ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

ルネと秀樹の友情④

2013年10月13日 | ルネと西城秀樹
 今日は3連休の中日。そして明日は体育の日。ルネ友の皆さまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

 昨日は季節外れの暑さで真夏日の記録を更新…今日は関東地方はおさまるようですが、この気温のせいか、職場のパッションフルーツは現在13個生り、蕾が次々にふくらんでいます。8月に咲き切ったはずのユリから一本だけわき芽が育ち、もうすぐ花が開きそうだったり、夏に落ちたプチトマトの実から芽が出てすくすく育っていたり、朝顔がまだまだ元気に花を咲かせていたり…。やっぱり地球温暖化の影響で日本は亜熱帯気候になっているのかと考えると不安になります。
 それから、シマ姉家の愛猫アスカは、昨日シャンプーされてふわふわでいい香り♡ シャンプー後のブラッシングでとれた毛でまた猫フェルトの毛玉ができたので、今度はためておいてチョーカーかネックレスを作ってみようなんて考えている猫バカシマ姉です。


 さて今回は、ルネと西城秀樹の友情」の最終回『夢はさらにふくらんでを紹介いたします。別のカテゴリの記事で紹介した、西城秀樹氏の『傷だらけのローラ』についてのYouTube映像や雑誌に掲載された記事をまとめ、再度紹介していますのでお楽しみいただければ幸いです♪


アイドル情報
=西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表=


夢はさらにふくらんで

 ルネとクルティエさんは、9月20日にカナダへ帰ったが、荷物の中にはヒデキのレコードやテレビを撮ったビデオテープ、ラジオの録音テープなどが、ぎっしりつまっていた。
 ヒデキは日本のビッグスターだが、カナダではまだ名を知られていない。レコードを発売する前にヒデキがいかにすばらしい歌手であるかを、カナダの人たちにアピールするためクルティエさんは日本滞在中にできるだけ資料をあつめた。
 そしてカナダのテレビ局やラジオ局に呼びかけ、まず放送で西城秀樹の人気をもり上げようと、プロモートを開始した。
 まもなくヒデキの歌がカナダでも流れだし、、それにかぶせてレコードが発売される。カナダではトップスターのルネも、ヒデキをけんめいに応援してくれる。ふたりの美しい友情が、歌を通じて実を結ぶのだ。
 ルネ君は帰国をまえに、ヒデキと、東京プリンスホテルで会って、別れを惜しんだ。また逢う日まで、それはヒデキがレコーディングにカナダを訪れる日になるだろう。
 そのときルネ君は、ヒデキにこういった。
「来年、ぼくはまた大好きな日本を訪問するつもりでいます。日本で縦断コンサートをひらくプランがあるんです。
 そのコンサートで、もしサイジョーさんとジョイントすることができたら、ぼくはとってもうれしいんだけど!」
 ヒデキもルネの歌唱力はバツグンと認めている。弟みたいにかわいいルネの希望なら、なんとかしてかなえてやりたい。
「ジョイント・コンサートなんて、すごく楽しいだろうね。きみとなら、ぜひやってみたいよ。スケジュールが合う限り、きっとやろうね!」
 ふたりは固く握手した。日本とカナダのビッグワンが、燃えるハートでジョイントする。音楽に国境はない、ヒデキの歌が世界に羽ばたく日は、もうそこまで来ている!



 西城秀樹氏の「傷だらけのローラ」のオリジナルは1974年8月25日発売。仏語版は、1975年1月17日にレコーディングされ、2月15日にカナダ他、フランス、スイス、ベルギーで発売されました。
 また、今回の2人の対面記事はカナダでも芸能記事で取り上げられ、ルネが西城秀樹氏を紹介し、ギー・クルティエ氏がプロデュースしてカナダで大々的に売り出すことも書かれていました。下の記事では、1975年の5月か6月に2週間滞在して活動すること、その際にはルネも一緒に仕事をすることが書かれています。
 ルネの3回目の来日は、仏語版「傷だらけのローラ」のレコーディングに合わせたように1975年1月7日から20日までの20日間。秀樹のカナダでの活動予定も、1975年3月19日から4月12日までのルネの4回目の来日の後ですから、カナダのルネ・サイドと日本の秀樹サイドでスケジュール調整をしていたことは間違いないでしょう。
 それにしましても、カナダでの活動の様子は日本でも放映されたのでしょうか? ルネのスプリング・コンサートで秀樹とジョイントできなかったのは残念でしたが、カナダで実現させることができていて、もし映像が残っているのなら、是非見てみたいですね!!

