今から41年前の1974年8月22日はルネの2回目の来日初日でした。
ルネはこの来日で、ファン待望の第2弾『小さな生命』を発表し、大阪と東京のコンサートやファンの集いを行いました。
これは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことで巻き起こった、日本のルネ・ブームを受けてではなく、もともとルネを日本でデビューさせるプロジェクトの中で決まっていたようです。何故なら、『小さな生命』を含めたファースト・アルバムに収録された日本語の曲は、初来日のスケジュールの中で録音されていたからです。
そしてルネが、カナダ政府から1日5時間までと決められていた活動時間の中で、コンサートのリハーサルを行うには、日本に来てから曲を覚えたのでは間に合いません。そのため、ファースト・コンサートのプログラム全ての曲のカラオケ・テープがカナダに送られ、ルネは2回目の来日までの短期間に、日本語の歌詞だけでなく、日本語のあいさつまで全て覚えなければなりませんでした。
ルネは若干13歳ながら、プロとして完璧なステージを目指し、努力を惜しみません。でも、故郷カナダでの仕事の合間に、これだけのことをこなすルネって本当にすごい!! さらに、TV出演や雑誌の取材等が殺到した過密スケジュールを笑顔でやり抜くのですから、そのプロ意識は大人の歌手にも負けません。
実は、それらのカラオケ・テープは別の形で再利用されていました。コンサートで歌われた『廃墟の鳩』は、仏語歌詞を付けて”Quand Je Serai Maman (いつか私がママになる時)”(1981)という歌になり、妹ナタリー・シマールが歌いました。『小さな生命』にいたっては、過去ログで紹介したとおり、妹が病気の姉のことをマリア様にお願いしている”Ave Maria”という曲になっていました。前者はコンサートで演奏された編曲そのもので、後者は原曲のままでした。そして2曲とも幻となってしまったナタリーの日本のファースト・アルバムに収録する予定だったのかもしれません。
ルネを日本で売り出すために、当時のマネージャーだったギー・クルティエ氏は、インタビューや雑誌の取材で、日本の人気スターの名前をルネに言わせていたように思います。例えば、コンサートで歌った『廃墟の鳩』のジュリーや『エメラルドの泉』のショーケンに会いたいと語った記事があったり、この時すでに、ルネと一緒に旺文社の学習雑誌『中一時代』の昭和50年(1975年)のイメージ・キャラクターに決まっていた山口百恵が意中の女性という記事があったりしました。また、話題作りのためか、同じ人気外国人タレントとして、アグネス・チャンとは対談を持ち、彼女の兄がカナダにいるということで意気投合して、彼女が司会を務める『ハッピー・アグネス』で共演もしました。西城秀樹の『傷だらけのローラ』をカナダで売り出すことになったのは、ルネが秀樹の熱唱に感激したからですが、クルティエ氏は様々な方法でルネを日本でもスーパー・アイドルにしようとしたのでした。
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猫アスカ通信
<ハンター・アスカ>
夏はハンター・アスカにとって、またとない狩りの季節★ 暑い日中はマッタリして、涼しい朝と夕方にいそいそと出かけていきます。鍵が開いていればサッシも自力で開け、1階から出られなければ、2階の窓から屋根に出て、下の小屋の屋根に跳び移って外出した時期もありました。でも、窓に跳び移ってサッシを開けて屋根に出る脱走経路で、濡れた瓦屋根で滑って落ち、初外泊(?)になったことにこりたのか、それ以来2階から出ることは無くなりました(笑)。
狩りの獲物は昆虫が中心。爬虫類少々、時々鳥類。捕まえても食べないという猫もいますが、アスカはしっかり食す派。ほめてほしくて持ってくるというより、お持ち帰りして安心な場所でゆっくり食すという感じ。しかし、家の中で逃げられることもしばしば…★家中を雀が飛び回ったこともあります。
でも、一番大変だったのはムカデ! 私が嫁に来てから、家の中で大ムカデを見たのは2回。1度目は義父がいつも座っている茶の間の戸棚の裏。この時、アスカがムカデの居場所を教えたので『猫の恩返し』と冗談に言っていました。でも、アスカがムカデに頬をかまれた時に気づくべきでした。家の中に出没したムカデは、アスカの獲物だったということを!
