今から37年前の1976年7月17日(日本時間18日)モントリオール・オリンピックの開会式が開催されました。そして7月21日には、ルネが歌うモントリオール・オリンピックのテーマ曲「モントリオール讃歌(英語版Welcome to Montreal)」(CBS SONY 06SH20, 45rpm Single) が日本で発売されました。
日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツ」のメープル・ニュースで、ルネの「モントリオール讃歌」は、8月1日の閉会式に歓迎の歌として歌われると書かれていました。しかし、モントリオールを強調しすぎたその歌詞からか、各メディアからボイコットされてしまいました。そしてそれによって、著名な作曲家からなるCOJOが、最優秀作品に2万ドルの賞金をつけて「送別の歌」を一般公募しました。エステル・サントゥ=クロワの歌う”Je t'aime(Yes I love you)”がその「送別の歌」だそうです。それは「歓迎の歌」として作られたルネの”Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)”とは、全くイメージの違う曲でした。YouTubeにその映像が紹介されていますのでご覧ください。また、以前紹介いたしましたセルジュ・ラプラードゥ氏の”Vive les Jeux olympiques”は彼が個人的に作った歌で、公式な曲ではないのだそうです。
♪YouTube”Estelle Sainte-Croix - Je t'aime(Yes I love you)Olympiques 76”http://youtu.be/Ty7aaSM62S0
ルネの1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売された「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montreal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)はボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。
この「モントリオール讃歌Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)」とオリンピックのテーマ曲は、 カナダのピアニストであり作曲家でもあったアンドレ・マチューの「ピアノ協奏曲第4番」を編曲したものでした。
このアンドレ・マチュー、ファースト・ネームが「ルネ」で、誕生日が2月18日! そして、4歳にして作曲を始め、6歳で初リサイタル…という「カナダのモーツァルト」と称される天才作曲家でした。
そのケベック出身の天才作曲家の曲を、これまた10歳で歌手デビューし、次々とケベックのレコード売り上げの記録を塗り替え、若干14歳で並みいる大人の歌手を抑えて第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したルネが、自ら作詞した歌を歌ったのですから、それはもう、世界に名だたるケベックの天才2人のコラボレーションとして話題性は十二分だったことでしょう。ノーベル・レコードとしても、フランスやアメリカでルネを活動させていた頃でしたから、力を入れていたプロジェクトだったと思います。そして、ケベックのカナダ独立運動が盛んだったこの当時、モントリオールを、そして仏系カナダ、ケベック州を世界にPRするために、当時のモントリオール市長ジャン・ドラポー氏が仕組んだ策略だったに違いありません。それもあって、歌詞に「モントリオール」が繰り返されるルネ作詞の「モントリオール讃歌」が、カナダの各メディアからボイコットされたのではないかと、私は勝手に推測しています。
また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報の裏表紙には、山上路夫氏による日本語詞が付けられた楽譜が掲載されており、宮住氏のエッセイから、日本語で吹き込んだ「モントリオール讃歌」を発売するプロジェクトが組まれ、ルネの変声によって変更を余儀なくされたのではないかと推測されました。ルネの来日が減って、ルネ・ブームが冷めかけていた時に、モントリオール・オリンピックの公式ソングをルネが歌うというのは、これまた話題性十分でCBSソニーもレコード発売に大乗り気だったそうです。日本のスタッフはボイコットされた事実を知っていたのかどうかは分かりませんが、日本でも、ルネの「モントリオール讃歌」はビジネス・チャンスだったのですね。
「モントリオール讃歌」の作曲家であるアンドレ・マチューについて調べてみました。
アンドレ・マチュー(1929 - 1968)
・本名:ルネ=アンドレ=ロドルフ・マチューRené André Rodolphe Mathieu
・1929年2月18日生まれ
・カナダ ケベック州 モントリオール出身
・父:ロドルフ・マチュー(音楽教師 作曲家)
・母:ウィレミーヌ=ガニョン・マチュー(チェリスト 教師)
・生後4カ月で最初の言葉を発し、7カ月で歩く
・彼の父は最初、音楽を教えることに消極的で、ピアノに触れることを禁じたが、彼の才能を認め音楽教育を行った
・4歳で作曲を始める
・1935年2月25日 6歳の時、モントリオールのリッツ・カールトン・ホテルで初リサイタル
・1936年 CBCネットワークでソリストとしてのピアノと管弦楽の協奏曲第1番を発表
・1939 年3月26日 パリのリサイタルの成功により、「カナダのモーツァルト」と称される