ルネ・シマールはケベックの人たちに
      西城秀樹を紹介するだろう

▲右上:日本の№1歌手西城秀樹とルネはすぐに親友になりました (1974年9月20日 2回目の来日の最終日、東京プリンスホテルで行われた西城秀樹とのインタビュー記事の写真と同じもの) 
右下:腕相撲をすることに理由なんてありません 
 (腕相撲の様子は私が所有する日本の記事にはありませんでした。)


 先週お伝えしたとおり、現在、ルネ・シマールはたくさんの成功を得た日本に滞在し、4月13日、しかしとても短い期間ケベックに帰って来る予定です。日本においてルネは、日本の№1歌手である西城秀樹や何人かの歌手と大変早く友情で結ばれ、日本での彼の新しい仕事として秀樹の推薦者となりました。 はっきりとした帰国の日程は分かりませんが、秀樹が5月末か6月初めにケベックに来る時、ルネは彼のために一緒に仕事をするでしょう。
 ギー・クルティエは、この日本のスターがカナダで2週間弱行う活動を管理する仕事をします。私たちは彼(秀樹)のレコードの中に、希にしか存在し得ない、このタレントの持つ生来の声を聴くことが出来るでしょう。友情が芽生えた異なる国のアーティスト同士の交流は真実であり、良き仕事となります。



 そして、西城氏か仏語で歌った「傷だらけのローラ」は、氏のアルバムに収録され、その件について西城氏本人が説明をし、仏語版を歌ってるアルバムがYouTubeでアップされています。また、カナダ(ケベック)で発売されたレコードは、この記事にも書かれているとおり(「ルネと秀樹の友情③」参照)シングル盤のA面が仏語版、B面が日本語の「傷だらけのローラ」。カナダのルネ・ファン、シルヴィーさんの情報でも、西城氏本人の話でもカナダで2位になったとのことです。



<西城秀樹氏の解説>
「そして、いよいよ世界…実はカナダの方で、『傷だらけのローラ』を吹き込んでみないか…ということがありました。それというのも、ルネ・シマールという青年がありましたね。少年が…。その子ととても仲良くなりました。その時彼が『傷だらけのローラ』を大変気に入りましてね、是非カナダの方でレコードを出してみないか…そういう話が決まりました。出しました。そして見事、カナダで2位になりました。さあ、そのフランス語版『傷だらけのローラ』、そして、阿久先生たちと知り合った、三木先生にも知り合いましたね…。あの三部作を聴いていただきたいので、その三部作の中より『君よ抱かれて熱くなれ』、2曲続けてお聴きください。」




 ルネはこの取材の後、すぐに帰国の途につきました。空港でママと一緒の所をファンが撮影した写真が、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツの会報に掲載されていました。ルネはふざけてカメラの前に手をかざしたり、とってもお茶目だったようです。
 そして、この帰国の途中、アメリカに寄って、ラスベガスでオズモンズのステージを見たり、ディズニーランドで遊んだりしていました。それについては、過去ログでも紹介していますので、カテゴリ『2回目の来日』でお読みいただければ幸いです。

※カテゴリ『2回目の来日』参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate24/archive


 余談ですが、現在も親しくしているルネ来日当時4人グループだった友人の1人が秀樹ファンでした。あの頃、2人とも芸能雑誌を買っていなかったために、ルネと秀樹が仲良しなったことを知りませんでした。もし知っていたら、ファン同士同じ話題で盛り上がっていたと思います。

 それから、先週日曜日の息子の小学校の運動会で、入場行進曲の1つに“Exodus”が使われていてちょっと興奮しました。…というのも、この曲は、ルネのカナダのファースト・アルバムの最後に収録された、映画『栄光への脱出』のメイン・テーマだったからです。
 今年創立140周年を迎える小学校だからという訳ではないのですが、運動会の駆け足行進曲や競技中の音楽の選曲がとにかく渋い! 何故こんな古い曲? 誰のチョイス?!…と、いつも疑問に思います。今年は『巨人の星』くらいで済みましたが、以前は『笛吹き童子』が流れたことも…(笑) ルネ・ファン世代の親の年代の曲でしょう?
 …という訳で、ルネの“Exodus”をお聴きくださいsymbol1

♪Rene Simard"Exodus"
http://discographiesimard.musicblog.fr/2860387/Rene-Simard-Exodus/

♪YouTube映像「栄光への脱出 Exodus(1960)Main Theme」



 そしてもうふたつ、ミドリ色の屋根のピアノ弾き語り楽譜がダウンロード販売され、facebookのしゃむねこさんのグループに寄せられた情報によると、8日(火)にニッポン放送の「上柳昌彦ごごばん! GOGOBAN」でルネの「みどり色の屋根」が流れました。この日、当ブログのアクセス数が92(アクセス解析では186)に跳ね上がったのもそのせいだったのでしょう。ルネの全曲集CD「GOLDEN☆BEST limitedルネ・シマール」が発売されたことで、ルネ人気が再燃したらいいですね!

