前回の続き。
郷田真隆九段と言えば、その実力にもかかわらず、挑戦者決定戦での勝率が悪い。
そこで、実際にどれほど苦戦しているのか数えてみようということで、まず竜王戦挑決は0勝1敗。
続いては名人戦。
ここはA級順位戦というリーグ戦だから、挑戦者決定戦もなく、そこをどうとるかが問題。
2007年の第65期名人戦と、2009年の第67期名人戦に挑戦者として出場しているから、2勝0敗ということでもいいが、逆に
「勝ってれば名人挑戦だったのに」
という敗戦があったかどうかがわからないし、調べるのがめんどいので「0敗」かどうかはわからない。
まあ、とりあえずここでは2勝0敗ということにして話を進めるが、本番の七番勝負では勝てなかった。
とはいえ、2007年は森内俊之名人に、2009年は羽生善治名人にどちらもフルセットまで行っており、「郷田名人」の可能性は十分すぎるほどあった。
特に2007年は「永世名人」のかかった森内に2勝3敗のカド番から「50年に1度の大逆転」を喰らわせてフルセットに持ちこむという、ドラマチックな戦いを披露。
しかも、最終局で先手番を引くという大チャンスだったが、大熱戦の末敗れてしまったのは残念だった。
その名人戦の最終局。
森内勝勢のところから郷田が決死のねばりで喰いつき、ここでは控室も「またも逆転か!」と色めきだっていた。
駒が、特に先手陣の桂香の利きがゴチャゴチャしてややこしく、
「むずかしすぎる」
「これが詰将棋だったら、考える気もしない」
検討陣も悲鳴をあげるほど。
しかも、次の手がまたスゴイのだ。
▲73銀と捨てるのが、名人への執念を込めた郷田渾身の勝負手。
△同金は▲85桂と取る手が、▲31角、△22歩、▲23角成、△同玉、▲22角成以下の「詰めろ逃れの詰めろ」になるのだ!
あまりの難解さと郷田の迫力に、さすがの森内もパニックになったが、ここで冷静に△83飛と引いて耐えていた。
▲23角成、△同玉、▲84金(!)という根性のしがみつきにも、△59角と打つのが冷静だったよう。
と言っても、やはりメチャクチャな駒の配置で理解は不能だが、これで△66竜と取る手や、金が入れば△76金で詰む形になり、どうやら決まったようだ。
角切りを強要して、後手玉が安全になったのも大きい。
▲75銀に△84飛と取って、▲同銀引不成に△76金まで郷田が投了。
「森内俊之十八世名人」が誕生した。
郷田も強かったが、森内の超人的な落ち着きが印象的なシリーズだった。
2009年の名人戦も、第5局で羽生の横歩取りを完全に封じ、3勝2敗とリードを奪ったときには、
「まあ、郷田は一回は名人になるべき男やもんな」
ひとりごちたものだが、そこから逆転されてしまい、またも悲願ならず。
図はそのシリーズ第5局。
横歩取りの激しい切り合いから、羽生が△27飛とおろしたところ。
ふつうは▲28歩しか見えないところで、△25飛成から、じっくりした戦いになりそうだが、次の手が「お見事」という着想だった。
2筋を受けずに▲23歩と、ここにタラしたのがキビシイ手だった。
次に▲22歩成、△同金、▲42角打から詰まされてしまうが、これを受けるうまい手がない。
△52歩と受けるしかないが、そこで▲75馬と飛車取りに逃げられるのがピッタリで先手絶好調。
△44飛と逃げるしかないが、▲82歩、△同銀を一発利かして▲18角が気持ちよすぎるクリーンヒット。
郷田の見事な指しまわしに戦意を喪失したのか、羽生はその後、ねばることもできずに土俵の外にたたきだされた。
ただ、そこから勝つのがこのころの羽生や森内相手だと大変なことで、第6局と第7局に敗れた郷田は、あと一歩のところで、またしても名人を獲得ならず。
このころの森内と羽生は、名人戦で強かったなあ。
格やその王道的棋風からも「郷田名人」はしっくりくるんだけど、なかなかうまくいかないものである。
また郷田はA級順位戦で何度か「4勝5敗で降級」という目にも合っている。
深浦康市九段も似たようなことになっているが、彼らが実力とくらべて実績的に歯がゆいのは、こういうハードラックのせいでもあるのだろう。
☆名人戦(プレーオフ) 2勝0敗。
(続く)