▲ハンターの束の間の休息Sleeping Cat
<シマ姉 深夜ムカデに咬まれる>
実は、夜中眠っていて足を伸ばしたら、そこにムカデがいて咬まれました★ 最初アスカが爪を立てたのかと思いましたが、よく見ると15㎝越えのムカデでした。コイツがなかなか離れない★ 振り払って捕まえようとしたけれど逃げられた時には激痛。左足の薬指の内側のため、毒を吸い出すのは体勢的にきつく…すでに日付が変わっている真夜中のため最悪救急病院も考えましたが、咄嗟に「ムカデの毒にはお湯」というのを思い出し、熱いシャワーを患部にかけると痛みが和らぎました。私が風呂場にいる間、ネットで「ムカデに咬まれた時の対処法」を調べていた主人が「冷やす方法もある」というので保冷剤で冷やした途端、震えがくるような激痛★ 再度洗面器に溜めた熱いお湯につけました。落ち着いてからネットで調べてみたところ、ムカデ駆除の業者のサイトに『ムカデに咬まれた時にやってはいけない3つのこと』というのがありました。
<ムカデに咬まれた時にやってはいけない3つのこと>
1 冷やしてはいけない(激痛を伴います)
2 吸い出してはいけない(虫歯や口内炎にムカデの毒は危険)
3 絞り出そうとしてはいけない(ムカデの毒は注入されず表面にあるので、咬まれたところに入って悪化 指に付いた毒に気づかず目などこすったら大変な事に…)
3つとも、知らずにやってしまうことばかりですよね。
何故お湯がいいかというと、ムカデの毒は蛋白質のため、熱に弱いのだそうです。火傷をしない程度の42℃~46℃のお湯に浸けながらシャンプーで洗うと、毒は洗い流され、さらに中和されます。
この話をしたら、行きつけのお医者さんが首を傾げ、本を出してきて「冷やすと書いてあるれど…」と言った後、「でも実体験で冷やすと激痛なんですね。」と付け加えました。
ムカデに咬まれるようなことは滅多にないですが、是非覚えておいてください。
そして、2回逃げられたムカデは、風呂場で濡れたので脱いだままにしてあったパジャマのズボンの中に★ そこで押さえ込んで袋に入れて無事捕獲。押さえ込んでいる時、アスカがのぞき込み、袋で捕獲した後は、部屋のタンスの上の方を見ながら鳴くので、全てがわかった次第です。アスカ…あんたの仕業(逃げられた狩りの獲物)ですか…チャンチャン★
昨日21日(金)、6日ぶりの帰宅。アスカは毎日、私の普段の帰宅時間には濡れ縁で私が帰ってくるのを待っていたとのことですが、いざ帰ってみると、「あ、帰ってきたの~?」という感じで、感動のご対面とはほど遠く、あっさりしたものでした(笑)。しかし、私からしかもらえない大好物のおやつのことを言ったら、「ニャン、ニャンッ」と、すご~く元気ないいお返事をし、言わなくても「ちょうだい」のハイ・タッチ! 今朝は4時前からご飯の催促★ 甘ったれのアスカは健在でした。
ルネはこの来日で、ファン待望の第2弾『小さな生命』を発表し、大阪と東京のコンサートやファンの集いを行いました。
これは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことで巻き起こった、日本のルネ・ブームを受けてではなく、もともとルネを日本でデビューさせるプロジェクトの中で決まっていたようです。何故なら、『小さな生命』を含めたファースト・アルバムに収録された日本語の曲は、初来日のスケジュールの中で録音されていたからです。
そしてルネが、カナダ政府から1日5時間までと決められていた活動時間の中で、コンサートのリハーサルを行うには、日本に来てから曲を覚えたのでは間に合いません。そのため、ファースト・コンサートのプログラム全ての曲のカラオケ・テープがカナダに送られ、ルネは2回目の来日までの短期間に、日本語の歌詞だけでなく、日本語のあいさつまで全て覚えなければなりませんでした。
ルネは若干13歳ながら、プロとして完璧なステージを目指し、努力を惜しみません。でも、故郷カナダでの仕事の合間に、これだけのことをこなすルネって本当にすごい!! さらに、TV出演や雑誌の取材等が殺到した過密スケジュールを笑顔でやり抜くのですから、そのプロ意識は大人の歌手にも負けません。
実は、それらのカラオケ・テープは別の形で再利用されていました。コンサートで歌われた『廃墟の鳩』は、仏語歌詞を付けて”Quand Je Serai Maman (いつか私がママになる時)”(1981)という歌になり、妹ナタリー・シマールが歌いました。『小さな生命』にいたっては、過去ログで紹介したとおり、妹が病気の姉のことをマリア様にお願いしている”Ave Maria”という曲になっていました。前者はコンサートで演奏された編曲そのもので、後者は原曲のままでした。そして2曲とも幻となってしまったナタリーの日本のファースト・アルバムに収録する予定だったのかもしれません。
