時間の都合上「大河原大橋」から眺めるのみの発電所だったのですが、
以前(2021年)訪れたときには知らなかった大事なこと、
今回(2023年)ココで語り部さんに教えていただきました。
大橋から正面辺りに見える「大河原発電所」(左)と
木津川(名張・月ケ瀬方面から流れてくるので「名張川」とも)を覗きます(右)。
≪大きな岩盤が見え、これは「花崗岩」で発電所の上流まで続いています。
その中に穴が開いているようにみえる「へこみ」があり、
これは「甌穴(オウケツ)」と言い、何万年という長い年月に
水の流れや小石で岩が削られてできた「穴」です。≫(当日資料より)
参考に、以前訪れた「布目川の甌穴(ポットホール)」写真&花崗岩岩盤です。
※ちなみに、伊賀市では高尾地区にある「逆柳の甌穴(サカヤナギノオウケツ)」が三重県文化財に指定されています。
ここにも「甌穴」があることの確認ができたし、
遠くからでも「発電所」は見えました、が…
せっかくなので「大河原発電所」ってどんなとこ??
以前の写真を使ってご紹介しましょう~~
blogで潜入です。(※2021/3/15訪問時の写真を使っています)
「大河原大橋」を渡り終えると上流側への進入路があります。
少し行くと大きな煉瓦造りのアンティークな建物が見えます。
建屋の裏側に行くと
いかにも「発電所」 って感じです、3枚目は取水した水を溜める「水槽」
さて、この建物は、
*20世紀初頭、欧州で流行した「アールヌーボー(芸術改革)」の影響を受けた煉瓦造り。
*内装にも石材を使用。
*大正の煉瓦造りとして建築学的にも珍重され、
「発電所本館」は昭和57年(1982)に「日本建築学会」より
『全国の近代建物2000棟』の中に選ばれている。
*平成7年(2005)には「土木学会」が
発電所・堰堤・取水口のシステム全体が当時の姿で残っていることから
『日本の近代化遺産 土木建造物』に選出されている。
歴史としては、
*大正8年(1919)10月、発電所と送電線路新設工事完了。
12月から運転開始。
*当時は京都電灯株式会社、現在は関西電力に引き継がれている。
*無人ですが、奈良の事業所からリモートコントロールだそう。
*当初3000kw(現在は3200kw)で山城や京都方面に送電。
大正末には村の大部分に電気が通う。
*「童仙房地区」への送電は昭和23年にやっと送電できた、とのこと。
右の写真2021/3/19の様子、水は流れていませんが…
2023/3/12に見た光景はまさに川から水が水路に流され、
直下にあるタービン(水車)に水を落下させ、
発電機を動かしているところ……だったのかなと。
この作業がしょっちゅうあるのか、たまに、なのかは知る由もありませんが。
※水路式水力発電とは?(関西電力HPより)
≪川の上流に小さな堤をつくって水を取り入れ、
長い水路で適当な落差が得られるところまで水を導き、
発電する方式です。発電のための水量は、川の水量に
左右されます。≫とのことです。
ここで「名張川の水を溜める仕組み(=堰堤エンテイ)」を見てみましょう~~
「大河原発電所」から上流への道を進むと弓ヶ淵という所を通ります。
その途中にこの小さな堰堤(ミニダムのようなもの)はあります。
210319 弓ヶ淵堰堤(大河原発電所)
ここを過ぎると「高山ダム」です、その先は「月ケ瀬・名張方面」へと続きます。
これを書いた本日、「高山(大)橋」を見てきました。
「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング報告のつもりが
ちょっと発電所に長居をしてしまいました💦
今回のお話では、
「建造から100余年、働き続け今なお健在。発電コストはバツグンで安上がり。
温室効果ガスも発生しない再生可能エネルギーです。」
「しかし、発電所を建設すえう場所が限られ、全国に約2300か所ほど。
建設の計画はあるものの、環境破壊、水没補償などの難問があって、
建設は進んでいません。これを機会に
『エネルギー問題』『地球環境問題』について考えていただくと
観光・見学の価値が上がるかもしれません」とのこと。
なるほど、ここまで考えてこの企画に参画され案内してくださっているのかと、
恐れ入るばかり、とても勉強にもなりました、いろいろ考えること多々。
寄り道した感じですが、次回は「春光寺」「お茶席体験」など、
おまけは「しい玉焼き食べました!」で〆たいです(笑)。
ではまた
以前(2021年)訪れたときには知らなかった大事なこと、
今回(2023年)ココで語り部さんに教えていただきました。
大橋から正面辺りに見える「大河原発電所」(左)と
木津川(名張・月ケ瀬方面から流れてくるので「名張川」とも)を覗きます(右)。
≪大きな岩盤が見え、これは「花崗岩」で発電所の上流まで続いています。
その中に穴が開いているようにみえる「へこみ」があり、
これは「甌穴(オウケツ)」と言い、何万年という長い年月に
水の流れや小石で岩が削られてできた「穴」です。≫(当日資料より)
参考に、以前訪れた「布目川の甌穴(ポットホール)」写真&花崗岩岩盤です。
※ちなみに、伊賀市では高尾地区にある「逆柳の甌穴(サカヤナギノオウケツ)」が三重県文化財に指定されています。
ここにも「甌穴」があることの確認ができたし、
遠くからでも「発電所」は見えました、が…
せっかくなので「大河原発電所」ってどんなとこ??
