林公園」入り口辺りの寒紅梅。
梅は種類も多く、咲く時期もいろいろ。
一斉に「満開」とはなりませんので、気の向くままのお出掛けがいいかもです(笑)。
ではまた
追記(2022/3/6)
「山の神」のことで伊賀の古山地区に伺った時のこと思い出しました。
過去ログですがご覧ください→「こんなところに『山の神』(古山界外~鍛冶屋境界辺り)」
ど素人のワタシには読めませんが、何かの案内があるのでしょうか?
誰も通らなさそうなところに🚙を停めて…と思ったら山からロードバイクの人と遭遇!
あービックリした(笑)。
少し先に行くとすぐ目の前にちょっと盛り上がった杉林、
いろんな人のblogなどで見た通りの「山の神&勧請縄」です。
林の中に入らせていただきますがここは「山の神」の碑はありません。
「クラタテ」(倉が建ちます様にという呪具(ジュグ)とか)と「真新しい農耕道具」と
「奉納金?」に、そして「カギヒキ」?
「奉納 金参兆円 峯出小場」、おぉこりゃ「倉」も建ちますねぇ…
ここは地域にとって神聖なる場所=神が宿り=なんでも叶えてくれるところ、なんでしょうか?
地元の方にお会いしたわけではないので、詳しいことはわかりません、あしからず。
「菅生の勧請縄」の全体としてはこんな風に…
参考文献として、
「山の神祭りにおける木製祭具の研究」(松崎憲三氏著)より
≪奈良県山辺郡山添村菅生
男子は七日早朝大きな木綿の袋に、餅と干柿、洗米を白紙で捻り包んだオハナシ
及び山の神に捧げる農道具・山道具の木製雛型とやはり木製の刀、
それに藁数把を持って祭場に赴く。そして、カシ・クヌギ・ナラなどの4・5尺の小枝を伐りとり、
中程にホウデン(藁苞ワラヅツ)を結びつけたものを自分の家の男の数だけ作る。
これをカギと称している。カギを作り終えると先ずクラタテをし、
そして白紙の上に持参のお供物、刀,オハナシ,農道具、山道具を傍に置く。
その後でカギを神木にひっかけ「東の国の糸綿、西の国の銭米、赤牛につけて倉へどっさりこ」と
三回繰り返して引っ張る。
そうして持参の餅をトソドで焼いて真二つにし干柿を挟んで食べる。
そうしている間にも、青年・壮年の人達は太さ2・3尺、長さ4・5間もある勧請縄を
持ち寄った藁で綯う(ナウ)。それができ上がると二人の若者がY字型の木の枝(女木)と
Ⅰ字型の木の枝(男木)を持って勧請縄を中に両側に立ち、互いに重ね合わせて「わあい」と囃し
拍手をして終わる。勧請縄はその後、神木と最寄りの木にかけ渡す。≫と書かれていました。
現代ではどこまで昔のままの祭事が行われているのかわかりませんが、
このような状態で真新しい「勧請縄」や「お供え物」等々を拝見するに、
代々伝承されている「神事」なのだと思います。
これを自分たちの代で絶やすわけにはいかない大切な行事。
ここで「神事」が行われ、ここから「菅生の里」風景。
(追加)
「十二社神社」「菅生のあたごさん」「谷出・峯出地区山の神など」の位置関係。
帰りがけ見送ってくれたニャンズ3匹、わかるかな?
屋根の上はポカポカだったのかな
個人として見て回った「カンジョウナワ行事」山添版でした。
奈良県全体としてはかなり多くの「山の神及び勧請縄」行事が残っているそうです。
その中のほんの一つ二つを巡りましたが一人で行くには奥が深過ぎました。
伊賀では「川」に掛かっていることが多く、これは「木津川の水運」との関わりであったり、
水害が多いことへの祈りの神事だったかもしれないと思ったり、、、
最後は、木津川支流の布目川沿い「笠置町飛鳥路の勧請縄」へ行きます。
山添村菅生からはやっぱり「月ケ瀬」経由で帰ります。
(3/3撮影)
「月ケ瀬梅林公園」入り口辺りの寒紅梅。
梅は種類も多く、咲く時期もいろいろ。
一斉に「満開」とはなりませんので、気の向くままのお出掛けがいいかもです(笑)。
ではまた
追記(2022/3/6)
「山の神」のことで伊賀の古山地区に伺った時のこと思い出しました。
過去ログですがご覧ください→「こんなところに『山の神』(古山界外~鍛冶屋境界辺り)」
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