けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

Comunicado Oficial

2012-12-19 23:49:33 | football
レアル・マドリーC.F.は、FCバルセロナの監督、ティト・ビラノバに対し、彼の早い回復を期して、サポートと愛情を表明したい。レアル・マドリー・C.F.は、こうしたサポートを、彼のクラブ、家族にも向ける。
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昨年治癒したとされていたガン(耳下腺の腫瘍)が再発した、との報道。

あの時のように

2012-12-19 07:06:46 | football



火曜のトレーニング
寒いし霧は出るし……だったそうです。


出場予定
12月23日18時から行われるPartido x la ilusión(試合は19時から)への出場者、現時点でマドリー公式が伝えているのは、ブトラゲーニョ、イエロ、グティ、モリエンテス、デラレ、アルバロ・ベニト。ラウルはこない…。


あの時のように
MARCAから。こういうこと、言うだけむなしい気がするんですが、まあ縁起物か何かだと思うことに。
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マドリーは「オクタバ」の鏡を見る

首位と13ポイント差、コパでは第1戦をセルタに2-1で敗れてその先が不明な状況。ここでレアル・マドリーは、このシーズンを救う先例を求めている。過去のいくつものシーズンの中で1つスポットライトを浴びるものがある。1999/2000シーズンは、現在の状況と非常に似ているのだ。このシーズン、マドリーはパリで「オクタバ(8個目のCL)を掲げた。
リーガは非常に早い段階で挫折した。2つの勝利(マジョルカ戦、ヌマンシア戦)でシーズンをスタートしたものの、チームは9月に、3つの引き分け(アスレチック・ビルバオ、デポルティーボ、マラガ)を喫し沈んだ。10月はもっと悪かった。バレンシアに敗れて始まり、カンプノウで2-2のドロー(ラウルの有名な、観客に向けた静かにのジェスチャーがあった試合)、オビエドとセビージャにも引き分け、最後はデルビーに敗れてこの月を終えた。
11月はラージョに勝利したものの、十分には改善されず、続くレアル・ソシエダ戦で引き分け、セルタに敗れた。当時の会長ロレンソ・サンスは、ビセンテ・デル・ボスケ監督の続投を決めたが、それでもチームはサラゴサにベルナベウで大敗。15節、16節は、既に12月に入っていたが、ラシン・サンタンデールに引き分け、最少得点差でエスパニョールに勝利。先日、現在ジョゼ・モウリーニョに率いられるレアル・マドリーが、悪い状況にあると決定したばかりのチームだ。
このリーガ1999/2000の16節終了時点で、マドリーは順位表で12位。デポルティーボが首位に立っていたが、このシーズン彼らはチーム史上初めてのリーガ優勝を達成した。そのあとにセルタが2位、サラゴサが3位と続き、4位にはバルセロナがつけていた。マドリーの前にはさらに、アラべス、ラージョ、バレンシア、ヌマンシア、ベティス、マジョルカ、アスレチック・ビルバオがいた。
このシーズンの国王杯は1月にスタート。マドリーはサラゴサに0-0、2-0で勝利して勝ち抜け、次いでメリダにも勝利。しかし準決勝でエスパニョールに敗れて敗退した。

チャンピオンズ・リーグでは、その経過はそんなにおかしなことにはならなかった。マドリーは、ポルト、オリンピアコス、モルドと入ったグループを、4勝1分1敗で通過。ポルトに1敗しているが、ポルトは1ポイント差の2位で終わっている。しかしセカンドフェーズ(当時はあった)では通過に苦しんだ。
勝ち抜けは最終節まで待たねばならなかった。ノルウェイのローゼンボリとの死闘をラウルのゴールのおかげで制し、ギリギリのところでディナモ・キエフを上回った。その前には、バイエルン・ミュンヘンに、マドリーでもミュンヘンでも敗れていた。リベンジの機会は準決勝で巡ってきた。アネルカのゴールが決勝進出に貢献した。その前の準々決勝では、マンチェスター・ユナイテッドをも倒した。欧州での戦いは、バレンシアとの、欧州カップ戦史上初めての同国対決を制して、終わった。
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当時のリーグ戦の結果見たら、今シーズンの結果なんて天国みたいな……。
ちなみにCLファイナルの先制点は、サルガドのアシストからモリエンテスで、最初にハグしにきてくれたのはカランカ。