宮脇俊三の鉄道関係著書、「失われた鉄道を求めて」
失われた鉄道、すなわち、廃線の憂き目にあった地方の中小私鉄を巡る旅、その紀行文である。内田百のヒマラヤ山系君のごとく、この本のために、編集者の加藤保栄氏が同行している。加藤氏は、後に歴史作家・中村彰彦、巻末でこの本の解説をしている。
廃線の多くの軌間は762ミリ、いわゆる、軽便鉄道である。
廃線となった線路跡について、こう述べている。「『廃線跡』はいいものである。レール、枕木、砂利は使いみちがあるので撤去されるが、路盤、切通し、橋脚、トンネルなどは放置され、草むしている。トンネル入口の煉瓦に蒸気機関車の煤煙が黒くこびりついていたりする。・・・ここに佇むと、思い入れが作用して、いまにもポッポッと汽車が現れそうな気分になることもある。」
そして、廃線跡を訪ねているうちに、「鉄道というものは直線はもとよりカーブにしても流れるような連続の線を描いていて、道路のように突然直角に曲がったりしない。跡をたどりやすいのである。」と、おおよその見当を付けながら軌道の跡を歩いた。廃線となった後、路線バスが走っているケースも多い。
第1話は、「沖縄県営鉄道」である。都道府県で鉄道が無いのは沖縄県のみ(ただし、モノレールは走っているが)。大正時代に6本の鉄道があった。「消え去った順」に列挙しているが、「昭和8年廃止」、「昭和10年休止」、「戦争末期に消滅」。読んでいて、『消滅』という言葉に目が集中した。類推するに、時は戦争末期、「消滅」という言葉が沖縄県の、沖縄県民の意図するところなく、この世から消え去ってしまったのだろう。
福島県内の廃線となった軽便鉄道も掲載されている。「日本硫黄沼尻鉄道」、磐越西線・川桁駅から中ノ沢温泉の沼尻まで走っていた。この鉄道の存在は承知していたが、実際どの様なルートなのか、本書、グーグルマップ、そしてウィキペディアで確認しながら読み更けた。
我が家の脇にも、旧古河炭鉱の引き込み線跡がある。煉瓦のトンネル(立ち入り禁止)や橋台、未だに残っている。小生が現在地に引っ越してきたときには、枕木、犬釘などが残っていたし、トンネルも自由に通行できた。機会があれば、写真を添えて紹介したい。
失われた鉄道、すなわち、廃線の憂き目にあった地方の中小私鉄を巡る旅、その紀行文である。内田百のヒマラヤ山系君のごとく、この本のために、編集者の加藤保栄氏が同行している。加藤氏は、後に歴史作家・中村彰彦、巻末でこの本の解説をしている。
廃線の多くの軌間は762ミリ、いわゆる、軽便鉄道である。
廃線となった線路跡について、こう述べている。「『廃線跡』はいいものである。レール、枕木、砂利は使いみちがあるので撤去されるが、路盤、切通し、橋脚、トンネルなどは放置され、草むしている。トンネル入口の煉瓦に蒸気機関車の煤煙が黒くこびりついていたりする。・・・ここに佇むと、思い入れが作用して、いまにもポッポッと汽車が現れそうな気分になることもある。」
そして、廃線跡を訪ねているうちに、「鉄道というものは直線はもとよりカーブにしても流れるような連続の線を描いていて、道路のように突然直角に曲がったりしない。跡をたどりやすいのである。」と、おおよその見当を付けながら軌道の跡を歩いた。廃線となった後、路線バスが走っているケースも多い。
第1話は、「沖縄県営鉄道」である。都道府県で鉄道が無いのは沖縄県のみ(ただし、モノレールは走っているが)。大正時代に6本の鉄道があった。「消え去った順」に列挙しているが、「昭和8年廃止」、「昭和10年休止」、「戦争末期に消滅」。読んでいて、『消滅』という言葉に目が集中した。類推するに、時は戦争末期、「消滅」という言葉が沖縄県の、沖縄県民の意図するところなく、この世から消え去ってしまったのだろう。
福島県内の廃線となった軽便鉄道も掲載されている。「日本硫黄沼尻鉄道」、磐越西線・川桁駅から中ノ沢温泉の沼尻まで走っていた。この鉄道の存在は承知していたが、実際どの様なルートなのか、本書、グーグルマップ、そしてウィキペディアで確認しながら読み更けた。
我が家の脇にも、旧古河炭鉱の引き込み線跡がある。煉瓦のトンネル(立ち入り禁止)や橋台、未だに残っている。小生が現在地に引っ越してきたときには、枕木、犬釘などが残っていたし、トンネルも自由に通行できた。機会があれば、写真を添えて紹介したい。