おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

失われた鉄道を求めて(宮脇俊三著)

2016-05-31 20:23:56 | 雑感
 宮脇俊三の鉄道関係著書、「失われた鉄道を求めて」

  
   


 失われた鉄道、すなわち、廃線の憂き目にあった地方の中小私鉄を巡る旅、その紀行文である。内田百のヒマラヤ山系君のごとく、この本のために、編集者の加藤保栄氏が同行している。加藤氏は、後に歴史作家・中村彰彦、巻末でこの本の解説をしている。

 廃線の多くの軌間は762ミリ、いわゆる、軽便鉄道である。

 廃線となった線路跡について、こう述べている。「『廃線跡』はいいものである。レール、枕木、砂利は使いみちがあるので撤去されるが、路盤、切通し、橋脚、トンネルなどは放置され、草むしている。トンネル入口の煉瓦に蒸気機関車の煤煙が黒くこびりついていたりする。・・・ここに佇むと、思い入れが作用して、いまにもポッポッと汽車が現れそうな気分になることもある。」

 そして、廃線跡を訪ねているうちに、「鉄道というものは直線はもとよりカーブにしても流れるような連続の線を描いていて、道路のように突然直角に曲がったりしない。跡をたどりやすいのである。」と、おおよその見当を付けながら軌道の跡を歩いた。廃線となった後、路線バスが走っているケースも多い。

 第1話は、「沖縄県営鉄道」である。都道府県で鉄道が無いのは沖縄県のみ(ただし、モノレールは走っているが)。大正時代に6本の鉄道があった。「消え去った順」に列挙しているが、「昭和8年廃止」、「昭和10年休止」、「戦争末期に消滅」。読んでいて、『消滅』という言葉に目が集中した。類推するに、時は戦争末期、「消滅」という言葉が沖縄県の、沖縄県民の意図するところなく、この世から消え去ってしまったのだろう。

 福島県内の廃線となった軽便鉄道も掲載されている。「日本硫黄沼尻鉄道」、磐越西線・川桁駅から中ノ沢温泉の沼尻まで走っていた。この鉄道の存在は承知していたが、実際どの様なルートなのか、本書、グーグルマップ、そしてウィキペディアで確認しながら読み更けた。


 我が家の脇にも、旧古河炭鉱の引き込み線跡がある。煉瓦のトンネル(立ち入り禁止)や橋台、未だに残っている。小生が現在地に引っ越してきたときには、枕木、犬釘などが残っていたし、トンネルも自由に通行できた。機会があれば、写真を添えて紹介したい。
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呑兵衛たちの月9 その292

2016-05-30 20:36:40 | 
 土日、良い天気ではあったが、午前中はお仕事。午後からは、家のお仕事にいそしんだ。ブドウは間もなく満開になりそうなので、「ジベレリン」でホルモン処理してみた。種なし・大粒になることを期待してのことである。ただ、はじめて、しかも、農業を熟知していない素人の仕事なので、どうなることやら。出来具合によっては、ブドウの粒をちょっと潰して、楽しんでみたい。


 ということで、ありったけの小銭かき集め、今日もこんなに呑んじゃった。呑兵衛たちの月9、類氏は今日も旨そうに呑んでいる。


 今日は、東京メトロ丸ノ内線・四谷三丁目。路地を一歩はいると、住宅街となっている。その中で、「於岩稲荷 田宮神社」、言わずとしれた、四谷怪談・お岩さんを祀る神社である。演じた歌舞伎役者の名前が刻まれている。お岩さんは実在の人物、しっかりとお参り。少し歩くと「於岩稲荷 陽運寺」へ。縁結びの寺で、実在のお岩さんは優しい人物、怪談話は脚色されているようだ。

 暗がりになり、ディープな路地へ。この一画は「荒木町」、名前からして呑兵衛の臭いがする。
 「山小屋 羅無櫓(らむろ)」、ネパール語で綺麗、素敵といった意味。焼酎と山を愛する主人が営んでいる。類氏はカウンターに座し、先ずはお勧め焼酎「萬膳 1合2勺」1,000円をいただく。このお店、焼酎を前もって高尾山の伏流水で割っておいて、それをぬる燗(42℃から46℃)でいただく。この温度管理は徹底しているとのこと。「お通し」1,000円は3品、本日は、ところてん、蓮根のきんぴら、青菜のおひたし。魚は「にしんの煮付け」700円、味付けはバッチリである。続いてのお酒は奄美の焼酎「龍宮」1,000円をロックで。ガツンと来る味である。

