*『閉じた翼』『翼を広げて』のネタバレになってます。だから今さらその話ってことで『時効の話』、です。
***
「昔、今の山崎と同じようなこと、渋谷も言ってたなーと思ってさ」
苦笑いを浮かべながら言った委員長の言葉に、ポカンとしてしまう。
今の山崎と同じようなことって……
『オレはただ、一緒にいられるだけでよかったのに………』
なに、それ。知らない……
「それ、いつの話……?」
「えーと……『全員30歳になった記念同窓会』の時だから……何年前だ?」
「…………」
30歳……おれが慶を置いてアフリカに行っていた時期だ。
「渋谷がそんな話? 全然覚えてない」
溝部がキョトンとして委員長を見返すと、委員長は軽く首を振った。
「オレしか聞いてない。というか、渋谷も酔っぱらってたから覚えてない」
「え」
酔っぱらってた?
「渋谷さ、今の山崎みたいに、こう突っ伏して……、独り言みたいに言ってたんだよ。すごく……つらそうに」
慶……
膝枕の慶の頬にそっと触れると、慶は条件反射的におれの手を掴んで口元に抱え込み、満足したように微笑んだ。その幸せそうなこと……!
「良かったな。渋谷」
優しく、委員長が言ってくれた。
ああ、でも、あの頃の慶は……
「え、意味わかんねえ。お前ら高校の時から一回も別れたことないって言ってなかったっけ?」
溝部に眉を寄せられ、おれも首を振る。
「別れてはないけど………離れてた時期があるんだよ。おれはアフリカにいて、連絡も全然取らなくて……3年間で一回しか会わなかった」
「は?」
ますます溝部の眉が寄った。
「何だそれ。アフリカったって連絡くらいできんだろ」
「そうなんだけど……」
あの頃のおれは、慶に連絡することはできなくて……
「それ……桜井が離れようと思って離れたってこと?」
山崎がのっそりと頭を上げて聞いてきた。
「何で? ……って、聞いてもいい?」
「それは………」
それは………
言い淀んだところで、委員長がまたアッサリと言った。
「自分の可能性を試したい、だよな?」
「え」
「渋谷がそう言ってた」
「………あ」
うん。うんうん。と、勢いよく肯く。
そう。表向きの理由はそうだった。そんなカッコイイことを言って出て行ったんだった。
でも、本当は、慶に対する異常な執着と、親の過干渉と、仕事の行き詰まりから逃げ出すためだった。
でも、それも、もう、大丈夫。おれには慶がいる。慶がいてくれるから、大丈夫。
空いている方の手で、慶の頭をそっと撫でる。愛しい、愛しい慶……
「で? 3年試して帰ってきたってことか?」
まだ眉を寄せたままの溝部に、軽く首を振ってみせる。
「帰ってきたっていうか、今度は一緒にいってもらうことにしたの」
「あ、それが東南アジアに8年だか9年だか二人で住んでたって話に繋がるのか」
「うん」
そう。おれはケニアで慶と一緒にいられる自信をもらって、今度は一緒に旅立ったんだ。もう、絶対に離れないって誓って。
「お前、何かすげえな。音信不通の中、ずっと待ってた渋谷も偉いと思うけど」
「あ……うん」
胸がぎゅっと苦しくなる。
あの時のおれは自分のことしか考えられなかった。慶には仕事もあるし、友達もいっぱいいるから、おれなんかいなくなっても大丈夫、としか思わなかった。でもその間、慶は……
「だよな。渋谷、偉いよな」
委員長が引き続き苦笑して、言った。
「あの時の渋谷は本当に、なんていうか……切なかった」
「………」
「いつまで待ってるんだ?って聞いたら、『ずっと待ってる』ってさ」
「………」
「『応援してる』って。でも、最後には本音言ってたけどな。『一緒にいられるだけでよかったのに』って」
「………」
慶……
胸が……痛い……
シン……とした空気の中、
「かといって、山崎。お前は、渋谷みたいに3年待ってる場合じゃないからな?」
ピシッとした委員長の言葉に場の雰囲気が変わった。
「3年も待ってたら、シュウ君、3歳になるぞ? この時期の子供の成長は早いからな。一緒に暮らせる環境にあるのに離れて暮らすなんて、勿体ないだろ」
「………うん」
今や小学生の子供2人の父親である委員長の言葉には説得力がある。
「あー、じゃあさ!桜井!」
ポンと手を打った溝部。
「お前、渋谷に何ていわれたら、行くのやめてた?」
「え」
何ていわれたら……
「ええと……」
あの時、慶は引き止めてくれたけど、おれは行くことをやめられなかった。だって、慶にはおれ以外に大切なものが色々あって……。あ、だから……そうか。
「全部捨てるって言ってくれたら……かな」
そうしたら、連れて行ってたかな……。本当のところは分からないけど……でも。
「だから、おれ、3年後に迎えに来た時には、『全部捨てて』って言ったんだ」
「………え」
「それで慶は病院辞めて、おれについてきてくれたんだよ」
「…………」
「…………」
「…………」
あ……。なんか、シーンとしちゃった……
「桜井と渋谷ってさ……」
マジマジと溝部がおれ達を見ながら言った。
「桜井がすげー尽くしてるって印象しかなかったけど、実は渋谷の方が尽くし体質?」
「そういえば、渋谷が1年以上片想いしてたって言ってたもんな」
「全部捨てる……かあ」
うーん、と3人3様に言ってから、はっとしたように、溝部が叫んだ。
「いやいやいや、山崎! お前は捨てるな! 公務員辞めたらもったいないぞ!」
「あ、でも」
対照的に淡々と委員長が言った。
「育休取れないのか? オレの知り合いの役所勤めの奴、育休取ったって言ってたぞ?」
「あ、なるほど」
そうか。最近では男性の育休も認められはじめてる。良いアイデア!