※「上柳昌彦ごごばん! GOGOBAN」10月8日(火)
http://www.1242.com/program/gogoban/2013/10/08/

1時台 今日の話題と曲をたっぷりと!より一部抜粋
今、気になる話題の他、曲をたくさんかけます!
・「ミドリ色の屋根」 ルネ 
 「なにこの歌!悲しすぎる!!」と拒絶反応を示す増山さん!
 ルネさんカナダ出身の男性で、
 東京音楽祭でグランプリをとり、
 フランク・シナトラさんにも称賛されて
 シナトラ賞を獲った方です。


♪YouTube映像「ミドリ色の屋根-ピアノ弾き語り楽譜/ルネ(・シマール)/"Midori Iro No Yane(Rene Simard)-Vocal,piano accompaniment score.」

♪購入はこちらから 視聴もできます
http://www.dlmarket.jp/products/detail.php?product_id=238695
<商品詳細>
商品ID 238695
ファイル形式 pdf
ファイルサイズ 134.27KB
商品ファイル名 MidoroIroNoYane.pdf
商品登録日 2013/09/26
販売価格 315円


 秋の夜長、ルネの歌声を聴いて、夏の暑さや日頃の疲れを癒してくださいねsymbol1


<追記>
 YouTubeに、ルネが第12回東京音楽祭世界大会の前夜祭で妹ナタリー・シマールと『ミドリ色の屋根』をデュエットした映像や国内大会で日本語で挨拶する映像、カナダのアルバム”Ma Petite Japonaise”のアルバムを紹介するルネの特集番組で、日本のコンサート等で着た衣装で歌う映像がアップされました。次回改めて紹介いたしますが、掲示板「ルネ・シマール日記」で紹介いたしましたので、そちらでご覧下さい。

※掲示板「ルネ・シマール日記」参照
http://8123.teacup.com/renee/bbs?
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ルネと秀樹の友情③

2013年10月05日 | ルネと西城秀樹
 今日は息子の小学校の運動会だったのですが、台風23号の影響による天候不良のため明日に順延になりました。そのため、予約投稿していた記事の最初の部分を書き換えています。

 今年の運動会を、熱中症対策のために例年より2週間遅らせることは、すでに昨年度末に決定していました。今年の残暑はすでに収まって朝晩涼しくなり、運動会を行うにはちょうど良い気候になっていたのですけれど…。
 よく考えると、ルネの来日のあった1974年当時、私たちルネ・ファン世代の運動会は、10月10日だった体育の日か、それに近い平日に運動会を行いました。いつから9月になったのかは記憶していませんが、わが県の中学校の運動会は、現在、9月の第1土曜日に実施する学校が多いようです。夏休み明けの残暑厳しい中、一気に練習しての実施は、夏休みボケと暑さで疲れた体にはきついものの、終わってしまえば後は勉強に集中できるので、かえって良いのかもしれません。
 話はそれましたが、明日も早起きして、主人は場所取り、私はお弁当作りです。小学校最後の運動会なので、親としては気合を入れて応援に行って来ます。今週ずっと風邪気味だった息子も、いつになくやる気満々だったので、今日は体調を整えて、明日も頑張って欲しいです。


 そして今回は、「ルネと秀樹の友情」のその3です。
 前回の予告通り、『傷だらけのローラ』を熱唱する西城秀樹に惚れ込んだルネとギー・クルティエ氏が、西城氏をカナダで売り出すプロジェクトのために動き出します。


アイドル情報
=西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表=


『ローラ』をフランス語で

 この会談でクルティエさんは、ヒデキの生のステージをぜひ見たい、と希望したが、ちょっと時期が悪かった。
 それではと、8月3日に大阪球場で開かれた熱狂のコンサート『ヒデキ・イン・スタジアム』の資料、写真、テープなどを渡すことにした。
 もし、ルネやクルティエさんが、ヒデキの歌に2万人の女性ファンが陶酔し、エキサイトしたあの日のコンサートを見たら、どんなに感動したことか。
 クルティエさんはこういう。
「『傷だらけのローラ』の歌詞をフランス語に訳し、サイジョーをカナダへ呼んで、レコーディングさせたい。ルネの住んでいるケベック地方には、フランス系カナダ人が多く、みなフランス語を話している。
 そのほか、フランス本国やベルギー、スイスなどでも、このレコードはきっと歓迎されるだろう。サイジョーの表現力は国際的なレベルだし、必ず世界に通じるタレントになれると思う。世界各国で彼のレコードを発売することも可能だ。」
 話はいよいよ煮詰まって来た。
 クルティエさんはカナダへ帰ったらさっそく”ローラ”を仏訳し、譜面をヒデキに送り届けようと、約束した。
 ヒデキも、まだフランス語にはツヨくないが、
「シャンソンは好きだったし、これからマスターしたい。”ローラ”はフランス語のソフトなムードにぴったりの曲だと思うんです。
 いまのところ、カナダで発売するレコードは、A面をフランス語、B面を日本語で吹き込む予定。『傷だらけのローラ』を外国の人たちにも聞いてもらえるのはすごく楽しみですね。
 ルネ君とはすっかり仲よくなったし、クルティエさんもりっぱなマネージャーで、今度の話が具体的になったのはラッキーだと思ってます。やる以上は、みんなの期待にそむかないように、一生懸命がんばらなくちゃ」
 と、固い決意の色を見せる。
『ローラ』の仏訳はまもなく届くだろうし、レコーディングの準備も進められる。問題は、ヒデキがいつカナダに行けるか、というスケジュール調整にある。
 秋から暮れにかけては、1年中で最も忙しいシーズンだ。あるいは何かの都合で時間が取れたとき、電撃的にカナダへ飛んでレコーディング、ということになるかもしれない。


