今朝もあづい~。しかし、サイクリングロードをひたすら走った。
川下から、川筋沿いに風が吹く。堤防側からくる風はぬるい。川からくる風は、ひんやりするときもある。ただ、汗は止まらない。サイクリングロード走行の道すがら、業務スーパーがある。午前7時開店と知らなかった。すでに、お客の車が何台か駐車していた。引き続き、平の街をポダリング。
旧町名、平・祢宜町(今は、区画整理により「平六町目」という)に鎮座する花地稲荷神社。
古地図によると、「朝日稲荷」となっており、この一体を社領としていた。「祢宜町」の由来も、これによる。
この神社の由緒
「本社はもと岩城氏の居城白土館の地に鎮座していたが、岩城隆行公の篤い尊信によって現在地にまつられていた子安稲荷神社に相殿として遷座された。宏荘な社殿を造営し、「朝日」という巫女に朝夕奉仕させた。別名「朝日稲荷」と称された。それ以来延徳年中、岩城隆忠公に至るまで御判物下賜されたが、文禄年中朝日宅の焼亡により、社宝・由緒書ともに失われた。立派な社殿と鳥居を描き、間口二十五間、奥行き三十二間半の境内地を有していたという。岩城侯より社領として寄進された三石の地は現在の平六町目・元立町・祢宜町である。」
走行距離 10.75km
寺社仏閣に、このような案内板があると、地域を知る教材となる。
川下から、川筋沿いに風が吹く。堤防側からくる風はぬるい。川からくる風は、ひんやりするときもある。ただ、汗は止まらない。サイクリングロード走行の道すがら、業務スーパーがある。午前7時開店と知らなかった。すでに、お客の車が何台か駐車していた。引き続き、平の街をポダリング。
旧町名、平・祢宜町(今は、区画整理により「平六町目」という)に鎮座する花地稲荷神社。
古地図によると、「朝日稲荷」となっており、この一体を社領としていた。「祢宜町」の由来も、これによる。
この神社の由緒
「本社はもと岩城氏の居城白土館の地に鎮座していたが、岩城隆行公の篤い尊信によって現在地にまつられていた子安稲荷神社に相殿として遷座された。宏荘な社殿を造営し、「朝日」という巫女に朝夕奉仕させた。別名「朝日稲荷」と称された。それ以来延徳年中、岩城隆忠公に至るまで御判物下賜されたが、文禄年中朝日宅の焼亡により、社宝・由緒書ともに失われた。立派な社殿と鳥居を描き、間口二十五間、奥行き三十二間半の境内地を有していたという。岩城侯より社領として寄進された三石の地は現在の平六町目・元立町・祢宜町である。」
走行距離 10.75km
寺社仏閣に、このような案内板があると、地域を知る教材となる。