ティムール・ベトマンベトフ監督、ベンジャミン・ウォーカー主演、『リンカーン 秘密の書』、11/3、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2012年42本目。
怖いか、怖くないかは別にして、ゾンビってシステムとして成り立たないと思うんです。
映画によって、走ったり、走らなかったりといった微妙な差異はあるものの、ゾンビに噛まれたものはゾンビになるという決まりはだいたい共通していますよね。
で、ゾンビっていうのはたいがい恐ろしく凶暴で、人間を襲ったら最後、肉片を一片も残さずムシャムシャとかぶりつくイメージがあります。まぁ軽く甘噛みで済ませるゾンビはいないですよね。
ここで疑問が生じます。
ゾンビの怖さって、集団で襲ってくる怖さだと思うんですよね。ぶっちゃけ、ゾンビ単体はそれほど怖くない。うじゃらうじゃらと数え切れないぐらい大量のゾンビが襲ってくるから怖い。
しかし、、、ゾンビが数え切れないぐらい大量に増える、というのが想像できないんですよね。
だって、一片の肉片も残らないぐらいに食べられてしまっては、襲われた人間はゾンビになりようがないですから。
だから、ゾンビが増えるためには、ゾンビが人間を襲う際、襲われた人間がきちんとゾンビ化し、次の人間を襲えるように、ある程度手加減をする必要があるはずなんです。
しかしそうなると、手加減が出来るような知能がゾンビにあるのか、ってことになります。
そんなことを考えるとゾンビはシステム的に成り立たないよなぁと思うのです。
同じようなことはヴァンパイアにも言えて、ヴァンパイアってシステムとして成り立たないよなぁと思うのです。
自分に言わせるとほとんどのヴァンパイア映画において、その考証が甘いんですよ。
わかりやすく言うと、吸血行為によって仲間を増やせるのであれば、ヴァンパイアはなぜ仲間を増やすことに不熱心なのか?
何かしら仲間を増やせない理由があるなら、きちんとその理由を作中で説明するべきなんですよ(自分がこれまで見たヴァンパイア映画の中でそれについて語られるのは『デイブレイカー』ぐらいかなぁ)。
その説明がないヴァンパイア映画は手抜きとしか言いようがないと思います。
そして『リンカーン 秘密の書』もまた思いっきり手抜きのヴァンパイア映画でした。
本作はアメリカ歴代大統領の中で最も人気があるアブラハム・リンカーンが実はヴァンパイア・ハンターだった!という映画です。
その思いつき自体は決して悪くないと思うのですが、ヴァンパイアの設定が思いっきりテキトー。
まず感心しないのが、ヴァンパイアに襲われた人間がヴァンパイア化するのか、しない(つまり死ぬ)のかが、基準がはっきりしないことですね。
リンカーンの母親は彼が幼少のころにヴァンパイアに襲われます。
自分はてっきり母親がヴァンパイアとなってリンカーンを襲い、そのことがトラウマになって彼ののちの人生に影響を及ぼす、みたいな展開になるのかと思ったら、母親は翌日息を引き取るんです。
あれ?と思いましたよ。
そっか、この映画の中ではヴァンパイアに襲われてもヴァンパイアにならないんだ、と思ったのですが、そういうわけでもなく、ヴァンパイア化してしまう奴もいるんです。
ほんとテキトーだなぁと思いましたよ。
テキトーなのはそこだけじゃなくて、映画の中でかなりの数のヴァンパイアがいるんですよね。
それに対してヴァンパイアを葬れるヴァンパイア・ハンターは実質リンカーンのみ。
勝てるわけないですよね(まぁ勝っちゃうんですが。笑。)。
本作で理解できないのはヴァンパイア関係の設定だけでなくて、リンカーンの妻であるメアリーがなぜリンカーンに惚れたのかも、さっぱりわかりませんでした。
仮にも上流階級の出であるなら、メアリーがリンカーンを両親に紹介するシーンは必須だと思いますけどね(ありましたっけ?)。
設定やストーリーが破綻していても、アクションに満足できるものがあればそれでよかったんですけど、本作にはそれすらなかったですね(3Dで観なかったから?)。
ベトマンベトフ監督の前作『ウォンテッド』のアクションには燃えたんだけどな…。
本作は製作にティム・バートンの名があるのですが、何だか、バートン関連作=駄作みたいな認識が自分の中で生まれつつあります。
十二月公開の『フランケンウィニー』がハズレだったら、バートン関連作を見るのは止めようかと思います。