 西城秀樹氏の「傷だらけのローラ」の仏語版は、1975年1月17日にレコーディングされ、2月15日にカナダ他、フランス、スイス、ベルギーで発売されました。
 そして、ルネの3回目の来日は1975年1月7日から20日までの14日間。ルネの来日に合わせたようなレコーディング日程は、ルネが秀樹のレコーディングに立ち合うためなのでしょうか? また、ルネの通訳を務めていた道上雄峰氏がフランス語の指導もしていたようです。この来日には、秀樹の才能に惚れ込み、カナダで売り出すことを決めた、当のクルティエ氏ではなく、ルネ・アンジェリル氏が同行していました。この記事では秀樹がカナダへ飛んでレコーディングを行うかもしれないと書かれていましたが、ルネの歌唱指導もしていたアンジェリル氏が、ノーベル・レコードから一任されて、仏語版のレコーディングに立ち会ったのかもしれません。

 下は過去ログで紹介した『月刊明星』掲載の記事。余談ですが、ルネの髪を金髪と記憶している方が結構います。この写真だとかなり明るい色に写っているので、これだけを見たら勘違いしてもおかしくないですね。

 そして、次回は「ルネと西城秀樹の友情」の最終回『夢はさらにふくらんで』です。別のカテゴリの記事で紹介した、西城秀樹氏の『傷だらけのローラ』についてのYouTube映像や雑誌に掲載された記事も一緒にまとめ、再度紹介していますのでお楽しみに!



●あこがれのヒデキサン
ルネと秀樹がツヨーイ友情で結ばれてること きみたち知ってる 全身エネルギーのかたまりとなって表現する秀樹の力唱にルネが感動 秀樹もルネの美しいボーイ・ソプラノに魅了されたのです
「『傷だらけのローラ』を外国にいっぱい紹介するよ ふたりで舞台に出よう」と約束 来年のお正月また会おう ルネ!



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


       cloverシマ姉のグリーンライフclover

 今週金曜日の職場のパッションフルーツ♡ 次々に花が咲き、なかなか全部は受粉がうまくいかないものの、実が生り始めました。植物栽培が趣味の上司の家にもあり、昨年秋にも生って熟したとのこと。霜が降りる前に収穫し、鉢に植え替えなければ…!!
 また、プチトマトのこぼれた実から芽が出て、どんどん成長しています。昨年実験的に鉢に植え替えたものは、冬には花が咲き実をつけたので、こちらもどうしようか思案中です。

            cat猫アスカ通信cat3

 まだまだ腕白なシマ姉家の愛猫アスカ。去勢手術したこともあって、この角度だとかなりお腹周りがポッチャリに見えます。 久しぶりに猫ハウスでまったりしているところです。 
 最近は朝晩冷え込むようになったので、早朝の散歩はやめて、誰かの布団の上や中でぬくぬくするようになりました。その分家の中で運動会しています★ また、家族の見送りと出迎えを、スリスリしながらするようになって、可愛さも増しました。息子の言葉を借りれば、「猫のいる生活って、癒される~symbol1」な毎日を送っています。

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ルネと秀樹の友情②

2013年09月29日 | ルネと西城秀樹
 朝晩の冷え込みに秋の深まりを感じる今日この頃、ルネ友の皆さまにおかれましては如何お過ごしでしょうか?

 前回の記事で、9月15日にRadio Canadaで放送された"Gala des Gémeaux"を紹介いたしました。ルネ一家のパロディー「Le bonheur est dans le pouding -幸せはプディングの中に-」が、早速YouTubeにアップされていましたのでご覧ください。

♪YouTube映像”Les Simard-Taillefer”



       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


 さて、今回紹介する記事は、1974年8月27日(火)放送のTBS『火曜歌謡ビッグマッチ』のリハーサルで、西城秀樹氏の『傷だらけのローラ』を聴いたルネとクルティエ氏がその熱唱に感激し、本番でもすっかり興奮してしまったルネが、司会の黒柳徹子さんの質問に答えるところから始まります。


