おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

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磐城平城田町曲輪の調査

2023-03-03 22:40:02 | 
2月25日、26日、いわき市生涯学習プラザで開催された「生涯学習フェア」、そこで、いわき駅並木通り地区再開発に伴い行われた発掘調査「磐城平城田町曲輪の調査」で、一部ではあるが遺構の写真や遺物が展示された。



このエリアは磐城平城下、武家屋敷地、明治時代には磐城郡役所があったところ。



遺物は、陶磁器のかけら、木製品、漆器などの生活道具、さらに、井戸に埋納されたと考えられる一分金が見つかった。





今回は、急遽の展示だったので、今後、考古資料館で開催予定の速報展で詳しく展示・説明するとのこと。
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超高速!!城巡り 第13弾 磐城平城跡 本丸跡 埋蔵文化財調査現地説明会

2020-09-26 13:15:17 | 
 久しく城巡りをしていない。八戸城址など、数か所訪れたのだが、ブログアップまで行きついていなかった。そして、コロナ禍。すでに、城巡り、数か所分の行程表は作成済みである。八王子城、箕輪城、新府城、岩殿城、もう一つの五稜郭と言われる龍岡城などなど。「Go To」とやらを利用するのもありなのかもしれないが、もう少し、待ってみよう。

 ということで、地元のお城も大切である。

 磐城平城、いわき駅北側の高台にあった城。ここの本丸跡地を活用して、城跡公園の整備を進めている。





 磐城平城跡エリア、その大部分は民間に払い下げられており、公園整備に合わせて、本丸跡を公有化した。交流施設の整備も予定されており、その前段、発掘調査が行われ、その現場説明会が開催された。







 はじめは、施設を整備する部分に限って調査を行うこととされていたが、そこから、幕末に焼失したと伝わる本丸の礎石、磁器の破片などが出てきた。とりわけ、礎石類は当時のまま保存されており、非常に貴重であるそうだ。











 戊辰戦争時に官軍が撃ち込んだ砲弾も発見された。ただし、不発弾につき、それ相応の処理がされたとのこと。現物はなかった。



 現場説明会で、「どこから砲弾が撃ち込まれたのか」という質問があり、「競輪場付近」ということで、約2キロ先から撃ち込まれたようだ。

 発掘の結果を受け、さらに調査エリアを拡大して試掘を行っている。現段階で、磐城平城で建物の具体を検証できるのは(図面が残っているのは)、本丸くらいである。



 ここで証明されたことは、この図面と調査結果で分かった建物の配置が一致したということ。戊辰戦争で焼失したといわれる本丸だが、焼土が非常に少なく、部分的な火災ではなかったのではないか、という仮説。瓦の出土が少ないことから、屋根は萱や樹皮を使っていたのではないか、これは、礎石の大きさからも想定される、という仮説。などなど。そしてなにより、磁器が数多く見つかったこと、これは、まぎれもなく本丸御殿であった証である。

 さてさて、磐城平城址、これまで発掘を通した学術的視点からの調査を行ってこなかった。全体像を把握しようとすると、ほとんどが民地であるがゆえに、調査をするとなると莫大な費用と労力が必要となる。

 もしかすると、「パンドラの箱」が開いたのかもしれない。
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超高速!!城巡り 第12弾 春日山城跡

2018-07-24 19:22:15 | 
 春日山城は、長尾家の居城として築城された。もちろん、上杉謙信の城でもある。上杉家が会津に移封した後、1607年に堀家が福嶋城を築城して移ったため、廃城となった。









 山城であることは重々承知していたが、この日の気温は30度を越している。直江津駅前から7:20発のバスに乗車、約10分程度で「林泉寺前」に到着。ここから「山登り」が始まる。林泉寺については後日紹介することとし、春日山神社の駐車場でペットボトルを購入。石段を登り切り、茶店が点在、まだ開店前である。ここから坂道となる。少し登ると、城郭らしき風貌。




 豪雨によるがけ崩れにより、一部通行不能の場所もあるようだ。城は、三の丸から二の丸、本丸とと「登山道」をひたすら進む。駐車場で買ったペットボトルは、やはり必須であった。










 本丸跡からは、頚城平野を望むことができる。




 謙信も、この景色を見ながら政を執っていたのだろうか。

 天守閣はなかった城ではあるが、「天守閣跡」と呼ばれるエリアがある。




 そして、山城であるにもかかわらず、生活必需の井戸、今も水をたたえている。




 上杉景勝屋敷跡は、敷地が広い。






 そのほか、直江兼続屋敷跡などもあったが、汗止まらず、また、スズメバチも飛行していたので、今回は断念した。

 そして、御成街道、時の関白が通ったことからこの名がつけられている。




 「下山」すると、茶店が開いていた。お店の方が、「暑かったでしょ」と気遣ってくれた。小生が「下山」してから、何組か「登山」する方がいた。小生は朝早めに「登山」したので、昼近くに「登山」するのは、きつかったと思われる。

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超高速!!城巡り 第11弾 高田城跡

2018-07-20 21:31:31 | 
 高田藩の堀氏は、本拠を春日山城から福嶋城に移した。2代藩主忠俊公の時世、お家騒動により堀家は改易、忠俊公は、磐城平藩・鳥居公にお預けとなった。忠俊公は磐城平で26歳の生涯を閉じ、その墓所は、鳥居家の菩提寺である長源寺にあり、五輪塔の墓石はいわき市の文化財になっている。

 そんな背景も踏まえながら、雨の中、高田城へ向かった。










 高田城は、堀家改易後に入封した松平忠暉の居城として天下普請で造られた。石垣はほとんど見受けらられず、土塁が目立つが、本丸には若干の石垣があったのではないかと言われている。

 掘割には、蓮が群生している。






 天守の役割を果たした三重櫓が復元整備されているが、残念ながら、入館時間を過ぎていたため、外観のみの見学となった。








 高田公園は、公共施設(野球場など)が整備されている。また、明治以降は陸軍が駐屯し、そのため、土塁は大幅に削られている。
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超高速!!城巡り 第10弾 高崎城跡

2018-07-19 20:41:35 | 
 足利学校から両毛線の終点・高崎へ。

 高崎藩は、幕末の磐城平藩・安藤家が1619年から1695年まで治めていた。何か、関わりを感じる。ただ、行った時期が時期だけに、あづい。高崎城方面に向かう。

 取り急ぎ、駅から市役所方面へ。高崎城址には、群馬交響楽団の本拠地・群馬音楽センターや高崎市役所など、公共施設が整備されている。









 城郭の案内板を確認




 途中、掘割を観ることができる。市役所から音楽センター方面に向かうと、門と櫓が目に入る。乾櫓だ。










 乾櫓の脇には東門






 櫓から、土塁に上り、掘割沿いを歩いた。

 安藤公つながり、ということで、初めて高崎に足を踏み入れてみた。とにかく、あづい。
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