気に入り度は★☆、お薦め度は★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
怖いか、怖くないかは別にして、ゾンビってシステムとして成り立たないと思うんです。
映画によって、走ったり、走らなかったりといった微妙な差異はあるものの、ゾンビに噛まれたものはゾンビになるという決まりはだいたい共通していますよね。
で、ゾンビっていうのはたいがい恐ろしく凶暴で、人間を襲ったら最後、肉片を一片も残さずムシャムシャとかぶりつくイメージがあります。まぁ軽く甘噛みで済ませるゾンビはいないですよね。
ここで疑問が生じます。
ゾンビの怖さって、集団で襲ってくる怖さだと思うんですよね。ぶっちゃけ、ゾンビ単体はそれほど怖くない。うじゃらうじゃらと数え切れないぐらい大量のゾンビが襲ってくるから怖い。
しかし、、、ゾンビが数え切れないぐらい大量に増える、というのが想像できないんですよね。
だって、一片の肉片も残らないぐらいに食べられてしまっては、襲われた人間はゾンビになりようがないですから。
だから、ゾンビが増えるためには、ゾンビが人間を襲う際、襲われた人間がきちんとゾンビ化し、次の人間を襲えるように、ある程度手加減をする必要があるはずなんです。
しかしそうなると、手加減が出来るような知能がゾンビにあるのか、ってことになります。
そんなことを考えるとゾンビはシステム的に成り立たないよなぁと思うのです。
同じようなことはヴァンパイアにも言えて、ヴァンパイアってシステムとして成り立たないよなぁと思うのです。
自分に言わせるとほとんどのヴァンパイア映画において、その考証が甘いんですよ。
わかりやすく言うと、吸血行為によって仲間を増やせるのであれば、ヴァンパイアはなぜ仲間を増やすことに不熱心なのか?
何かしら仲間を増やせない理由があるなら、きちんとその理由を作中で説明するべきなんですよ(自分がこれまで見たヴァンパイア映画の中でそれについて語られるのは『デイブレイカー』ぐらいかなぁ)。
その説明がないヴァンパイア映画は手抜きとしか言いようがないと思います。
そして『リンカーン 秘密の書』もまた思いっきり手抜きのヴァンパイア映画でした。
本作はアメリカ歴代大統領の中で最も人気があるアブラハム・リンカーンが実はヴァンパイア・ハンターだった!という映画です。
その思いつき自体は決して悪くないと思うのですが、ヴァンパイアの設定が思いっきりテキトー。
まず感心しないのが、ヴァンパイアに襲われた人間がヴァンパイア化するのか、しない(つまり死ぬ)のかが、基準がはっきりしないことですね。
リンカーンの母親は彼が幼少のころにヴァンパイアに襲われます。
自分はてっきり母親がヴァンパイアとなってリンカーンを襲い、そのことがトラウマになって彼ののちの人生に影響を及ぼす、みたいな展開になるのかと思ったら、母親は翌日息を引き取るんです。
あれ?と思いましたよ。
そっか、この映画の中ではヴァンパイアに襲われてもヴァンパイアにならないんだ、と思ったのですが、そういうわけでもなく、ヴァンパイア化してしまう奴もいるんです。
ほんとテキトーだなぁと思いましたよ。
テキトーなのはそこだけじゃなくて、映画の中でかなりの数のヴァンパイアがいるんですよね。
それに対してヴァンパイアを葬れるヴァンパイア・ハンターは実質リンカーンのみ。
勝てるわけないですよね(まぁ勝っちゃうんですが。笑。)。
本作で理解できないのはヴァンパイア関係の設定だけでなくて、リンカーンの妻であるメアリーがなぜリンカーンに惚れたのかも、さっぱりわかりませんでした。
仮にも上流階級の出であるなら、メアリーがリンカーンを両親に紹介するシーンは必須だと思いますけどね(ありましたっけ?)。
設定やストーリーが破綻していても、アクションに満足できるものがあればそれでよかったんですけど、本作にはそれすらなかったですね(3Dで観なかったから?)。
ベトマンベトフ監督の前作『ウォンテッド』のアクションには燃えたんだけどな…。
本作は製作にティム・バートンの名があるのですが、何だか、バートン関連作=駄作みたいな認識が自分の中で生まれつつあります。
十二月公開の『フランケンウィニー』がハズレだったら、バートン関連作を見るのは止めようかと思います。
気に入り度は★☆、お薦め度は★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。