アイドル情報
=西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表=


ヒデキの歌をカナダへ

 司会者の黒柳徹子が
「ルネ君が今いちばん大好きな歌手は?」
 と質問したときも、ルネははっきりと、
「それはね、”ローラ”のサイジョーです!」
「あら、そう!」
 チャックおねえさんは目を丸くしたが、ヒデキだってびっくりした。
 さっきリハーサルで会ったばかりのルネ君が、意外にも自分を指名してくれたとは! 相手は男の子だが光栄のイタリである。
 本番がすんでから、クルティエさんは通訳を介してヒデキにアプローチした。
「ルネもわたしも、あなたの歌に大へん感動しました。ぜひ、カナダにあるわたしの会社のスタジオへ来て、レコーディングしてみませんか?
 スタジオは教会の形をした建物で、録音設備には自信があります。それにモントリオールの景色はじつにすばらしいからルネといっしょにご案内しましょう」
 突然の申し入れに、ヒデキはおどろいたり、感激したり!
 かわいいルネ君も、マネーシャーのそばで、
「”ローラ”は、ぼくも大好きな歌。カナダに紹介したら、きっとヒットするよ! ほんとうにぼくの国に来ませんか?」
 と、熱心にヒデキを誘った。
「そんなにいってありがとう! もし仕事のスケジュールが許せば、もちろん喜んで…。」 ヒデキはそう答え、再会を楽しみにして、その日は分かれた。
 それからというもの、ヒデキとルネ少年は兄弟のように仲よくなり、テレビの歌番組で顔を合わせるたびに、友情を深めて行った。
 控室でヒデキがルネに、”ローラ”のフリを教えてやると、すぐにおぼえてしまう。ヒデキもルネから『ミドリ色の屋根』のかわいいふりをコーチしてもらったりもした。
「おたがいにがんばろうね!」
 と励まし合ったり、レコードにサインして交換したり。ルネが新曲『小さな生命』を歌って、ヒデキの感想を聞いたりする。
 和気あいあいのムードのうちに、9月上旬ルネ側のクルティエさんと、ヒデキ担当のRCAロビー和田ディレクターらが会談、具体的な意見をかわして、検討を進めた結果、
”ヒデキが海外向けのレコード吹き込みをすることに、両者とも全力をあげる”
 という方針が決定した。これでヒデキは、世界のビッグスターに飛躍するチャンスをつかんだのだ。



 『火曜歌謡ビッグマッチ』の時の写真かどうかは分かりませんが、黒柳徹子さんとのやり取りの場面(※1)が、『中二時代11月号』に掲載された記事(※2)の中にありました。その中に、「インタビュー ルネ・シマール①」で紹介した記事の取材時に撮影された、クローディーヌ・バシャンさんに着付けをしてもらっている楽屋写真(右頁中央下)もありましたのでご覧ください。また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツに投稿されたルネの写真にも、黒柳さんが写っています。森昌子さんや、奥で出番を待つにフィンガー5が写っていますが、この公開番組は何という番組なのでしょう? 黒柳さんの衣装が違うけれど、前出の『火曜歌謡ビッグマッチ』なのでしょうか? ご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお寄せ下さい。よろしくお願いいたします!

 それから、1974年9月20日(金)に東京プリンスホテルでルネと秀樹が対面した時に撮影された写真は、室内と屋外の両方があります。インタビューはホテルの一室で(※4)、2人のツーショット写真はホテルの庭園で撮影が行われたのだと思います。
 私は、2人のファンが押し寄せて混乱することを避けるために、高級ホテルを対面場所に設定したのだと、ずっと思っていました。また、ルネが帰国する当日に取材を入れたのも、多忙を極める2人のスケジュールが、この日しか合わなかったためだと思っていました。でも、2人ともスーツでばっちり決めているのは、カナダと日本のビッグ・アイドル同士の対面だから?…と疑問に思っていたら、1976年にカナダで夏季オリンピックのモントリオール大会が開催されることを受けたカナダ・フェアの開幕式で、ルネがテープカット役として招待されていたかららしいです。「TVfan」に掲載されたルネと秀樹の記事に写真が載っていました。また、開幕式のパーティー(?)で食事をしているルネの様子もありました。その記事については、またの機会に改めて紹介いたします。

▲※1:ルネと黒柳徹子さん(『中二時代11月号』に掲載された記事より抜粋)
▲※2:『中二時代11月号』に掲載された記事

※過去ログ「インタビュー ルネ・シマール①」参照
http://green.ap.teacup.com/rene_simard/610.html

▲※3:『メープル・メイツ』に投稿されたファンからの写真

▲※4『メープル・メイツ』の会報に掲載されたルネと西城氏の写真

 次回のタイトルは、「ルネと秀樹の友情③-『ローラ』をフランス語で-」。過去ログでも紹介しましたが、日本とカナダのスタッフの交渉で、『傷だらけのローラ』の仏語版をカナダやフランス等で売り出すためのプロジェクトが立ち上がりました。カナダに帰国したギー・クルティエ氏が、ノーベル・レコードの総力を挙げてレコード発売までにPR活動を展開し、ルネもケベックでの人気を利用してヒデキを紹介しました(PR活動についてはシリーズ4回に続く)。それについて、以前紹介した記事よりも詳しく書かれていますので、お楽しみに♪


       ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪


            cat猫アスカ通信cat3

 以前にも増して元気いっぱいのシマ姉家の愛猫アスカ。外遊びして帰ってくると必ず体を拭かれるので、最近は「拭く?」なのか「拭いて~」なのか分かりませんが、伏せをして待ち、ゴロゴロのどを鳴らしながら耳から鼻から拭かれています。でも、お腹を拭かれるとじゃれてカミカミケリケリ攻撃★
 また、以前から引き戸は開けられるようになっていたのですが、私たちの部屋から出るのに、ハンドルレバー式のドアノブにジャンプして開ける技を覚えてしまいました。以前から人が開ける様子を見上げていたので、もしかしたらとは思っていたのですが…。でも、レバーを下げて手前に引かなければならないため、レバーを下げて跳び下りた反動でドアが閉まってしまうことも多く、失敗続きで疲れてしまうと、ドアの前で「開けて~~!」と鳴きます。人が開けるのを待って待機していたり…。また、朝冷えるようになってきたので、明け方寒くなると私の布団にやってきて枕にドーンと乗ってゴロゴロ。布団の中に入れたら温かくて気持ちよかったらしく、それ以来布団に入って来るようになってしまいました。起きろと瞼をアマガミしたり、遊んで欲しくてカミカミケリケリしたり…早朝なので、こちらは少々寝不足気味です。


       cloverシマ姉のグリーンライフclover

 職場のパッションフルーツは、今年2株を地植えにしたことが良かったらしく、私の知らない内に地面に落ちて、腐って処分されてしまった分を入れると、全部で50個以上生ったようです。日系ブラジル人の同僚と楽しみにしていたムースを作りました。ブラジル風ムースは、パッションフルーツの中身を種ごと1に対し、コンデンスミルク(果糖練乳)2、エバミルク(無糖練乳)2の割合で混ぜ合わせ、ミキサーにかけるだけの簡単ムース♪ ガラスの器に盛り付けて冷蔵庫で冷やして完成です。パッションフルーツの種はミキサーで粉砕されるので、種そのままが苦手な人には食べやすいです。日本人には少し甘いかもしれませんが、練乳のミルキーなムースの後から、パッションフルーツのさわやかな酸味が口の中に広がって美味しいですよ♡ また、最後の実を使ってパッションフルーツ酒を作ってみました。3日でできるフルーツ酒の作り方で、こちらも効能のあるという皮も一緒にホワイトリカーとグラニュー糖で漬けました。皮の色が溶け出した赤紫で、パッションフルーツの香りがさわやかなお酒ができました。今日、皮と種を取り除いたので、ストレートで楽しもうか、炭酸割りにしようかといろいろ考えています。
 そして、最後の実を収穫して約2週間。ふと気付くと、グリーンカーテン化した蔓に蕾が…。アーチに仕立ててある方にも第2弾の蕾が出ています。南国のフルーツなので、結実しても、霜が降る前に熟すか分かりません。寒さに弱いので、霜が降る前に蔓を切って鉢植えにして室内に入れないといけません。これだけ伸びた蔓を3分の1にするって…無理!! もっと切っても大丈夫なのか…? 今から悩んでいるシマ姉です。

 それから、写真の右の実はアケビです。20代の頃、やんばるさんと待ち合わせた都心の高級デパートの入り口の特設コーナーで、3つ1000円をパック入りで売っていたのを見て驚き、「山へ行け!」と思ったのを思い出しました(笑)。地元の道の駅で見つけ、5つで150円だったので、息子の食育にと、つい買ってしまいました。1番大きな実の、種の周りの甘い部分を味わわせたかったのですが、息子に遠慮されてしまいました。一度やってみたかったので、まわりの部分を肉詰めにして夕飯のおかずにしました。独特の苦みが大人の味でなかなかでしたよ。

 今年は豊作だった枇杷のコンポートに始まり、創作料理に凝った夏でしたが、秋もまだまだ続きそうです。 
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ルネと秀樹の友情①

2013年09月22日 | ルネと西城秀樹
 今回から4回シリーズでお送りするのは、『週刊セブンティーン』に掲載された、ルネ西城秀樹氏が、今から39年前の今日、1974年9月22日(日)に東京プリンスホテルで対面した時の記事です。また、この日はルネの2回目の来日最終日でした。カナダに帰国する直前まで仕事という、カナダでは考えられない過密スケジュールをこなす13歳のルネには脱帽です。

 カナダのスーパー・アイドル、ルネの熱いラヴ・コールによって実現したこの対面は、それだけに止まらず、日本のビッグ・アイドル、ヒデキの『傷だらけのローラ』を、カナダを皮切りに外国でも売り出すというプロジェクトに発展しました。カテゴリ「ルネと西城秀樹」の記事は、全てその関連記事について取り上げたものです。
 先日、『テレビファン』という雑誌にも、同じ取材での記事が掲載されていたことが分かりました。それについてはまたの機会に改めて紹介いたします。

※カテゴリ「ルネと西城秀樹」参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate27/archive 


アイドル情報
国境を越えた
ビッグ・1同士の握手!

