ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネの記念誌①

2022年05月08日 | ルネの活動記録

 今日は母の日item2

 それなのに、うっかり3回目のコロナワクチン接種の予約を入れてしまいました★ 1回目と2回目はファイザーでしたが、今回はモデルナで、予約時間は9時です★ 送迎は主人にお願いしています。 

 実家の母にはプレゼントを準備していますので、昨日義父が採って来た筍で作った筍尽くしの差し入れと一緒に届けます。私へのプレゼントには、「食事を作らなくていい1日」を希望(笑)。朝は母への差し入れを作るので、昼食と夕食に期待♪ 副反応で寝込んだら、明日は食事を作れない1日?!(爆) 

 ルネ友のみなさまも素敵な1日をお過ごしくださいsymbol1


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 ルネのデビュー50周年記念誌の紹介が終わりました。

 今回から、ルネの53枚目のアルバム「Condorとセットで発売されたデビュー50周年記念誌を取り上げていく予定でしたが、teacupブログサービスの終了に伴う、goo blogへの移転作業のため、予定を変更して、デビュー25周年記念誌以降に発刊された写真集(?)「ALBUM EV PHTOS」を紹介いたします。この本の写真は、過去ログで部分的に紹介していましたが、改めて全ページ紹介いたします。

 そして、今回のシリーズに入る前に、カナダ・ケベック時間の昨年12月5日(日)午後7時30分から放映された、ルネのデビュー50周年記念ドキュメンタリー番組René Simard, 50 ans d’amourルネ・シマール、50年の愛」がYouTubeにアップされていましたので紹介いたします。
 日本はTVAがネット配信した映像を観ることのできるエリアではなかったため、当ブログでその映像をアップできませんでしたが、お友だちのジョアンヌさんから送られた、番組のスクリーンショット画像(私のものも含む)をお借りして、その番組の概要は過去ログで紹介していました。

※過去ログ「ルネのデビュー50周年記念誌⑭」参照
https://green.ap.teacup.com/rene_simard/1188.html

 全編1時間11分25秒の映像ですsymbol1 90分の特別番組で放映された映像のコマーシャルは抜かれていますので、じっくり楽しんでいただけたら幸いです♪(ただし、YouTube映像はいつ削除されるか分かりません。特に今回は番組がそっくりアップされていますので、私が記事で紹介したことによって通報され、削除に至ることも考えられますので、ご覧になる方はお早めに!!



 また、現在ルネは精力的に活動しています!!

 1つ目。5月4日(水)午後9時に(ケベック時間)、ジュスト・ルブランの番組「Bonsoir Bonsoir! ボンソワール ボンソワール!」に7月8日からMaison des arts Desjardins Drummondvilleで開演される「Le Diner De Cons奇人たちの晩餐会のPRのために出演しました。
https://www.facebook.com/watch/?v=2132956886871937


 2つ目。翌5月5日(木)の朝(ケベック時間)、Pénélopeの「Ma vie en 5 chansons 5曲の私の人生」のセグメントに参加しました。ルネは5曲の選択に苦労し、彼を有名にした重要な曲である「L'oiseau 鳥」に加え、日本への強い愛着とシャルル・アズナヴールの表紙を想起させるタイトルを特に選びました。
https://ici.radio-canada.ca/ohdio/premiere/emissions/penelope/segments/entrevue/400459/rene-simard-chanteur-carriere-vie?fbclid=IwAR1au6c4_1VAoY73y6hYNcM91PrhBk1jtXY2X3Yh40Uk3Xudt2CHruN4iM4

※この番組を聴くためには登録手続きが必要です。指示通り「メールアドレス→パスワード→氏名」と入力したのですが、日本は聞けないエリアようです。残念! ルネが選んだ5曲は「L'oiseau鳥」, 「Midori Iro No Yaneミドリ色の屋根」, 「Un enfant comme les autres普通の子供」, 「Hier encore帰り来ぬ青春(シャルル・アズナブール)」, 「Condorコンドル」だそうですsymbol1

 3つ目。5月6日(金)21時(ケベック時間)よりTélé-Québecで「Deux hommes en or 2人の黄金の男」に出演しました。再放送は8日(日)21時、9日(月)13時と22時。


 パトリック・ラガセ、ピエール・イヴ・ロール、ロザリー・ボナンファンがルネ・シマールの50年のキャリア、行進曲「私たちの子供たちのためのパンと森」、ケベックでの中絶反対運動「この悪夢が終わったら私を起こしてください」、「1度に1つの笑顔、人道的な道化師の物語」と新聞の新しいコラムニストについて語りました。
https://youtu.be/dtXls2BcHGk (限定公開)



 ルネがいろいろな番組に出演しながら、covid-19のために2回延期になったLe Diner De Cons奇人たちの晩餐会にどれだけ心力を注いでいるか分かりますね!

