長~い「北多門櫓台」(約95m)の北西側隅に『戌亥櫓(イヌイヤグラ)』、
北東の隅に『丑寅櫓(ウシトタヤグラ)』が建っていたそうです。
これは上から見ていてもよくわからない、
「北多門櫓台」から見ると、「堀」の外に遊歩道っぽいのが見えます。
下に降りて、堀の外周を歩こうと思い「出口」を探していたら、
すぐそこに、
「丸之内本丸碑」と「津城跡」説明版
「お城公園入口」。
ここが本来のメイン入城口?
(ということは、ワタシは裏口から入城していたのか?と
まぁよくあることですけど )
要するに元々3カ所ほど「入城門」があったわけで、
現代では市民の憩いの場の「公園」ですからどこからでも見学できる…
なので、案内板などは多くなりますよね。
『東鉄門跡(ヒガシクロガネモンアト)』
南東部石垣上に「三重模擬櫓」が、昭和33年(1958)に建てられ、
ここの石垣は「算木積み」。
※「矢穴」(石を割る技法)を見ることができるそうです…
『丑寅櫓台』
隅部の石垣は最も崩れにくいとされる縦横比2.5:1の直線的な「算木積み」とのこと。
この石垣のある風景の周りには、各種公共施設や民間会社もあって
当たり前のようにここを往来しているようですが、
これはとても素晴らしい歴史遺産風景だと思います。
大事に残していただきたいなぁと…
さて、この石垣を見ながら左に曲がると、内堀と水鳥。
間近に鳥さんがいて、賑やかな様子ばかり撮ってました(笑)。
遊歩道の『北多門櫓台』説明版
『北多門櫓台』と『戌亥櫓台』
北の内堀と石垣が綺麗に見えるビューポイント
石垣の高さは約10m。
あの石垣の上からココを見ていたなぁと、
こんなに長い石垣は見たことがないので距離感に圧倒されます。
これは伊賀上野城にはないなぁ(高さでは勝つけど)、
その石垣底辺部にある水面から出ている部分は「犬走り」※。
これは、
≪高虎の前任地である愛媛県今治城(イマバリジョウ)において、
海城(ウミジロ)の欠点である軟弱な地盤を補強するために考案されたもの。
津城本丸を囲む広大な内堀(最大幅約100m)は沼地で、
「津城の犬走り」も同じく軟弱な地盤を補強するために設けられた、とのこと。
(再掲)
今では「水鳥」たちの休憩所も兼ねてますが(笑)。
内堀北西の角には「津城跡北堀碑」
「西の丸石垣と犬走り」と「西の丸玉櫓台(タマヤグラダイ)」※又は「西の丸角櫓(スミヤグラ)」とも、
そして、城内に入る「橋」。この橋で元に戻ってきた感じになりました…
※鉄砲の弾丸を収める櫓。
※この部分の「犬走り」は、石垣修理と石垣崩壊防止のため明治以降に造られた、そうです。
今度は、「橋」を渡らずにそのまま小さな堀沿いに進むと、そこは
アジサイロードと花菖蒲かな?
前にそびえるのは「NTT塔」、そして「高山神社」入口2ヶ所。
そのまま、本丸公園の中へ入っていきます…
そのすぐ入り口辺りに
「大天守台」※①とその「算木積み石垣」※②
※①織田信包(ノブカネ)創建の大天守台を藤堂高虎が改修したもの。
入口の切り裂きの奥には大天守の穴蔵があり、
手前右側の石垣の崩れは、天守台取付多門櫓台(テンシュダイトリツケタモンヤグラダイ)を取り払った跡、とのこと。
※②隅部をまっすぐに積むきれいな算木積みで、寛文期改修のもの。
「大天守台」の大きさは、南北16m、東西14m。
「大天守台」の隣辺りには、
「埋門(ウズミモン)」
※津城が火災に遭った時に本丸よりの脱出口として
寛永16年(1639)に造られたそうです。
本丸内から撮ったので見にくいのですが、表から撮ると
※東側は「野面積み」、西側は「打込みはぎ」、両隅部は「算木積み」です。
これは次回来た時の宿題にします(もう一度じっくり見たいと思っています)
夕刻近くになって暗くなる前に津城を発たないと…最後に公園内をぐるり一周。
「藤堂高虎像」、再び「NTT塔」と「メタセコイヤ」落葉中(笑)。
じっくり見せてもらいましたが、初めての場所、勉強不足もあって
全てを見学できたわけではないので、またチャンスがあれば今度こそしっかりと、
名残惜しくはありましたが、「津城跡の石垣」は本当に素晴らしいと思いました。
行ってよかった
「ご城印」と「城郭巡りスタンプ」は「アスト津」の「観光協会」で。
観光協会で頂いたパンフレット「津城跡 石垣めぐりマップ」
そして、
「津城復元図」
参考資料(津市HPよりリンク)
「津城の大改修」
「藤堂高虎略年譜」
見たままの事しか書けていないので、上記資料を参考にしてください。
「城郭巡り/津城編」は終了。
いよいよラスト1日、過ぎれば正月だぁ、ではまた
北東の隅に『丑寅櫓(ウシトタヤグラ)』が建っていたそうです。
これは上から見ていてもよくわからない、
「北多門櫓台」から見ると、「堀」の外に遊歩道っぽいのが見えます。
下に降りて、堀の外周を歩こうと思い「出口」を探していたら、
すぐそこに、
「丸之内本丸碑」と「津城跡」説明版
「お城公園入口」。
ここが本来のメイン入城口?
