ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネの記念誌⑧

2022年07月02日 | ルネの活動記録

 7月7日はルネの妹ナタリー・シマールの53歳の誕生日です。

 ナタリーは、減量手術により体重を減らすことで、彼女の生活を改善しました。 結果として得られたメリットにより、彼女は自分のアプローチを一般の人々と共有したいと考えました。 肥満は糖尿病、高血圧、心血管疾患、さらには癌などのさまざまな健康問題に関連しているため、健康的な減量、良い生活、自尊心を提唱する専門家の専門知識を雑誌にまとめました。

 痩せて若々しくきれいになったナタリーが発刊している雑誌は、”Simplement bien avec Nathalie”。facebookでも同名のグループを立ち上げて活動しています。

 1974年、ルネが第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞して凱旋帰国した際、月刊明星の記者等がルネを追いかけてケベックまで取材に行き、当時5歳になったばかりの可愛いナタリーも注目されました。その時の記事の別バージョンを紹介いたします。
 印刷自体がぶれているので、拡大しても鮮明な画像が得られなくて残念ですが、ルネの日本土産と一緒に撮影した写真は貴重なカラー版です。 

 


カナダから秋の匂いを持って来ました
22日、ファミリー写真をお土産に再来日したルネ君の”コンニチワ”

 東京音楽祭でグランプリをとったルネ君が、8月22日また日本にやってきた。
 カナダに帰ったルネ君は、13歳の少年にもどって、7人の兄弟たちとケンカをしたり、泳ぎにいったりの夏休み。妹のナタリーちゃん(4才)のいいお兄さん
 右の写真は日本土産のキモノを着て勢ぞろいしたルネ君一家。
 夏休みを終えてルネ君は、カナダのテレビに出演、受賞曲”ミドリ色の屋根”を披露するなど大活躍。この前の来日はパパがつきそっていたがこんどはママがいっしょ。


▲左は上の集合写真の白黒版です。弟ジャン=ロジェがいないのは、サマー・キャンプに参加していたから(本人からの証言より)

※注:記事でナタリーは4才と有りますが、ナタリーは1969年7月7日生まれなので、取材当時は満5歳でした。


 そして、いよいよ7月8日(金)から8月27日(土)まで、ルネを筆頭に、出演者、スタッフ、そしてたくさんのファンの方々が待ち望んでいた舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』がMaison des Arts Desjardins Drummondvilleで開演されます 音楽の要素無しの舞台にルネが初めて挑んだドタバタコメディー! 今からワクワクしますね


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 teacup byGMOのサービス終了まであと1か月を切りました。

 すでにこちらのgoo blogへ移転作業が完了し、並行して記事投稿を進めています。ブログ開設17年目を迎えた当ブログは、ケベック国家勲章を受章したルネを、これからもずっと応援しながら、まずは確実にブログ成人式(開設18年)を迎えられるように頑張ります!!

 


 そして今回で「ルネの記念誌」の紹介も8回目になります。

 ルネ・シマールは90年代に活動を多様化しました。彼はすでにテレビのバラエティ番組で活躍していましたが、現在はさまざまな役割で活躍しています。 したがって、彼は10年の最初の3つの「Bye-byeバイバイ」でドミニクミシェルと楽しみました。
 1991年と1992年に、彼は「Gala de l’ADISQ」を主催しました。 翌年、彼は47枚目のアルバムである「E=MC2」をリリースしました。 彼は曲、ミュージシャン、コラボレーター、さらにはカバーのデザインを選ぶプロセス全体に深く関わっていたので、ルネはこのプロジェクトの失敗を懸命に受け止めました。
 ルネのその後のキャリアは、特にジュディス・ベラールと一緒に演じた「Jeanne-la-Pucelle処女ジャンヌ(ジャンヌ・ダルク)」によって導かれ、舞台に向かっていました。 1990年の終わりに、彼はトロントで発表された「The Phantom of the Operaオペラ座の怪人」の主役を獲得しました。
 個人的には、ルネは圧倒されました。彼の美しいマリー・ジョゼは忠実な共犯者であり続けました。 配偶者は、1980年にオリヴィエを迎え、1991年にロザリーを迎えたときに両親になりました。

 E=MC2の経歴において彼の最も個人的なアルバムの発売のために、ルネは彼の家族を伴っていました。 左から右に、母親の夫であるレオン、兄マルタンとレジス、妹ナタリー、ルネ、母ギャビーがいます。(記事左上参照)

 1991年、ルネ・シマール、ドミニク・ミシェル、パトリス・レクイエ、イヴ・ジャックが取り組んだ年末のレビューには、300万人以上の視聴者が集まりました。 成功!

 彼の伝染性の笑いで知られている、ルネ・シマールは1998年に「Fais-moi rire私を笑わせて」 を主催しました。このショーでは、コメディアンが交代で有料の参加者を笑わせました…彼らの真剣さを保つために!(記事左下参照)

 数年間、ルネ、マリー=ジョゼとその子供たち、オリヴィエとロザリーは、ケベック人工内耳研究財団に利益をもたらすために、ヴィユ・ロレーヌでFanto Feteファントフェットゥを組織しました。 コスチューム、恐ろしい装飾、そしてお菓子は、小さな子供たちの喜びのためのメニューでした。

 次回は今回の見開きの右ページの紹介になります。

 さらに、7月8日に初演を迎える舞台劇『Le Dîner de cons 奇人たちの晩餐会』の第1報をお届け出来ることを、私自身が一番期待しています

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