今回から3回に分けて、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞し帰国した後、カナダで過ごした休日についての記事を紹介いたします。
ルネの日本での休日は、遊びを兼ねての取材付き的な休日であったようですが、カナダでの休日は完全オフで、行き先は極秘。家族やごく一部の身近なスタッフのみが知っているだけという徹底ぶり。別荘などを借りて、ルネがゆっくり過ごせるように配慮されていたようです。(でも、ルネ自身が親しいファンに教えていたりして・・・・:ローラさん談 笑)
どこかの記事で、「ルネの行き先を聞いたら、『教えてもいいが、他にもらしたら殺す☆』と脅された」・・・・などと書かれていたのを覚えています。
紹介いたします記事は、1974年、週刊セブンティーン8月20日号№31に掲載された記事です。何故そこまで詳しいかというと、Yahoo!オークションで落札したから(笑)。この号には、ルネのピンナップが2枚付いていて、ラッキーな出物でした。ピンナップの方は両方とも、発売当時、友人からいただいて持っていましたが、記事の方は落札後初めて見ました。
今回は、ルネが東京音楽祭でグランプリを受賞して凱旋した時のカナダの様子が書かれています。そして、その時の様子は、YouTube映像の”Million Dollar Baby 1975 Part.3”でご覧いただくことができます。
ちなみに、Part.1ではファースト・コンサートで”La Mer”を、Part.5ではスプリング・コンサートで”L'ete est la”を歌うルネがご覧いただけます。
※ Rene Simard - Million Dollar Baby 1975
Part.1
http://www.youtube.com/watch?v=ML5voZ_cl_Y
Part.2
http://www.youtube.com/watch?v=YEjF-xxbgJ4
Part.3
http://www.youtube.com/watch?v=BV646ZNavW4
Part.4
http://www.youtube.com/watch?v=WtsYtxbrYwo
Part.5
http://www.youtube.com/watch?v=xX9vfprUMSg
本誌独占 ケベックから500マイルの海辺で夏休みを楽しんでいるルネのカナダ便り
波の音を聞くと
なぜか日本を思い出すの…
7月もおわろうとしているある日、1通の手紙がST編集部にまいこんだ。差出人はルネ。なにしろフランス語で書いてあるので、解読するのに悪戦苦闘! さあ、ルネからキミあての手紙を公開しようネ!
飛行機から馬車に乗って
”親愛なるセブンティーン愛読者のみなさまへーー
ぼくは最高の調子でカナダへもどってきました。
ぼくは、魅力的なあなた方の国で、ぼくが知ることができた、かずおおくのお友だちの親切とあたたかいおもてなしにたいして、心からお礼を申しあげます。ーーー”
ルネ・シマールが、カナダへ帰ってまもなく、ST編集部あてに、こんな手紙がとどいた。
第3回東京音楽祭で話題をさらい、グランプリを受けたとき、顔をくしゃくしゃにさせて喜んだルネ。かわいい大スターのルネは、日本での熱烈な歓迎がよほどうれしかったのだろう。手紙の文字は喜びにはねあがり文面に感謝のことばが書きつらねられていた。
7月14日、おみやげを両手いっぱいにかかえて羽田を飛びたったルネは、何回も何回も、記者団にむかって、こうお別れのことばをのべた。
「8月に、また日本にきます。それを考えるとうれしくて…」
すっかり日本びいきになったルネだが、カナダではトップ・スター中のトップとしてあつかわれている。
なにしろ、モントリオール空港に帰り着いたときは2機のヘリコプターが護衛につき、パレード用に4頭立ての馬車が用意されていた。
しかも空港には、トリュドー大統領がみずから出迎え、帰国歓迎のメッセージを読みあげたという。
東京音楽祭での活躍、日本滞在中のようすが、カナダの新聞にすべて報告され、カナダをあげてルネの応援にやっきになっていたにちがいない。
そのルネが、カナダ人の期待にこたえて、堂々グランプリとシナトラ賞まで獲得してがいせんしたのだから、カナダのファンが熱狂したのもむりはない。
それに、日本のティーンの歓迎ぶりにたいする競争意識もあったのだろう。
「わたしたちのルネをとらないで! ルネはカナダのルネなのよ」
とばかり、空港にはティーンも押しかけ、遠方からマイクロバスで出迎えにきたファンも・・・・。
ルネの日本での休日は、遊びを兼ねての取材付き的な休日であったようですが、カナダでの休日は完全オフで、行き先は極秘。家族やごく一部の身近なスタッフのみが知っているだけという徹底ぶり。別荘などを借りて、ルネがゆっくり過ごせるように配慮されていたようです。(でも、ルネ自身が親しいファンに教えていたりして・・・・:ローラさん談 笑)
どこかの記事で、「ルネの行き先を聞いたら、『教えてもいいが、他にもらしたら殺す☆』と脅された」・・・・などと書かれていたのを覚えています。
紹介いたします記事は、1974年、週刊セブンティーン8月20日号№31に掲載された記事です。何故そこまで詳しいかというと、Yahoo!オークションで落札したから(笑)。この号には、ルネのピンナップが2枚付いていて、ラッキーな出物でした。ピンナップの方は両方とも、発売当時、友人からいただいて持っていましたが、記事の方は落札後初めて見ました。
今回は、ルネが東京音楽祭でグランプリを受賞して凱旋した時のカナダの様子が書かれています。そして、その時の様子は、YouTube映像の”Million Dollar Baby 1975 Part.3”でご覧いただくことができます。
ちなみに、Part.1ではファースト・コンサートで”La Mer”を、Part.5ではスプリング・コンサートで”L'ete est la”を歌うルネがご覧いただけます。
※ Rene Simard - Million Dollar Baby 1975
Part.1
http://www.youtube.com/watch?v=ML5voZ_cl_Y
Part.2
http://www.youtube.com/watch?v=YEjF-xxbgJ4
Part.3
http://www.youtube.com/watch?v=BV646ZNavW4
Part.4
http://www.youtube.com/watch?v=WtsYtxbrYwo
Part.5
http://www.youtube.com/watch?v=xX9vfprUMSg
本誌独占 ケベックから500マイルの海辺で夏休みを楽しんでいるルネのカナダ便り
波の音を聞くと
なぜか日本を思い出すの…
7月もおわろうとしているある日、1通の手紙がST編集部にまいこんだ。差出人はルネ。なにしろフランス語で書いてあるので、解読するのに悪戦苦闘! さあ、ルネからキミあての手紙を公開しようネ!
飛行機から馬車に乗って
”親愛なるセブンティーン愛読者のみなさまへーー
ぼくは最高の調子でカナダへもどってきました。
ぼくは、魅力的なあなた方の国で、ぼくが知ることができた、かずおおくのお友だちの親切とあたたかいおもてなしにたいして、心からお礼を申しあげます。ーーー”
ルネ・シマールが、カナダへ帰ってまもなく、ST編集部あてに、こんな手紙がとどいた。
第3回東京音楽祭で話題をさらい、グランプリを受けたとき、顔をくしゃくしゃにさせて喜んだルネ。かわいい大スターのルネは、日本での熱烈な歓迎がよほどうれしかったのだろう。手紙の文字は喜びにはねあがり文面に感謝のことばが書きつらねられていた。
7月14日、おみやげを両手いっぱいにかかえて羽田を飛びたったルネは、何回も何回も、記者団にむかって、こうお別れのことばをのべた。
「8月に、また日本にきます。それを考えるとうれしくて…」
すっかり日本びいきになったルネだが、カナダではトップ・スター中のトップとしてあつかわれている。
なにしろ、モントリオール空港に帰り着いたときは2機のヘリコプターが護衛につき、パレード用に4頭立ての馬車が用意されていた。
しかも空港には、トリュドー大統領がみずから出迎え、帰国歓迎のメッセージを読みあげたという。
東京音楽祭での活躍、日本滞在中のようすが、カナダの新聞にすべて報告され、カナダをあげてルネの応援にやっきになっていたにちがいない。
そのルネが、カナダ人の期待にこたえて、堂々グランプリとシナトラ賞まで獲得してがいせんしたのだから、カナダのファンが熱狂したのもむりはない。
それに、日本のティーンの歓迎ぶりにたいする競争意識もあったのだろう。
「わたしたちのルネをとらないで! ルネはカナダのルネなのよ」
とばかり、空港にはティーンも押しかけ、遠方からマイクロバスで出迎えにきたファンも・・・・。