 ルネがバリバリ頑張っているのだから、私もブログ移転と書籍化頑張らないとっっ!!! しかし! ルネの活動が増えると、記事の加筆に追われて、移転作業が思うように進まないというジレンマに陥りながらも、嬉しい悲鳴を上げているシマ姉です(爆★)。



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 前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 今回からのシリーズは全11回。そこに「ブログ開設記念日」と「ルネ記念日」を加えると、teacupブログサービス終了までの期間で完了します。

 第1回は、ルネがデビューしてケベックのアイドルになるまでのお話です。


 彼は幼い頃に全盛期を迎え、すぐにケベックの人々の大切な子供になりました。 ルネ・シマールは、わずか9歳のときにケベック州を魅了し、彼の優れた才能は彼を日本まで連れて行きました。若い歌手が最高峰に到達したのは、努力や犠牲なしではあり得ませんでした。 彼の家族と彼の忠実な恋人、マリー=ジョゼ・テユフェに囲まれ、ルネ・シマールは文化ニュースの重要な人物であり、確かに長い間そうあり続けることでしょう。



 Le gamin haut comme trois pommes(リンゴ3個の背の高さの少年)は、後にダンスのステップを巧みに実行する魅力的な若者になり、地球の残りの部分に立ち向かう前に、ケベック全体を魅了しました。
 1961年2月28日、シクーティミで生まれた<小さなシマール(シマール家の子ども)>は、オルレアン島で育ちました。 彼は1970年にLes Découvertes de Jen Roger(ジャン・ロジェの発見)のコンテストで優勝した後、Guy Cloutierの管理の下で発見され、その後成功を収めました。ルネ・シマールがわずか9歳のとき、L’oiseau(鳥)で15万部以上の売り上げを記録し、同じ月にla Place des Arts芸術劇場の舞台で3回連続で出演しました。
 彼はローラ・スコールのプリンの広告のスターで、ドキュメンタリー映画Un enfant comme les autres(普通の子供)の主役であり、1973年に映画J'ai mon voyageでドミニク・ミシェルと一緒に出演しました。
 1974年は、ルネが日出ずる国のフェスティバルにカナダ代表で出場することにより、何百万人もの日本人の心をつかんだ時、ルネの国際的な人気が始まりました。 彼は東京音楽祭世界大会で大賞を受賞しました。


 すでにホッケー・ファンであった小さなシマールは、偉大なギイ・ラフルール、別名le Demon blond(金髪の悪魔)に会う前に、カナディアンズの練習に招待されるという特権を持っていました。

※カナディアンズの伝説的なホッケー選手であったギイ・ラフルールは、去る4月22日(金)に肺がんによる長い闘病生活の末、70歳で亡くなりました。ケベックでは彼の死を悼んで深い悲しみに包まれ、ルネも追悼のメッセージを公式ページに投稿しました。氏のご冥福をお祈りいたします。

 そして、4月23日、facebookにルネとラフルール氏の記事をアルバムで投稿。4月24日早朝、ルネの公式ページのコメントとメッセンジャーにも、このルネとラフルール氏の記事を投稿したところ、私のコレクション(下の左の記事)を使ってルネの公式ぺージに次のような投稿がありましたsymbol4 


C’était pour moi, un moment mémorable.
Mes condoléances à toute la famille, nous sommes avec vous de tout cœur.

それは私にとって忘れられない瞬間でした。
ご家族の皆様、心よりお見舞い申し上げます。


※Guy Lafleur s’éteint à 70 ans
https://www.tvanouvelles.ca/2022/04/22/guy-lafleur-seteint-a-70-ans?fbclid=IwAR23VSt1AD4iwv-pFS-UYM8--n7NGVAA6UDk6V0yHITq-WCxlv_KfswkNos


 ルネ・シマールは、Les Découvertes de Jen Rogerプログラムで最優秀賞を受賞したのはわずか9歳でした。 翌年、ギィ・クルティエは彼の中にスターの才能を見ました。


 1972年、私たちはすでに、少年の人生についてのドキュメンタリー、その中で彼が歌い、家族と交流しているのが見られる「Un enfant comme les autres普通の子供」を撮影していました。

 ルネと彼の兄レジスは、1973年に、ドミニク・ミシェルとジャン・ルフェーブルと並んで、デニス・エルーによる映画「J’ai mon voyage」で、映画の最初の一歩を踏み出しました。


▲ローラ・スコールのプリンのテレビ・コマーシャル

« HAUT COMME TROIS POMMES »
 「3つのリンゴのように背が高い」という表現は、非常に背が低い人、多くの場合子供を指すために使用されます。この表現は20世紀後半に文献で広く普及したようであり、現在では、世紀の初めのように低身長の成人を指定するのではなく、特に平均年齢よりも小さい子供に一般的に使用されています。



<ルネとギィ・ラフルール氏の画像のこと>
 ルネはメッセンジャーで送った私のコレクション画像に初の返信symbol1 その間何と4分!! その後に送ったメッセージにもすぐに既読が付きました! その1時間後にはルネが記事画像を使って前出のメッセージを公式ページに投稿! もちろん私もコメントを書き込みました♪ ルネと一瞬でもリアルタイムで繋がっていられたことは時差を考えても奇跡に近く、この最高の瞬間に、しばらく舞い上がっていたシマ姉でした(笑) また、この記事が投稿された段階で、この画像のシェア数は425件! 「超いいね」や「大切だね」の総数は5350、コメント数は322♪ さらに増えています。私の願いは、私がいなくなる前に、少しでも多くのファンの方たちに、私のルネのコレクションを共有していただくことです。ルネが公開したことによって、より多くのファンの方にシェアしていただけたというのは、ラッキーなことでした。これからさらに拡散されることでしょう♪(ハート模様の猫画像の例もありますので 笑)


 ケベックのママのアイドルだった頃のルネ、ちっちゃくて可愛かったですねsymbol1 来日当時でさえ、私より小さかったのですから、「リンゴ3個の背の高さの少年」と表現されても仕方ありません。現在の身長は約5フィート9インチ(175.26cm位)ですが、「こんな可愛い子なら息子にしたい」と思う気持ちが分かるようになったのは、やはり年のせいですね~(爆)。

 そして、またまた3部構成になってしまいました~~★ さっくりとした記事で乗り切ろうと思っているのに~っ! でも、ルネの情報がたくさん有るのはファンとして嬉しいですねっ!!
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