教室を出たところで後ろから声をかけられた。
「桜井ー、桜井浩介ー。レポートもう出したー?」
「これから出しにいくとこー」
出そうとしているレポートをひらひら振りながら答える。
「ごめん、オレ、サークル遅れちゃいそうだからさー」
「ああ、一緒にだしとくよ?」
「助かる! よろしくな!」
拝まれながらレポートを渡される。
実はこれで3人目だ。
「また明日ー」
手を振って見送ったあと、レポートの名前を確認する。同じ講義を受けている奴だとは分かっていたけれど、名前は覚えていなかった。なかなか覚えられない。向こうはおれのフルネームまで知っていたのに。
「………」
急いで研究室にレポートを提出しにいき、校舎をでる。
同じ年代の学生達がわらわらと歩いている。笑い声があちらこちらから聞こえてくる。
「………」
テレビの中みたいだ。と思う。
色褪せていて、遠い。ブラウン管を通したような、掴めない、色の薄い世界。
「………慶」
早く慶に会いたい。
電車に乗っていても、ブラウン管を通したような視界は変わらない。自分の実体がない感じ。この世界に属せていない自分。閉ざされた世界。
「慶」
早く会いたい。
慶の通う大学の最寄り駅で下車する。そこからほど近い喫茶店『アマリリリス』。木をふんだんに使った落ちついた雰囲気の店。
ドアを勢いよく押すと、涼やかな鈴の音が響く。
「いらっしゃいませ」
「………慶」
にっこりと微笑んでくれるその人を見て、おれは心底ホッとする。
ああ、おれはちゃんとこの世に存在している。
見えない壁が取り払われ、世界に色が戻ってくる。世界はこんなにも、明るい。
小学校高学年くらいから、視界がブラウン管を通しているような感じになることが多くなった。
ブラウン管の中に自分が入り込んでいるのか、まわりが入っているのか、よくわからない。とにかくまわりで起こるすべてのことが、テレビの中のことのようだった。
遠い遠い、色褪せた世界。
そんな中、中学3年生の時に偶然見たバスケットボールの試合での、一人の男子生徒の姿に衝撃を受けた。薄いぼやけた世界の中で、ただ一つのまぶしい光。名前は、渋谷慶。
彼の姿をもう一度見たくて、数日間、彼の通う中学の門の近くで下校中の生徒の波を延々と見張ったが、結局会うことはできなかった。あとから知ったのだが、慶はこの試合の直後に膝をけがして入院していたそうで、おれが見に行っていた時期はちょうど学校を休んでいたらしい。(見張りにいっていた話は、慶には内緒にしている。しつこく探していたことを知られて気持ち悪いとか思われたら立ち直れない……)
だから、県立高校を受験して、バスケ部に入部した。そうすればそのうち試合か何かで会えるのではないかと思ったのだ。それにバスケをすることであの光のようになれるのではという期待もあった。
偶然にも同じ高校に通っていることが分かったのが、高校一年の連休明け。
それからは、ブラウン管状態になる時間がかなり減った。慶の存在がおれの世界を鮮明にする。
大学生になってから、家庭教師のアルバイトをはじめた。一年生のころは担当生徒は2人だったけれど、二年生のGW明けからもう一人増えることになった。新しい生徒は高校一年生の女の子。
初日、母親との軽い挨拶のあと、部屋で2人きりになった途端、その女子高生、宮下希衣子ちゃんの態度は一変した。
「ねーねー、桜井センセ、彼女いるの?」
母親の前でのおすましは演技だったらしい。片肘ついて頬を支え、長い黒髪を弄んでいる。高校生になりたてのわりに大人っぽい表情。
「彼女? いないよ」
「ふーん?」
希衣子ちゃんはニヤーッと笑うと、わざとおれの足にぶつけながら足を組み替えた。短いスカート。胸元の開いたシャツ。……寒そうだ。
「ねえ、じゃあさあ、勉強なんていいから、もっと楽しいことしようよ」
「楽しいこと?」
「例えばさあ……」
細い足がおれの膝に向かって投げ出された。が、とっさに避ける。
かわいい顔をして大胆な子だ。どんな中学生活を送ってきたのか心配になってくる。
希衣子ちゃんは不満げに、空を切った足で机の端を蹴りつけた。
「楽しいことしてあげるっていってんのに……」
「ダメだよ?」
おれは冷静に、ニッコリと言う。
「そういうことは、恋人としないと」
「そんなのいないし」
希衣子ちゃんがムッとした顔をしておれをにらみつけた。
「センセーだって彼女いないんでしょ? だったらいいじゃん。どうせ男なんて頭の中そんなことばっかりなくせに、なにかっこつけて……」
「ああ、ごめん」
ひらひらと手を振り、話を遮る。
「おれ、彼女はいないけど、彼氏はいるんだ」
「……は?」
眉間にシワを寄せる希衣子ちゃん。まあ普通の反応だな。
「そんなこといって誤魔化そうったって、体は正直なんだからね」
「………」
希衣子ちゃんの白い手がおれの股間に伸びてくる。
しょうがない子だなあ……。慶、ごめんねー……と内心ため息をつきながら、とりあえずほっとく。
数秒後………
「………彼氏って、本当にホントなの?」
「だから本当だって」
「そうみたいだね…………ぜんぜんふにゃふにゃ……ずっとふにゃふにゃ……」
希衣子ちゃんがあきらめたようにおれから手を離した。
「ゲイの人って初めてみた。普通なんだね」
「普通って」
「彼氏も普通の人?」
何をもって普通というのかわからないが、
「普通の人、だけど、すごくキレイな顔してて、それでいて男らしい人」
「へえ……会ってみたいなあ」
希衣子ちゃんが頬杖をつきながら言う。
それこそ、普通、の高校一年生の女の子の顔にようやくなった感じがする。
「ねえ、会ってみたい。会わせてよ」
「ちゃんと勉強して、成績上がったら考えるよ」
「げーーーー」
鼻にシワを寄せる希衣子ちゃん。その顔がかわいくて思わず笑ってしまうと、希衣子ちゃんも笑いだした。この子とは、なかなか気が合うかもしれない。
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浩介視点でした。浩介視点ってなんか切ないんだよね……。
前半の「テレビの中みたいだ」からの「世界に色が戻ってくる。世界はこんなにも、明るい」ってセリフ。
20年前に書きたいと思っていたシーンとセリフだったので書けて嬉しかったです。
今後、あかね視点、希衣子視点、浩介視点、慶視点、で終わる予定です。たぶん。
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