う~ん、ここもなくなっちゃいますか?

2022-01-14 01:14:22 | つれづれ思うまま
薄々聞いていたこととはいえ、ついに現実になる!ということですね。

名阪国は、1965年(昭和40年)12月16日に暫定2車線で開通しています。
その時、開通を記念して「名阪国道 天理・亀山間」をリレー形式で走るイベントがあったようです。
家人が丁度中学3年生の時らしく、勉強しなくていいのなら「走りたい!」と手を上げ、
しばし、格好よく走る練習?若しくは長距離に慣れる練習?に明け暮れていたそう(笑)。
因みに、家人が走ったのは「白樫~五月橋間」(約4km?)だそうです。(google計測による)

「えっ?意外と長いし、県を跨いで走ったん? しかも上り坂じゃん?」
2022年現在では、絶対に走れない経験をした人、何人いるでしょうねぇ…

この自動車専用道路は、当時の河野一郎建設大臣のもとで早期着工、早期開通の方針が検討され、
1963年(昭和38年)1月、国道25号改築工事の早期着工が建設大臣の指示により決定したそうで、
1000日間で完成させる」という目標が立てられていたことから「千日道路」と呼ばれています。(語り継がれている…)
河野大臣の「天理教の大会に間に合わせろ」というのが千日のターゲットだったのは事実のようで、
1966年(昭和41)年1月26日から天理教の「教祖80年祭」が行われていた、とWikipediaには書かれております。

そして、その年1966年9月に「名阪上野ドライブイン」はオープンしています。
半世紀以上の歴史があり、この間実に多くの車や人の往来を受け入れ、食を提供し、
お土産を売っていました。
(上野の地元民にしてみたらわざわざ伊勢まで行かなくても、
ここで「赤福」を買えたのです(笑))

ここのドライブインからたくさんの観光客の人が上野へ寄ってくれましたね。
当時、大型バスの駐車場はほとんどなく、
「上野公園」まで観光バスで送り届けて、🚌はドライブインで待機していたものです。

滞在時間の短い観光客のみなさんに、いかにもっと長く滞在してもらうか、
伊賀の美味しいものを食べてもらうか、
「秘境の地 忍者の里」ならではの体験をしてもらいたいとか、ほんといろいろ工夫してきました…
伊賀上野城下町和菓子街道」もその一つだったような、、、

そんな努力も吹っ飛ぶような寂しいドライブイン閉鎖です。


なんだか、一気に何もかもが崩れていくような、廃れていくような…
「赤福」を買いに「関ドライブイン」まで行かなあかんのかぁ…
(個人的見解でスミマセン、そんな問題っちゃうっちゅうねん

どうする、伊賀よ

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2 コメント

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残念なことですね (dawn)
2022-01-14 22:08:36
1年ぐらい前から閉店の噂は聞いていたのですが、とうとう現実になってしまいました。

赤福だけなら、道の駅いがでも売っているのでよいのですが、このドライブインの天ぷらうどんやソフトクリームが好きだったので、その代わりがないのが寂しいです。横にある中華料理の「太陽」もどうなるのでしょうねえ。

こうなった以上は、自動車専用道路インターチェンジ隣接という優位性を生かして、跡地には人が多く集まる施設を整備してほしいものです。
名阪国道の通行量はトラックを中心に昔よりはるかに増えていると思うので、そうしたドライバーが寄りたくなる施設を作れば経営が成り立つように感じるのですが、問題は誰が資金を出して運営するかですね。クラウドファンディングレベルではないのがもどかしいところです。
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コメントありがとうございます。 (kuro&hana)
2022-01-14 23:41:11
圧倒的にトラックが多い道ですよね、
開通した頃からみれば想定外かもしれません。
当初は「バス旅行」がメインでしたが、今はトラック輸送が主流ですものね。
そこを生かすシフト変更ができなかった…ということでしょうか。
この跡地の利活用次第で、伊賀市の中心市街地不活性化はいずれ来るのでは(もう来ているか)、と密かに心配はしているのですが。

dawnさんのお知恵に、だれかどこかで耳を傾けてくれたらいいのに
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