以前の写真を使ってご紹介しましょう~~
blogで潜入です。(※2021/3/15訪問時の写真を使っています)
「大河原大橋」を渡り終えると上流側への進入路があります。
少し行くと大きな煉瓦造りのアンティークな建物が見えます。
建屋の裏側に行くと
いかにも「発電所」 って感じです、3枚目は取水した水を溜める「水槽」
さて、この建物は、
*20世紀初頭、欧州で流行した「アールヌーボー(芸術改革)」の影響を受けた煉瓦造り。
*内装にも石材を使用。
*大正の煉瓦造りとして建築学的にも珍重され、
「発電所本館」は昭和57年(1982)に「日本建築学会」より
『全国の近代建物2000棟』の中に選ばれている。
*平成7年(2005)には「土木学会」が
発電所・堰堤・取水口のシステム全体が当時の姿で残っていることから
『日本の近代化遺産 土木建造物』に選出されている。
歴史としては、
*大正8年(1919)10月、発電所と送電線路新設工事完了。
12月から運転開始。
*当時は京都電灯株式会社、現在は関西電力に引き継がれている。
*無人ですが、奈良の事業所からリモートコントロールだそう。
*当初3000kw(現在は3200kw)で山城や京都方面に送電。
大正末には村の大部分に電気が通う。
*「童仙房地区」への送電は昭和23年にやっと送電できた、とのこと。
右の写真2021/3/19の様子、水は流れていませんが…
2023/3/12に見た光景はまさに川から水が水路に流され、
直下にあるタービン(水車)に水を落下させ、
発電機を動かしているところ……だったのかなと。
この作業がしょっちゅうあるのか、たまに、なのかは知る由もありませんが。
※水路式水力発電とは?(関西電力HPより)
≪川の上流に小さな堤をつくって水を取り入れ、
長い水路で適当な落差が得られるところまで水を導き、
発電する方式です。発電のための水量は、川の水量に
左右されます。≫とのことです。
ここで「名張川の水を溜める仕組み(=堰堤エンテイ)」を見てみましょう~~
「大河原発電所」から上流への道を進むと弓ヶ淵という所を通ります。
その途中にこの小さな堰堤(ミニダムのようなもの)はあります。
210319 弓ヶ淵堰堤(大河原発電所)
ここを過ぎると「高山ダム」です、その先は「月ケ瀬・名張方面」へと続きます。
これを書いた本日、「高山(大)橋」を見てきました。
「南山城村の歴史を巡る・感じる」ウォーキング報告のつもりが
ちょっと発電所に長居をしてしまいました💦
今回のお話では、
「建造から100余年、働き続け今なお健在。発電コストはバツグンで安上がり。
温室効果ガスも発生しない再生可能エネルギーです。」
「しかし、発電所を建設すえう場所が限られ、全国に約2300か所ほど。
建設の計画はあるものの、環境破壊、水没補償などの難問があって、
建設は進んでいません。これを機会に
『エネルギー問題』『地球環境問題』について考えていただくと
観光・見学の価値が上がるかもしれません」とのこと。
なるほど、ここまで考えてこの企画に参画され案内してくださっているのかと、
恐れ入るばかり、とても勉強にもなりました、いろいろ考えること多々。
寄り道した感じですが、次回は「春光寺」「お茶席体験」など、
おまけは「しい玉焼き食べました!」で〆たいです(笑)。
ではまた
知れば知るほどいろんな人に伝えたいなぁと…
誰にでもわかりやすく伊賀のエエとこの案内ができればいいなぁとつくづく思っています。
点を線で結べるようなルート探しも必要かなとか、
なおかつ端的で簡単でわかりやすい説明ができるようになりたいものです。
dawnさん、いつもありがとうございます。
伊賀市にも、大正時代の建造物として、上野市駅舎、桑町跨線橋、上野文化センターなど多くの魅力的なものがありますので、多くの人に知っていただいて、後世に残っていけばいいなと思います。
初めて見ました。
飛行機に乗って見てるようなものでしょうかね…
伊賀の上空はよく飛行機が飛んでます、混み合ってるようにも思えるほど、、、(話が逸れましたが)
昔からこうやって空中写真データは残っているということなんですね、扱い方はイマイチよくわかりませんが、「今と昔」を知ることは興味があります。
恋路橋も木津川橋梁、大河原大橋、高山ダム、高山橋などわかりました。見ていると面白い…
moni5187様、また教えてください。
木々は背が低くてほぼ全体が写っていました。
28災害前の文字地図は、1951/12/30(昭26) USA-M30-T-2-86を元に推測したもので、
災害前(例えば昭27頃)に改修された可能性は、全くゼロではないと思います。
その後のネット調査では、恋路橋が北側に伸びたのは大型バス一台分くらいのようです。
文字地図では今一つですので、国土地理院の空中写真をリンクします。
注意事項の画面が出た場合は(同意する)ボタンを押して、もう一度クリックです。
ほぼ中央に、完成から一年後の恋路橋が写っています。
1946/05/23(昭21) USA-M143-A-6-113
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1189730&isDetail=true
ほぼ中央に建設中の高山ダム。高山橋とその上流に一本の橋、下流に一本の橋らしき物。
関西本線は中央やや上を東西に走り、右端に島ヶ原駅、左端に木津川橋梁(大河原鉄橋)が写っています。
1967/01/26(昭42) KK669Y-C2B-10
https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=637181&isDetail=true