・1941年 12歳の時、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの100周年を記念した作曲コンクールで優勝
・カーネギー ホールでピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ第2を演奏
・1943年モントリオールに帰り、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェルと彼自身の作品を演奏するコンサートを多数行った
・1946年パリへ留学するがうまくいかず、孤独とホームシックのため1947年にモントリオールに戻る
・1960年 マリー=アンジュ・マシコットと結婚したが、アンドレのアルコール依存症や感情的な問題のために結婚生活は短かった
・1968年6月2日に39歳の若さでで急逝
「カナダのモーツァルト」とまで言われ、ラフマニノフに「私よりも天才」とまで言わしめたマチューの曲は、フィギュア・スケートでカナダの選手が好んで使用するそうです。以前には、ケビン・レイノルズが前出の「ピアノ協奏曲第4番」を使用。その大会のフリーで踊った「ケベックの協奏曲」もマチューの作曲で、ラフマニノフに似た甘いピアノ協奏曲だそうです。レイチェル・フラットも以前にこの曲使っており、「カナダ選手がマチューの曲を使うのはお約束になりつつあるのか」と書いている方もいらっしゃいます。
12歳頃に書いたというマチューの「ピアノ協奏曲第4番」は、中間の美しいメロディが、ルネの歌ったモントリオール・オリンピックのテーマ音楽になっているので、是非お聴きになってください。
♪1976 モントリール オリンピック・カンタータ
http://www.youtube.com/watch?v=b5KYQ5KF5TQ&feature=related
♪ルネの「モントリオール讃歌」(公式テーマ曲)
http://www.youtube.com/watch?v=43kJRphn1Gw
<参考>”Symphonie Romantique (Concerto de Québec)”
第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=u8PG1Pu9Oxg&feature=related
第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=QA75V7Xk4jM&feature=relmfu
モントリオール・オリンピックは、ルネの「モントリオール讃歌」のボイコットやストライキによる工事の遅れなど、波乱含みの問題が多い大会だったことは過去ログで何度も取り上げていますので、カテゴリ「モントリオール讃歌」でお読みください。
※カテゴリ「モントリオール讃歌」参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive
ルネとアンドレ・マチュー。マチューは若くして亡くなりましたが、ルネにはいつまでも元気で活躍してほしいですね!!
日本のルネ・シマール・ファン・クラブ「メープル・メイツ」のメープル・ニュースで、ルネの「モントリオール讃歌」は、8月1日の閉会式に歓迎の歌として歌われると書かれていました。しかし、モントリオールを強調しすぎたその歌詞からか、各メディアからボイコットされてしまいました。そしてそれによって、著名な作曲家からなるCOJOが、最優秀作品に2万ドルの賞金をつけて「送別の歌」を一般公募しました。エステル・サントゥ=クロワの歌う”Je t'aime(Yes I love you)”がその「送別の歌」だそうです。それは「歓迎の歌」として作られたルネの”Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)”とは、全くイメージの違う曲でした。YouTubeにその映像が紹介されていますのでご覧ください。また、以前紹介いたしましたセルジュ・ラプラードゥ氏の”Vive les Jeux olympiques”は彼が個人的に作った歌で、公式な曲ではないのだそうです。
♪YouTube”Estelle Sainte-Croix - Je t'aime(Yes I love you)Olympiques 76”http://youtu.be/Ty7aaSM62S0
ルネの1975年9月にモントリオール・オリンピック公式ソングとして発売された「モントリオール讃歌」の仏語版"Bienvenue a Montreal" (Nobel NL-5713, 45rpm Single)と英語版"Welcome to Montreal"(Nobel NL 5714, 45rpm Single)はボイコットされたためもあり、オリンピックが終わった翌1976年9月に再度発売されていました。
この「モントリオール讃歌Bienvenue à Montréal(Welcome to Montreal)」とオリンピックのテーマ曲は、 カナダのピアニストであり作曲家でもあったアンドレ・マチューの「ピアノ協奏曲第4番」を編曲したものでした。
このアンドレ・マチュー、ファースト・ネームが「ルネ」で、誕生日が2月18日! そして、4歳にして作曲を始め、6歳で初リサイタル…という「カナダのモーツァルト」と称される天才作曲家でした。