==西城秀樹がルネの友情にこたえて
『傷だらけのローラ』をカナダで発表==


 カナダのテレビ、ラジオからヒデキのフランス語の曲が流れる。考えただけでもゾクゾクしちゃう!
 しかも、ヒデキにとって大きなこの出来事にルネの友情があるなんて聞くと、またゾクゾク。


ルネがヒデキのとりこに

 西城秀樹が、カナダの天才少年歌手ルネ・シマールを夢中にさせ、フランス語盤のレコードを吹き込むことになった。
 そのきっかけを作ったのは、ヒデキの新曲『傷だらけのローラ』。ルネがこの歌を初めて聞いたのは、8月27日放送のTBS『火曜歌謡ビッグマッチ』のリハーサル中だった。
 ルネはほとんど日本語がわからないが、『傷だらけのローラ』のヨーロッパ的サウンドがまず胸に迫ったのだ。
 全身から情熱をふりしぼって、絶叫するように歌うヒデキ。ルネとマネジャーのギィ・クルティエさんは思わず、その歌にハートを打たれた。
  ローラ 君は何故に
  ローラ 心をとじて…
 傷ついた恋人を救うために、命のかぎり愛しぬこうと歌う、ヒデキの強烈なラブ・フィーリング!
「なんてすばらしいんだろう! サイジョーはすてきなシンガーだね。歌詞の意味を教えてよ!」
 ルネには通訳の道上さんという人が、いつもそばについている。歌詞を訳してもらったルネは、ますますこの曲が好きになった。
 しかも作詞のさいとう大三さんは、東京音楽祭でグランプリをうけたルネの歌『ミドリ色の屋根』の作詞者でもある。
 さらに『傷だらけのローラ』を作曲した馬飼野康二さんは、『ミドリ色の屋根』のアレンジャーで、東京音楽祭のときはオーケストラを指揮した。
「やっぱりね! 詩も曲も最高だし、サイジョーの歌とアクションが、それに、ぴったりだね。」
 重なる偶然もあって、ルネはすっかりヒデキが好きになってしまった。
 クルティエ・マネージャーも耳をそばだて、ヒデキの歌に聞きほれた。
「これは世界に通じるビッグスターだ! じつにいい、歌唱力もしっかりしているし、タレント性も文句なし」
 クルティエさんは、ただのマネージャーではなかった。ルネの故国のカナダのモントリオールに、ノーベル・レーベルのレコード会社を持っているほか、プロダクションと音楽出版を経営し、十何人ものタレントを抱えている実力者なのだ。
 クルティエさんとルネは『歌謡ビッグマッチ』の本番でも、ヒデキの絶唱ぶりにすっかりコーフンしてしまった。


 続きは「ルネと秀樹の友情②『ヒデキの歌をカナダへ』」で!
 ちなみに、上の記事の背景に薄く写っているのと同じシーンは、過去ログで紹介した記事にもありましたのでご覧ください。(下の記事参照)。 

▲9月20日 東京プリンスホテルで西城秀樹氏と
 (「近代映画」1974年12月号『西城秀樹とスターたち』より)
西城秀樹と………
華麗な歌とダイナミックなアクションがすっかり気に入りファンになったというカナダの少年ルネくんをはじめ最近のヒデキのコンビ特集



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<最新情報>

 去る9月15日にRadio Canadaで放送された"Gala des Gémeaux"はルネが司会を務めた番組で、現在Radio Canadaの映像サイトでご覧いただくことができます。
 
 昨年のミュージカル「雨に唄えば」のために鍛えてスリムになったルネが、歌い踊るオープニングは見ごたえあり! 若いダンサーに全く引けを取りませんsymbol1 素敵に年を重ねた私たちのルネの最新映像をお楽しみくださいね♪(CMをスキップ出来ないのが難点ですが…)
 それから、1時間34分ごろから始まるルネ一家のパロディー「Le bonheur est dans le pouding -幸せはプディングの中に-」はブラックで笑えます(?)。ルネが信じていた幸せは偽物で、美しい妻マリー=ジョゼは醜く年をとったおばちゃん、息子オリビエはグレて引きこもり、娘ロザリーは怪しい宗教に走って警官に補導され、可愛い愛犬は豚、妻の母は万引きの常習犯…。途中、日本の「ミドリ色の屋根」の話題が出たり、ルネが洗面所で"L'oiseau"を歌ったりします。ラスト・シーンでは、料理自慢の義母が愛犬のはずの豚を丸焼きに…というブラック・ユーモア満載な内容です。
 これらの映像がいつまで見られるか分かりませんので、ご覧になりたい方はお早めに!!

▲こちらは中盤1時間14分ごろから始まるミュージカル仕立てのルネの見せ場のラスト・シーン この後の司会中、ちょっと息切れしているルネも可愛いです 黒いコスチュームのルネは舞台中央(写真では中央よりも向かって左寄り)で両手を上げています
  
※René Simard, cap sur les Gémeaux(この番組の紹介記事)
http://www.radio-canada.ca/emissions/pm/2013-2014/chronique.asp?idChronique=311264

※Intégrale du Gala des Gémeaux-Meilleurs moments(Radio Canadaの映像サイト)
http://gemeaux.radio-canada.ca/fr/meilleurs-moments/integrale-du-gala-des-gemeaux/integrale-du-gala-des-gemeaux/

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あこがれのご対面

2013年09月14日 | ルネと西城秀樹
 今週から5回にわたり、ルネ西城秀樹氏の記事を紹介していきます。
 この2人の対面は、『傷だらけのローラ』を聴いて西城氏の歌に惚れ込んだルネの強い希望によって実現し、ルネが帰国する2回目の来日最終日、1974年9月20日に東京プリンスホテルで行われました。また、それによって、氏が同曲をフランス語で歌ってカナダで発売するというプロジェクトが立ち上がり、カナダと日本のアイドル同士の友情として大きく取り上げられました。そのことについては過去ログで紹介していますので、カテゴリ『ルネと西城秀樹』でお読みいただければ幸いです。

※カテゴリ『ルネと西城秀樹』参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate27/archive

右上:「カナダにも来てよ、ヒデキ」とルネがいえば「うん、そして一緒にうたえたらサイコウだね」
 左下:最新LPを交換。「ボク、カナダへ帰ったら毎日このレコード聴くよ」    撮影 松本国彦


あこがれのご対面
 「必ず共演しようネ」
 固い約束を交わしたルネと西城秀樹


 「ヒデキにあえてウレシイヨ」と白いほほを紅潮させたルネ。来日いらいダイナミックな西城秀樹の歌いぶりにすっかり魅せられ、テレビでも”告白”したほどだったが、9月20日、離日直前にやっとご対面が実現した。ところは東京プリンスホテル。「キミのうたはすばらしいネ」と憧れのヒデキにいわれただけで、ルネはもううっとり。『傷だらけのローラ』が欧州で発売されるはなしもあり、世界にはばたくヒデキとルネがそろって外国のステージをふむ日もそう遠くなさそうだ。


 この記事に書かれている「ルネの”告白”」については、次回から紹介する記事に詳しく書かれていましたので、楽しみにお待ちくださいね。


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<最新情報>

 ルネは、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞したことによって世界から注目され、アメリカだけでなく、仏系カナダ人ケベコワの歌手にとって憧れでもあった、念願のフランスでのデビューを果たすことができました。
 フランスでの活動の様子は、過去ログでも何度か紹介してきましたが、映像で観ることはできませんでした。しかし、今回紹介するYouTube映像で、1974年10月に渡仏した時、シルヴィー・バルタンと一緒に乗っていた車(ロールスロイス)でパリ観光するルネの様子や、日本のファースト・コンサートの衣装を着たルネが、日本語で「ミドリ色の屋根」を歌うステージの様子を収めた映像がアップされました。
 フランスで発売された”Les p'tites fillesmodeles”(♪1)を歌うルネも、妹ナタリー・シマールとのデュエット曲”Tout si tu m'aimes”(♪2)を歌う2人もフランスでの映像のようです。前出の2曲を歌うルネの映像が、1974年12月にフランスのオランピア劇場に出演した時のものかどうかは分かりませんが、ルネの3回目の来日前にフランスで歌った時のものであることに間違いはないようです。
 また、姉リンさん、クローディーヌ・バシャンさん、ルネ・アンジェリル氏と一緒にロールスロイスに乗り、ご機嫌で歌を歌いながらパリの町並みを楽しみ、フランスでの仕事先に向かうルネに、飾らない13歳の少年らしい素顔を垣間見ることができますよ♡(アップされている方のサイトの広告が画面にあって邪魔ですが★)

※”L'histoire de René Simard…Archive personnelle de Normand Daoust”

http://www.youtube.com/watch?v=fWySRDQRv7w&feature=share&list=FLX12E-efRQ7oPC3A-ki4poA

▲映像に映っているロールスロイスに乗るルネとシルヴィー・バルタンの記事より

♪Rene Simard-Les p'tites filles modeles(1975)
http://discographiesimard.musicblog.fr/2861221/Rene-Simard-Les-p-tites-filles-modeles-1975/

♪Rene&Nathalie Simard-Tout si tu m'aimes(1988)
http://discographiesimard.musicblog.fr/2866663/Rene-Nathalie-Simard-Tout-si-tu-m-aimes-1988/

※カテゴリ『3回目の来日』参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate25/archive
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