(ということは、ワタシは裏口から入城していたのか?と
まぁよくあることですけど )
要するに元々3カ所ほど「入城門」があったわけで、
現代では市民の憩いの場の「公園」ですからどこからでも見学できる…
なので、案内板などは多くなりますよね。
『東鉄門跡(ヒガシクロガネモンアト)』
南東部石垣上に「三重模擬櫓」が、昭和33年(1958)に建てられ、
ここの石垣は「算木積み」。
※「矢穴」(石を割る技法)を見ることができるそうです…
『丑寅櫓台』
隅部の石垣は最も崩れにくいとされる縦横比2.5:1の直線的な「算木積み」とのこと。
この石垣のある風景の周りには、各種公共施設や民間会社もあって
当たり前のようにここを往来しているようですが、
これはとても素晴らしい歴史遺産風景だと思います。
大事に残していただきたいなぁと…
さて、この石垣を見ながら左に曲がると、内堀と水鳥。
間近に鳥さんがいて、賑やかな様子ばかり撮ってました(笑)。
遊歩道の『北多門櫓台』説明版
『北多門櫓台』と『戌亥櫓台』
北の内堀と石垣が綺麗に見えるビューポイント
石垣の高さは約10m。
あの石垣の上からココを見ていたなぁと、
こんなに長い石垣は見たことがないので距離感に圧倒されます。
これは伊賀上野城にはないなぁ(高さでは勝つけど)、
その石垣底辺部にある水面から出ている部分は「犬走り」※。
これは、
≪高虎の前任地である愛媛県今治城(イマバリジョウ)において、
海城(ウミジロ)の欠点である軟弱な地盤を補強するために考案されたもの。
津城本丸を囲む広大な内堀(最大幅約100m)は沼地で、
「津城の犬走り」も同じく軟弱な地盤を補強するために設けられた、とのこと。
(再掲)
今では「水鳥」たちの休憩所も兼ねてますが(笑)。
内堀北西の角には「津城跡北堀碑」
「西の丸石垣と犬走り」と「西の丸玉櫓台(タマヤグラダイ)」※又は「西の丸角櫓(スミヤグラ)」とも、
そして、城内に入る「橋」。この橋で元に戻ってきた感じになりました…
※鉄砲の弾丸を収める櫓。
※この部分の「犬走り」は、石垣修理と石垣崩壊防止のため明治以降に造られた、そうです。
今度は、「橋」を渡らずにそのまま小さな堀沿いに進むと、そこは
アジサイロードと花菖蒲かな?
前にそびえるのは「NTT塔」、そして「高山神社」入口2ヶ所。
そのまま、本丸公園の中へ入っていきます…
そのすぐ入り口辺りに
「大天守台」※①とその「算木積み石垣」※②
※①織田信包(ノブカネ)創建の大天守台を藤堂高虎が改修したもの。
入口の切り裂きの奥には大天守の穴蔵があり、
手前右側の石垣の崩れは、天守台取付多門櫓台(テンシュダイトリツケタモンヤグラダイ)を取り払った跡、とのこと。
※②隅部をまっすぐに積むきれいな算木積みで、寛文期改修のもの。
「大天守台」の大きさは、南北16m、東西14m。
「大天守台」の隣辺りには、
「埋門(ウズミモン)」
※津城が火災に遭った時に本丸よりの脱出口として
寛永16年(1639)に造られたそうです。
本丸内から撮ったので見にくいのですが、表から撮ると
※東側は「野面積み」、西側は「打込みはぎ」、両隅部は「算木積み」です。
これは次回来た時の宿題にします(もう一度じっくり見たいと思っています)
夕刻近くになって暗くなる前に津城を発たないと…最後に公園内をぐるり一周。
「藤堂高虎像」、再び「NTT塔」と「メタセコイヤ」落葉中(笑)。
じっくり見せてもらいましたが、初めての場所、勉強不足もあって
全てを見学できたわけではないので、またチャンスがあれば今度こそしっかりと、
名残惜しくはありましたが、「津城跡の石垣」は本当に素晴らしいと思いました。
行ってよかった
「ご城印」と「城郭巡りスタンプ」は「アスト津」の「観光協会」で。
観光協会で頂いたパンフレット「津城跡 石垣めぐりマップ」
そして、
「津城復元図」
参考資料(津市HPよりリンク)
「津城の大改修」
「藤堂高虎略年譜」
見たままの事しか書けていないので、上記資料を参考にしてください。
「城郭巡り/津城編」は終了。
いよいよラスト1日、過ぎれば正月だぁ、ではまた
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