「1分将棋の熱闘」こそが、将棋の醍醐味である。
将棋の持ち時間は、長いほうが当然精度が上がるわけだが、見ていておもしろいのは、やはり秒読みの戦い。
手がどんどん動くから見ていてダレないし、なにより時間がないことによる読みや手順のブレにこそ、勝負のドラマが隠されている。
かつて先崎学九段はそのエッセイで、
「見ていておもしろいのは、悪手だらけの戦いに最後、一手だけキラリと光る絶妙手がある将棋」
そう書かれていたが、これは本当で、今回はそのような一局を紹介したい。
現在、藤井聡太七冠と佐々木勇気八段が竜王戦でバチバチやりあっているが、まだ「若き獅子たち」だったレジェンドたちの戦いも、なかなか熱いでござんすよ。
1995年の第8期竜王戦。
羽生善治竜王と、佐藤康光七段の七番勝負。
このころこの2人はまだ20代ながら、1993年から3年連続で、竜王戦七番勝負を戦っていた。
最初の激突では、佐藤が4勝2敗で初タイトルを奪取するが、翌年は羽生がリターンマッチを制して奪い返す。
そのまた翌年、怒りの佐藤康光はまたも、本戦トーナメントをかけあがって挑戦者になり、ライバル対決の盛り上がりは最高潮に。
羽生の3勝2敗リードでむかえた第6局。
後手の佐藤が急戦矢倉に組み、5筋で角と銀の総交換になって、むかえたこの局面。
後手が仕掛けて駒をさばいたが、3筋にキズもあって、先手からもなにか反撃がありそう。
ただ歩切れなので、どこから手をつけるか悩ましいところだが、実は後手陣に意外な穴が、もうひとつあった。
▲84銀と打つのが、羽生らしい好手。
一見俗筋で、指すのにやや気がさすところだが、こういう
「やりにくい」
「指したらバカにされそう」
という手を平然と選べるところに、羽生の強みがある。
この銀打も、通常ならねらいが単調で、もし後手から△65歩、▲同歩の突き捨てが入っていたら、△65桂、▲73銀成、△54銀みたいな手順で、アッサリ受け流されてしまう。
だが、ここで案外と、いい返し技や受けがなく、佐藤もやられてみて、はじめてそのきびしさに気づいたよう。
それまでの構想に難があったかと悔い、49分の苦しい長考で△72銀と引くが、▲82角で先手の駒得が確定。
「不利なときには戦線拡大」とばかりに、放置して△55歩と動くが、先手も冷静に▲73銀不成と取る。
騎虎の勢いで△56歩と取りこむしかないが、▲72銀不成、△57歩成、▲同金、△同飛成に▲34桂と急所に蹴りが入って先手優勢に。
玉の安定度が違ううえに、先手からは▲35飛や▲64角成に香を補充する手もあるなど、自然に手が続きそう。
このままいけば、羽生快勝の流れだったが、佐藤の懸命の反撃に、一回自陣に手を入れたのが、手堅く見えて緩手だった。
この小ミスで、形勢は急接近。
終盤戦、△45角と絶好の攻防手が飛び出したところでは、もうどっちが勝っても、おかしくない。
次に△89竜とされれば、▲63の銀が質駒になっていることもあって、先手玉は危険きわまりない。
といって、受ける形も見当たらず、観戦記によると、残り5分を切った羽生は、ここで明らかに動揺していたそう。
いつもポーカーフェイスが売りの羽生にはめずらしいことだが、勝ち将棋をここまで追い上げられては、そうなるのも当然だろう。
だが、ここからの羽生の対応が、すごかった。
△45角の痛打にかまわず、なんと▲44銀と踏みこむ。
△89竜をまともに喰らって、大丈夫なのかと目を覆いたくなるが、▲97玉でまだ詰みはない。
こちらはすでに1分将棋の佐藤は、59秒まで考えて△95桂。
これがまた強烈な一撃で、▲同歩は△同歩、▲86玉、△94金とシバられ生きた心地がしない。
「頭がおかしくなっちゃいました」
と述懐するよう、この桂打ちでグロッキーになった羽生だが、ボヤく間もなく、なにかワザを返さなければならない。
先手陣は▲82に飛車がいるため、△87桂成とされてもギリギリ詰まないが、銀を渡すと△87でバラして△78銀で仕留められる。
しかもその銀は、盤上に2枚落ちている。
つまり羽生は、銀を渡さず、また▲82の飛車の利きもキープしたまま、後手玉を寄せなければならないが、果たしてそんな手はあるのか。
(続く)