ルネを日本で売り出すために、当時のマネージャーだったギー・クルティエ氏は、インタビューや雑誌の取材で、日本の人気スターの名前をルネに言わせていたように思います。例えば、コンサートで歌った『廃墟の鳩』のジュリーや『エメラルドの泉』のショーケンに会いたいと語った記事があったり、この時すでに、ルネと一緒に旺文社の学習雑誌『中一時代』の昭和50年(1975年)のイメージ・キャラクターに決まっていた山口百恵が意中の女性という記事があったりしました。また、話題作りのためか、同じ人気外国人タレントとして、アグネス・チャンとは対談を持ち、彼女の兄がカナダにいるということで意気投合して、彼女が司会を務める『ハッピー・アグネス』で共演もしました。西城秀樹の『傷だらけのローラ』をカナダで売り出すことになったのは、ルネが秀樹の熱唱に感激したからですが、クルティエ氏は様々な方法でルネを日本でもスーパー・アイドルにしようとしたのでした。
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猫アスカ通信
<ハンター・アスカ>
夏はハンター・アスカにとって、またとない狩りの季節★ 暑い日中はマッタリして、涼しい朝と夕方にいそいそと出かけていきます。鍵が開いていればサッシも自力で開け、1階から出られなければ、2階の窓から屋根に出て、下の小屋の屋根に跳び移って外出した時期もありました。でも、窓に跳び移ってサッシを開けて屋根に出る脱走経路で、濡れた瓦屋根で滑って落ち、初外泊(?)になったことにこりたのか、それ以来2階から出ることは無くなりました(笑)。
狩りの獲物は昆虫が中心。爬虫類少々、時々鳥類。捕まえても食べないという猫もいますが、アスカはしっかり食す派。ほめてほしくて持ってくるというより、お持ち帰りして安心な場所でゆっくり食すという感じ。しかし、家の中で逃げられることもしばしば…★家中を雀が飛び回ったこともあります。
でも、一番大変だったのはムカデ! 私が嫁に来てから、家の中で大ムカデを見たのは2回。1度目は義父がいつも座っている茶の間の戸棚の裏。この時、アスカがムカデの居場所を教えたので『猫の恩返し』と冗談に言っていました。でも、アスカがムカデに頬をかまれた時に気づくべきでした。家の中に出没したムカデは、アスカの獲物だったということを!
▲ハンターの束の間の休息Sleeping Cat
<シマ姉 深夜ムカデに咬まれる>
実は、夜中眠っていて足を伸ばしたら、そこにムカデがいて咬まれました★ 最初アスカが爪を立てたのかと思いましたが、よく見ると15㎝越えのムカデでした。コイツがなかなか離れない★ 振り払って捕まえようとしたけれど逃げられた時には激痛。左足の薬指の内側のため、毒を吸い出すのは体勢的にきつく…すでに日付が変わっている真夜中のため最悪救急病院も考えましたが、咄嗟に「ムカデの毒にはお湯」というのを思い出し、熱いシャワーを患部にかけると痛みが和らぎました。私が風呂場にいる間、ネットで「ムカデに咬まれた時の対処法」を調べていた主人が「冷やす方法もある」というので保冷剤で冷やした途端、震えがくるような激痛★ 再度洗面器に溜めた熱いお湯につけました。落ち着いてからネットで調べてみたところ、ムカデ駆除の業者のサイトに『ムカデに咬まれた時にやってはいけない3つのこと』というのがありました。
<ムカデに咬まれた時にやってはいけない3つのこと>
1 冷やしてはいけない(激痛を伴います)
2 吸い出してはいけない(虫歯や口内炎にムカデの毒は危険)
3 絞り出そうとしてはいけない(ムカデの毒は注入されず表面にあるので、咬まれたところに入って悪化 指に付いた毒に気づかず目などこすったら大変な事に…)
3つとも、知らずにやってしまうことばかりですよね。
何故お湯がいいかというと、ムカデの毒は蛋白質のため、熱に弱いのだそうです。火傷をしない程度の42℃~46℃のお湯に浸けながらシャンプーで洗うと、毒は洗い流され、さらに中和されます。
この話をしたら、行きつけのお医者さんが首を傾げ、本を出してきて「冷やすと書いてあるれど…」と言った後、「でも実体験で冷やすと激痛なんですね。」と付け加えました。
ムカデに咬まれるようなことは滅多にないですが、是非覚えておいてください。
そして、2回逃げられたムカデは、風呂場で濡れたので脱いだままにしてあったパジャマのズボンの中に★ そこで押さえ込んで袋に入れて無事捕獲。押さえ込んでいる時、アスカがのぞき込み、袋で捕獲した後は、部屋のタンスの上の方を見ながら鳴くので、全てがわかった次第です。アスカ…あんたの仕業(逃げられた狩りの獲物)ですか…チャンチャン★
昨日21日(金)、6日ぶりの帰宅。アスカは毎日、私の普段の帰宅時間には濡れ縁で私が帰ってくるのを待っていたとのことですが、いざ帰ってみると、「あ、帰ってきたの~?」という感じで、感動のご対面とはほど遠く、あっさりしたものでした(笑)。しかし、私からしかもらえない大好物のおやつのことを言ったら、「ニャン、ニャンッ」と、すご~く元気ないいお返事をし、言わなくても「ちょうだい」のハイ・タッチ! 今朝は4時前からご飯の催促★ 甘ったれのアスカは健在でした。