 店内には、冒険家・植村直己の写真。大学は、ここの主人の1年後輩とのこと。そして、カウンターには山ガール。

 お酒が無くなってしまい、「黒甘露 1合2勺」900円、肴は「福岡産 馬刺し」1,500円。馬刺しはルイベ状、サシが入っている。

 〆は「五島うどん」800円、打ち粉のかわりに使っているのは椿油、つるつるでのどごし最高とのこと。ガッツホーズでしめる。

 金曜日に、東日本大震災後に苦労をともにした仲間と酒宴。いつものように、日本酒を差し入れた。そんなわけで、在庫も底をつきそうなので、土曜日あたり、調達しなければならない。市外の酒屋まで、ちょっと行ってみよう。
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鉄道旅行のたのしみ(宮脇俊三著) その2(駅は見ている編)

2016-05-25 21:38:42 | 雑感
 つづいては、「駅は見ている」


  


 取り上げられている駅は、名古屋、新宿、天王寺、高松などなど。いわゆる「ターミナル」となっているところ。そして、「頭端式」という駅である。

 著者は駅についてこう述べている。「駅は人生の舞台なんだな、とも思う。そして、駅が、ゆき交う人の人生とながれいく時代を見つめているように感じるときもある。それは「駅」が文字どおり、馬の乗り継ぎ場所として定められた古代律令制の時代からかわらないのではないか。」「私たちは駅を利用する。駅はものいわぬ舞台となりつつ私たちを見ている。その駅を私は見たいと思う。見るか見られるか、どうなるか、そんなルポになるだろう。」
 これから、様々な駅を「見る」意気込みを感じる。

 そして、駅とまちとの関係について、「町があれば駅が設けられる。町が大きければ駅の規模も大きくなる。これが駅と町との関係の一般だろうけど、そうでない場合もある。たとえば、東海道本線の米原、鹿児島本線の鳥栖等々で、駅はひじょうに大きいが町は小さい。米原などは町の体をなしていない。これらは町があって駅ができたのではなく、鉄道網の結節点としてまず駅や操車場が設けられ、付近に鉄道関係者の住居や詰め所が建ち、ついで周辺に商店が集まってくるという順序で形成されたもので、城下町や社寺の門前町に似ている。『駅の町』である。」。確かに、米原は、「のぞみ」こそ通過するものの、「ひかり」は停車し、北陸方面へと乗客を誘っている。ただし、米原駅でトランジットするのであって、埒外に出ることはないと思われる。

 そんな思いをしながら読み進める。

 新宿駅では、「乗客vs駅員」という切り口で「駅を見ている」。当時は当然自動改札ではなかったので、改札係が切符にはさみを入れる。「一人の改札係が一日にパンチを入れる回数はじつに三万回に達するという。」、確かに、自動改札の前は改札に人がおり、はさみで「カチカチ」とリズムをとりながらパンチしていた。その理路整然とした音色が懐かしい。

 筑豊地方の石炭輸送の要となったのが、筑豊本線・直方駅。角炭坑から集められた石炭を北九州方面に送る。ここを起点に、タクシーで炭坑跡を巡る著者。「無人化して荒れるにまかせた炭鉱住宅、がらんどうになったまま聳える巨大な選炭装置、池に変じた露天掘りの跡。それらが夕暮れのボタ山を背景にして、荒涼と静まりかえっていた。季節は春なのに、そこだけは晩秋の夕暮れのようであった。」寂れていく炭鉱の様子を、季節と時間に例えている。炭鉱街にはこれから冬(の時代)が来るという暗示なのだろうか。

 鉄道の分岐点、著者は「人」に例えている。「鉄道の分岐点の配線は『人』の字の形になっている。駅は原則として胴体の部分に設けられる。したがって、頭←→左足、頭←→右足の列車は直進できるが、左足←→右足の列車はスイッチバックの不便を余儀なくされる。中央本線・塩尻駅である。中央本線は、新宿と名古屋を結ぶ路線。以前の塩尻駅は、「新宿←→名古屋、新宿←→松本の列車は直進、名古屋←→松本はスイッチバックとなっていた。」、ということは、現在の塩尻駅は、移転後の状態であることが分かる。千葉駅も、以前は現在の東千葉駅が「千葉駅」であった。同じように、現在の場所に移転している。

