今日は、冷え込んだ。寒気が入っている。マイチャリ通勤の小生にとっては、辛い時期の到来である。しかし、その逆境にめげずに、チャリをこいでいきたい。
昼休みは、マイチャリで街中を放浪した。水曜日は、定休日のお店が多い。メインストリートもシャッターが閉まっている。ふと思った。水曜日は、ビジネスチャンスだ。ただし、掘り出し物は用意しておかなければならない。
帰りは、ほぼ定時に終われたので、夕方の街中をマイチャリで散策。とりあえず、駅前までいった。当然、酒屋も覗いた。酒屋には、琉球泡盛、石垣島の「請福」がおいてあった。「請福」は、「請福ファンシー」という銘柄で、花粉症が予防できるという。開発には、市内のクレハ(クレラップを作っているところ)が関わっているらしい。この瓶は違うと思うが。
まだ、「千鶴」が残っているので、今日も、「千鶴」で1杯。
ちびちびやりながら、ネットを見ていると、YouTubeで発見した。
前にブログで書き込んだ、レナード・バーンスタインの1989年のベートーベン第9(「Freude」を「Freiheit」と代えて歌っているやつ)。動画で見るのは初めてである。このときのバーンスタインは、もう晩年、でも、気迫が伝わってくる。
バーンスタイン ベートーベン第9 その1(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その2(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その3(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その4(1989)
YouTubeで若かりし頃のバーンスタインの第9も見つけた。見比べてみてほしい。
バーンスタイン ベートーベン第9 若かりし頃のバーンスタイン
89年12月のライブから、1年経たずに、バーンスタインはこの世を去った。記憶に残っているのだが、90年10月の上旬、ちょうど高速道路のサービスエリアで休憩していたら、バーンスタイン引退のニュースが流れていた。それから数日後、逝去の報道である。信じられない、というのが素直な気持ちであった。
毎年、夏に札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)が開催されている。第1回目は90年6月。若手音楽家向けの教育が目的だったと思う。最初は、北京で開催されるはずだったが、天安門事件の影響で、札幌で開催されることになったと記憶している。バーンスタインが札幌市民会館で指揮したシューマンのシンフォニー、TVでも放映されたが、ものすごい迫力であった。それから数ヶ月、バーンスタインは旅だった。
バーンスタインが、クラシック音楽を広めようとしていた事業で、確か、カーネギーホールで収録した「ヤング・ピープルズ・コンサート」。DVDも販売されているが、印象に残っているのが、舞台裏のスタッフを、「みんな出てこい」と呼び出したところ、客席の人数を同じくらいだったこと。演奏会を作り込むためには、それだけスタッフが必要であることを見せつけられた。
YouTubeを覗くと、おもしろい映像を発見できる。先週あたりは、カルロス・クライバーの演奏会を発見した。
YouTubeにはまりそうだ。
昼休みは、マイチャリで街中を放浪した。水曜日は、定休日のお店が多い。メインストリートもシャッターが閉まっている。ふと思った。水曜日は、ビジネスチャンスだ。ただし、掘り出し物は用意しておかなければならない。
帰りは、ほぼ定時に終われたので、夕方の街中をマイチャリで散策。とりあえず、駅前までいった。当然、酒屋も覗いた。酒屋には、琉球泡盛、石垣島の「請福」がおいてあった。「請福」は、「請福ファンシー」という銘柄で、花粉症が予防できるという。開発には、市内のクレハ(クレラップを作っているところ)が関わっているらしい。この瓶は違うと思うが。
まだ、「千鶴」が残っているので、今日も、「千鶴」で1杯。
ちびちびやりながら、ネットを見ていると、YouTubeで発見した。
前にブログで書き込んだ、レナード・バーンスタインの1989年のベートーベン第9(「Freude」を「Freiheit」と代えて歌っているやつ)。動画で見るのは初めてである。このときのバーンスタインは、もう晩年、でも、気迫が伝わってくる。
バーンスタイン ベートーベン第9 その1(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その2(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その3(1989)
バーンスタイン ベートーベン第9 その4(1989)
YouTubeで若かりし頃のバーンスタインの第9も見つけた。見比べてみてほしい。
バーンスタイン ベートーベン第9 若かりし頃のバーンスタイン
89年12月のライブから、1年経たずに、バーンスタインはこの世を去った。記憶に残っているのだが、90年10月の上旬、ちょうど高速道路のサービスエリアで休憩していたら、バーンスタイン引退のニュースが流れていた。それから数日後、逝去の報道である。信じられない、というのが素直な気持ちであった。
毎年、夏に札幌でパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)が開催されている。第1回目は90年6月。若手音楽家向けの教育が目的だったと思う。最初は、北京で開催されるはずだったが、天安門事件の影響で、札幌で開催されることになったと記憶している。バーンスタインが札幌市民会館で指揮したシューマンのシンフォニー、TVでも放映されたが、ものすごい迫力であった。それから数ヶ月、バーンスタインは旅だった。
バーンスタインが、クラシック音楽を広めようとしていた事業で、確か、カーネギーホールで収録した「ヤング・ピープルズ・コンサート」。DVDも販売されているが、印象に残っているのが、舞台裏のスタッフを、「みんな出てこい」と呼び出したところ、客席の人数を同じくらいだったこと。演奏会を作り込むためには、それだけスタッフが必要であることを見せつけられた。
YouTubeを覗くと、おもしろい映像を発見できる。先週あたりは、カルロス・クライバーの演奏会を発見した。
YouTubeにはまりそうだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます