今回は、”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”について報じたカナダのルネ記事を紹介するシリーズ第4回(最終回)です。
ルネのセミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”は1972年4月13日(木)から劇場公開されました。ルネ一家はこの日、ケベックの映画館キャピタル・ドゥ・ケベックでこの映画を観賞しています。それについての記事はまた改めて紹介いたします。ルネ一家が映画館に着いたところの写真は、この記事の最後にアップいたしましたのでご覧ください。
▲同名のアルバムより
この映画は、過去ログでも書きましたが、本人が自分自身を演じました。それによって、よりリアルにルネの生活の様子が描かれたと思います。そしてファンにとっては、大好きなスターの家族や実際に住んでいる家を見ることができる、嬉しすぎる映画だったと思います。(そのためオルレアン島にはファンが押し寄せて、ルネが地元の友だちと自由に遊べなくなってしまったりしたのですが…)。
芸術劇場のリサイタル・シーンにおいては、この映画のために再現したのではなく、映画の撮影期間中に行われた実際のリサイタルをそのまま記録したものでした。もちろんこの映画に使うために撮影スタッフが随所に配置されていました。リサイタルの楽屋での様子なども撮影されており、新聞記事でもルネとスタッフの様子が紹介されていました。また、ローラ・シコード(仏語読みでは「ローラ・スコール」)の缶プリンのTVコマーシャル撮影シーンも同様でした。
※YouTube映像"Laura Secord ....Archive personnel de Normand Daoust"
余談ですが、日本でこの映画が「ルネ・オン・メロディ」として公開された時のロビー・カードに、「ローラ・シコード(カナダ軍にアメリカ軍の奇襲作戦の情報を伝えた勇気ある女性)」の伝記映画のものが含まれていたのは、この缶プリンのCMのためだったのですね。カナダで公開された時、このロビー・カードも掲示されていたのかどうか、興味深いところです。しかし、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報やファースト・コンサートのプログラムにも、カナダについての内容が掲載されていたので、1年後のモントリオール・オリンピック開催に向けて、当時まだ知名度の低かったカナダを知ってもらうためのPRも兼ねていたのかもしれません。
それでは、本題の新聞記事の紹介です。
▲ルネのための2つの道(職業)?
開拓されていない才能を
残しておく権利はない-彼の父
左:芸術劇場でルネの兄レジスは、ルネと何曲かを歌う その歌の作詞をしたのはレジス
右:ルネと彼の父は真の友 彼らは一緒に大いなる栄光への道を上る
▲左:ギー・クルティエ夫人は彼女自身で、全く不満の無いように見える神童の髪を整える
右:ダニエル・パシャンは、ルネの兄レジスに心を奪われている 彼は11歳
▲左:舞台に上がる前、クローディーヌ・バシャンは、ルネの衣装の着付けの最終チェックを行う
右:舞台に上がる前に、リシャール・マルタンはルネに最後の指示を与える 彼の芸術劇場のステージは、もちろん映画の一部になるだろう
▲左:第2の保護者であり、興行主でもあるギー・クルティエは映画監督ドゥニ・エルーと最終の脚本を作成する
右:ルネの舞台終了後、ルネの妹ナタリーはこのように幾つかの贈り物を受け取る
▲ルネ・シマールは彼のパパを伴い、その他の家族を連れて映画館キャピタル・ドゥ・ケベックに到着した
まだたった10歳(最後の写真も11歳になったばかり)のルネ。すでに大人顔負けのプロ根性で仕事をやり抜いていたといえ、この天使のような愛くるしさが、ケベックのお母さんたちのハートを撃ち抜いたというのは納得がいきます。特に最後の映画館到着の写真は、一瞬ナタリーかと思うほど女の子みたいに可愛らしいですね
そして次回紹介する記事は、「カナダからきた歌う星の王子さま」です。お楽しみに!!
ルネのセミ・ドキュメンタリー映画”Un Enfant Comme Les Autres-普通の子供-”は1972年4月13日(木)から劇場公開されました。ルネ一家はこの日、ケベックの映画館キャピタル・ドゥ・ケベックでこの映画を観賞しています。それについての記事はまた改めて紹介いたします。ルネ一家が映画館に着いたところの写真は、この記事の最後にアップいたしましたのでご覧ください。
▲同名のアルバムより
この映画は、過去ログでも書きましたが、本人が自分自身を演じました。それによって、よりリアルにルネの生活の様子が描かれたと思います。そしてファンにとっては、大好きなスターの家族や実際に住んでいる家を見ることができる、嬉しすぎる映画だったと思います。(そのためオルレアン島にはファンが押し寄せて、ルネが地元の友だちと自由に遊べなくなってしまったりしたのですが…)。
芸術劇場のリサイタル・シーンにおいては、この映画のために再現したのではなく、映画の撮影期間中に行われた実際のリサイタルをそのまま記録したものでした。もちろんこの映画に使うために撮影スタッフが随所に配置されていました。リサイタルの楽屋での様子なども撮影されており、新聞記事でもルネとスタッフの様子が紹介されていました。また、ローラ・シコード(仏語読みでは「ローラ・スコール」)の缶プリンのTVコマーシャル撮影シーンも同様でした。
※YouTube映像"Laura Secord ....Archive personnel de Normand Daoust"
余談ですが、日本でこの映画が「ルネ・オン・メロディ」として公開された時のロビー・カードに、「ローラ・シコード(カナダ軍にアメリカ軍の奇襲作戦の情報を伝えた勇気ある女性)」の伝記映画のものが含まれていたのは、この缶プリンのCMのためだったのですね。カナダで公開された時、このロビー・カードも掲示されていたのかどうか、興味深いところです。しかし、ルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報やファースト・コンサートのプログラムにも、カナダについての内容が掲載されていたので、1年後のモントリオール・オリンピック開催に向けて、当時まだ知名度の低かったカナダを知ってもらうためのPRも兼ねていたのかもしれません。
それでは、本題の新聞記事の紹介です。
▲ルネのための2つの道(職業)?
開拓されていない才能を
残しておく権利はない-彼の父
左:芸術劇場でルネの兄レジスは、ルネと何曲かを歌う その歌の作詞をしたのはレジス
右:ルネと彼の父は真の友 彼らは一緒に大いなる栄光への道を上る
▲左:ギー・クルティエ夫人は彼女自身で、全く不満の無いように見える神童の髪を整える
右:ダニエル・パシャンは、ルネの兄レジスに心を奪われている 彼は11歳
▲左:舞台に上がる前、クローディーヌ・バシャンは、ルネの衣装の着付けの最終チェックを行う
右:舞台に上がる前に、リシャール・マルタンはルネに最後の指示を与える 彼の芸術劇場のステージは、もちろん映画の一部になるだろう
▲左:第2の保護者であり、興行主でもあるギー・クルティエは映画監督ドゥニ・エルーと最終の脚本を作成する
右:ルネの舞台終了後、ルネの妹ナタリーはこのように幾つかの贈り物を受け取る
▲ルネ・シマールは彼のパパを伴い、その他の家族を連れて映画館キャピタル・ドゥ・ケベックに到着した
まだたった10歳(最後の写真も11歳になったばかり)のルネ。すでに大人顔負けのプロ根性で仕事をやり抜いていたといえ、この天使のような愛くるしさが、ケベックのお母さんたちのハートを撃ち抜いたというのは納得がいきます。特に最後の映画館到着の写真は、一瞬ナタリーかと思うほど女の子みたいに可愛らしいですね
そして次回紹介する記事は、「カナダからきた歌う星の王子さま」です。お楽しみに!!