そのケベック出身の天才作曲家の曲を、これまた10歳で歌手デビューし、次々とケベックのレコード売り上げの記録を塗り替え、若干14歳で並みいる大人の歌手を抑えて第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を獲得したルネが、自ら作詞した歌を歌ったのですから、それはもう、世界に名だたるケベックの天才2人のコラボレーションとして話題性は十二分だったことでしょう。ノーベル・レコードとしても、フランスやアメリカでルネを活動させていた頃でしたから、力を入れていたプロジェクトだったと思います。そして、ケベックのカナダ独立運動が盛んだったこの当時、モントリオールを、そして仏系カナダ、ケベック州を世界にPRするために、当時のモントリオール市長ジャン・ドラポー氏が仕組んだ策略だったに違いありません。それもあって、歌詞に「モントリオール」が繰り返されるルネ作詞の「モントリオール讃歌」が、カナダの各メディアからボイコットされたのではないかと、私は勝手に推測しています。
また、日本のルネ・ファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報の裏表紙には、山上路夫氏による日本語詞が付けられた楽譜が掲載されており、宮住氏のエッセイから、日本語で吹き込んだ「モントリオール讃歌」を発売するプロジェクトが組まれ、ルネの変声によって変更を余儀なくされたのではないかと推測されました。ルネの来日が減って、ルネ・ブームが冷めかけていた時に、モントリオール・オリンピックの公式ソングをルネが歌うというのは、これまた話題性十分でCBSソニーもレコード発売に大乗り気だったそうです。日本のスタッフはボイコットされた事実を知っていたのかどうかは分かりませんが、日本でも、ルネの「モントリオール讃歌」はビジネス・チャンスだったのですね。
「モントリオール讃歌」の作曲家であるアンドレ・マチューについて調べてみました。
アンドレ・マチュー(1929 - 1968)
・本名:ルネ=アンドレ=ロドルフ・マチューRené André Rodolphe Mathieu
・1929年2月18日生まれ
・カナダ ケベック州 モントリオール出身
・父:ロドルフ・マチュー(音楽教師 作曲家)
・母:ウィレミーヌ=ガニョン・マチュー(チェリスト 教師)
・生後4カ月で最初の言葉を発し、7カ月で歩く
・彼の父は最初、音楽を教えることに消極的で、ピアノに触れることを禁じたが、彼の才能を認め音楽教育を行った
・4歳で作曲を始める
・1935年2月25日 6歳の時、モントリオールのリッツ・カールトン・ホテルで初リサイタル
・1936年 CBCネットワークでソリストとしてのピアノと管弦楽の協奏曲第1番を発表
・1939 年3月26日 パリのリサイタルの成功により、「カナダのモーツァルト」と称される
・1941年 12歳の時、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの100周年を記念した作曲コンクールで優勝
・カーネギー ホールでピアノと管弦楽のためのコンチェルティーノ第2を演奏
・1943年モントリオールに帰り、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、リスト、ドビュッシー、ラヴェルと彼自身の作品を演奏するコンサートを多数行った
・1946年パリへ留学するがうまくいかず、孤独とホームシックのため1947年にモントリオールに戻る
・1960年 マリー=アンジュ・マシコットと結婚したが、アンドレのアルコール依存症や感情的な問題のために結婚生活は短かった
・1968年6月2日に39歳の若さでで急逝
「カナダのモーツァルト」とまで言われ、ラフマニノフに「私よりも天才」とまで言わしめたマチューの曲は、フィギュア・スケートでカナダの選手が好んで使用するそうです。以前には、ケビン・レイノルズが前出の「ピアノ協奏曲第4番」を使用。その大会のフリーで踊った「ケベックの協奏曲」もマチューの作曲で、ラフマニノフに似た甘いピアノ協奏曲だそうです。レイチェル・フラットも以前にこの曲使っており、「カナダ選手がマチューの曲を使うのはお約束になりつつあるのか」と書いている方もいらっしゃいます。
12歳頃に書いたというマチューの「ピアノ協奏曲第4番」は、中間の美しいメロディが、ルネの歌ったモントリオール・オリンピックのテーマ音楽になっているので、是非お聴きになってください。
♪1976 モントリール オリンピック・カンタータ
http://www.youtube.com/watch?v=b5KYQ5KF5TQ&feature=related
♪ルネの「モントリオール讃歌」(公式テーマ曲)
http://www.youtube.com/watch?v=43kJRphn1Gw
<参考>”Symphonie Romantique (Concerto de Québec)”
第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=u8PG1Pu9Oxg&feature=related
第2楽章
http://www.youtube.com/watch?v=QA75V7Xk4jM&feature=relmfu
モントリオール・オリンピックは、ルネの「モントリオール讃歌」のボイコットやストライキによる工事の遅れなど、波乱含みの問題が多い大会だったことは過去ログで何度も取り上げていますので、カテゴリ「モントリオール讃歌」でお読みください。
※カテゴリ「モントリオール讃歌」参照
http://green.ap.teacup.com/applet/rene_simard/msgcate12/archive
ルネとアンドレ・マチュー。マチューは若くして亡くなりましたが、ルネにはいつまでも元気で活躍してほしいですね!!