 連絡線の駅が2駅、高松と青森。それぞれ、宇高連絡線、青函連絡船のターミナルであった。いずれも、瀬戸大橋や青函トンネルの完成で、船は、その役目を終えた。著者が取材したときは、まだ運航されていた。本州と四国を結ぶ国鉄の二つの連絡船が廃止されたことにより、「最長片道切符」は四国を経由することが出来なくなった。

 奥羽本線・新庄駅。新庄市の市民歌の一節には、「伸びる鉄路のわが郷土」と、鉄道のまちを強調したものとなっている。以前、出張で新庄駅で途中下車した。山形新幹線を利用しての出張である。陸羽西線の乗り継ぎまで時間があったので、駅周辺を散策したが、歴史的・文化的な背景を理解していなかったことから、寂しげな街並みを、ただ、歩いた記憶がある。

 最近、鉄道で旅をして、駅からまちに出たときに、どこに出もある画一的な看板や同じような建物がおおい。まちの個性が感じられない。汽車の到着のアナウンスも、以前は肉声、情緒を感じた。駅=まちの顔、どうやって個性を出していくかが、創生の鍵かもしれない。
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鉄道旅行のたのしみ(宮脇俊三著) その1(鉄道旅行のたのしみ編)

2016-05-24 21:13:17 | 雑感
 この本は「鉄道旅行のたのしみ」と「駅は見ている」の2編で構成されている。元々は、別冊の文庫本だったそうだ。

  
  


 いつものように、パソコンを起動させ、グーグルマップとウィキペディアで検索しながらの黙読である。

 まずは、「鉄道旅行のたのしみ」
 東海道、関東、近畿云々と全国各地の国鉄に加え、東日本・西日本の私鉄にまで手を出している。各編の冒頭や文末に鉄道に関する思いが述べられている。
 東海道の巻、東海道といえば、新幹線である。著者は「新幹線によって、どれほど東海道の旅が味気なくされたことか。」、しかし、「新幹線の責任ではない。問題は、どう乗るかにある。東海道といえば新幹線、というふうに発送が短絡しては負けである。」と。新幹線乗車の必要性や楽しみ方を著者なりに論じている。東海道本線から枝線についても記載がある。これは、「時刻表2万キロ」で訪れたところであろう。この項末に「私は、汽車旅の再興のたのしみは居眠りにあるのではないか、と本気で思っている。・・・目が覚めると汽車が走っている。そこがなんともいえない。」
 関東の巻は「遠くへ行くばかりが旅ではない。『旅』は身近なところにあるものだということを、私なりに示してみたい。」。いわゆる「本線」については、東京を出てから、都会的なものと自然との境目で、急に旅心地が沸いてくる瞬間についての記述がある。「本線」から外れると、「鄙びた地方」に接することができる。木原線は、大原から上総中山まで、現在は、第3セクター「いすみ鉄道」となっている。そして、著者が東京にいて面白いと思うこと、各方面からやって来る列車が見られることである。
 近畿の巻では、冒頭「鉄道の旅は全国一律、どこへいっても同じかというと、そうではない。どの線区に乗っても、共通点のほうが多いコトは確かであるけれど、やはり違いがある。」と、その例えを「モーツアルトの音楽」に似ているとしている。
 北陸・山陰の巻では、山陰本線の行が面白い。「山陰の海岸は岩とマツが美しく、水もきれいだ。工場が少なく、かわりに艶やかな瓦屋根の民家や漁村がある。この線に乗って汽車旅のたのしさを感じない人がいたら不干渉で、とても、ともに語る気がしない」というほど、良い景色のようである。これが書かれてから数十年、今は、どの様な景色になっているのだろうか。
 東北の巻、冒頭で「汽車に乗りたくなると、上野駅へ足が向く。」「上野駅の場合は、二時間も乗れば旅心地がしてくる。行き先も多彩で、東北、常磐、奥羽、上越、信越と、よりどりみどりである。」「残された民族のふるさと、それがみちのくには色濃く残っている。」「上野駅独自の雰囲気は低いほうのホームにある。」「上野駅の低いほうのホームはみちのくの一部なのであって、これほど体臭を発散させる駅は少ない。」と、上野駅に対する著者の思いが伝わってくる。
 北海道の巻、「北海道への旅は青函連絡船からはじまる、あるいは、はじまるべきだと私は信じている。」といいつつも、飛行機の時代は否定できない。北海道は、夏の風景と冬の風景が全く異なり、それぞれを堪能することも旅の醍醐味である。
 東日本の私鉄の巻、「好ききらいでいえば、むしろ私鉄のほうが好きだ。」例えば、接客態度。「感じの悪いほうから順に、①国鉄の幹線、②大手私鉄、③国鉄のローカル線、④ローカル中小私鉄、となる。・・・時刻表でのおもしろさの順と同じで、感じの悪いほど時刻表がおもしろいというかたちになっている。」こえrは、あらゆる鉄道を乗った著者ならではの帰結であろう。そして、中小私鉄の赤字対策事業など、涙ぐましい経営努力を紹介している。
 西日本の私鉄の巻、「一般に西日本の私鉄は対応のしかたが柔軟であり、個性的だ。関東の私鉄には公共事業臭が漂うが、こちらは商売意識が強く感じられる。」確かに、例えば、大阪から神戸にかけて、JR、阪神、阪急など、客の取り合い路線がひしめき合っている。経営感覚が問われているのはあきらかだ。

 私鉄は格別、国鉄改めJRは、廃線となった路線、第3セクターに移行した路線が多い。とりわけ、廃線となった背景を考えると、時代の流れ、と一言で言い切って良いものかどうか。新幹線も時間を大切にしたい面々にとっては最良の移動手段であるが、「旅」をするという気持からすると、「鈍行列車」というのもいい。本書にも記述があったが、門司発5:22、福知山着23:51、595.1キロを18時間29分で走破する「鈍行」、こういった汽車は、面白いに違いない。常磐線の「いわき~上野」の鈍行も無くなってしまった。乗客が少ないと、そうなってしまう。

 その2は(駅はみている編)
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呑兵衛たちの月9 その291

2016-05-23 19:43:58 | 
 ここんところ、呑み会が多い。嫌いではないので、誘われれば、のっぴきならぬ用事がない限り、迷うことなくOKしてしまう。Facebook「地酒のフルマツ」さんの今日の一言がマイブームではあるが、小生の戒めにもなっている。例えば、「酒癖の悪いヤツほど飲み会を断らない」、肝に銘じます。


 今日は交通ターミナル・池袋、類氏は東武鉄道西口から登場。まちを歩いていると、西口界隈、「ふくろう神社」を発見。そこには、ふくろうの実物。ビルの2階に上がっていくと、「あうるぱーく」へ。ここでは、珍しいフクロウに出会うことが出来る。エサやりやフライトを体験。フライト体験は、鷹匠と同じような格好である。類氏、フクロウを止まり木に飛ばすも、また、類氏の腕に戻ってきてしまう。好かれたようだ。

 まだまだ明るい中、東口、「うな達」へ。創業は昭和49年。名前にある通り、名物はうなぎである。
 暖簾をくぐって、地下に潜る。店内は大混雑のようだ。まずは、「中生ビール」500円でカウンターの御常連と乾杯。名物の「うなぎセット」は「かぶと焼」100円、「一口蒲焼」200円、「ひれ焼」120円、「きも焼」140円である。タレは、40年以上注ぎ足している。酒は芋焼酎「黒伊佐錦」350円をお湯割りでいただく。ウナギの骨は「カルシウム」250円、パリパリと健康的である。
 このお店、ボトルキープできるそうだが、押し入れとおぼしきところに、焼酎の一升瓶が多数鎮座している。人気店の証拠と見た。座敷も満席状態で、ここでも乾杯攻勢。カウンターに戻り、常連客とその奥方、旦那はここで奥方をナンパしたそうだ。そのご子息は、このお店でアルバイトをしている。類氏に「しら焼 松」900円を持ってきたときに、恥ずかしそうだったのはテレビを意識してか。
 カウンターの御常連から、「さされつ」で日本酒「金印 日出盛」250円、そして、別な御常連から、ぬる燗には「〆サバ」450円ということで、ゲット。
 日本酒は岩手の地酒「あさ開 からおろし」550円をいただきながら、「どじょうから揚」450円をいただく。類氏、呂律の回らないなかで、なにか駄洒落を言ったようだ。
 このお店、行ってみたくなってしまった。


 早いもので、5月も下旬。今日は、全国的に真夏日になったところが多かった。小生も、いつものように「ミー散歩」をしたが、汗まみれになってしまった。夏場であれば、タオルを巻いての散歩、すっかり忘れてしまった。明日の「ミー散歩」はタオル必携である。
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