……と、思いきや、山崎はショボンとして、
「それ、菜美子さんに提案したんだけど、余計に嫌って言われちゃって」
「……そっか」
うーん……、と今度は4人で唸ってしまう。
結局、結論のでないまま、お開きとなった。
慶は最後までおれの膝枕で、くーくー寝ていた。
と、思いきや。
皆をマンションの出入口まで見送って戻ってきたら、慶がダイニングの椅子に座って携帯をいじっているから驚いて叫んでしまった。
「ごめん!出ていく時うるさかったから起きちゃった?」
「いや、そのちょっと前から起きてた」
「………………………。え?」
ちょっと前? って、いつ!?
「変な話してたから、なんか起きたって言い出せなくてさ」
「変な話……」
って、ど、どこから聞かれてたんだろう………
気になるけど、藪蛇になりそうだから、怖くて聞けない。怒ってる様子はないから、前半は聞かれてないのかな……
「何してるの? メール?」
話をそらすために尋ねると、慶は軽くうなずいた。
「余計なお世話だけど、戸田先生に連絡してみようと思って」
「え」
珍しい。こういうことには絶対に口出ししない人なのに。
「珍しい………」
思わず呟くと、慶は画面からは目を離さず、ボソッと言った。
「おれ、今の山崎の気持ち、分かるからさ」
小さく小さく言った慶。
「だから、何とかしてやりたくて」
「………………」
「第三者が客観的に、今の状況を言ったら、ちょっとは山崎の気持ちも伝わるんじゃないかと思って」
「慶…………」
無表情を装ってメールを打っている横顔。たまらなくなって、後ろから抱きしめた。
『一緒にいられるだけでよかったのに』
そう、言っていたという慶………
おれが慶を置いていったという事実はどうやっても消えない。
でも……、でも、慶。おれはあの時、ああするしかなくて………
「…………慶」
「なんだ」
メールを打ち終わったらしく、慶はテーブルに携帯を置くと、おれの腕を掴んで顎をグリグリと押し付けてきた。愛しさと申し訳なさが込み上げてくる。
「慶……ごめんね」
「何が」
「慶を置いてケニアにいったこと」
「…………っ」
ビクッとなった慶を、更に強く抱きしめる。
「慶……、前に、あの頃のこと思い出すと、穴に落ちていくみたいな感覚に陥るって言ってたけど……」
「……………」
「まだ、そうなる?」
「……………」
しばらくの沈黙の後、慶はふうっと大きく息をついた。
「ならない、といえば嘘になる。でも、だいぶマシにはなってきた」
「……………ごめんね」
「いや………」
くるりと体を反転させてこちらを見上げた慶。
「おれこそ、ごめん。あの頃のおれは自分のことに手一杯で、お前に甘えっぱなしだった。………まあ、今も甘えてるけど」
「……もっと甘えてよ」
慶の脇の下に手を入れて、えいっと持ち上げると、慶も腕をおれの首に絡ませて、足を腰に回して、しがみついてくれた。そのままゆっくりベッドに移動する。
「おれはさ……」
ぎゅうっと腕に力を入れながら、慶が言う。
「おれは今、こうして一緒にいられるのは、あの3年があったおかげだって、思ってる」
「慶………」
「でも……もう2度とあんな思いはしたくないし、正直、思い出したくない、とも思ってる」
「うん……」
耳元で聞こえる慶の声は真剣そのものだ。
「だからこの件は、もう、時効ってことでいいか?」
「……え」
時効って……さっきの委員長のセリフだ。ってことは……
「慶、そんな前から起きてたの?」
「は?」
訝しげな声。
「何の話だ?」
「だから、時効って、さっき委員長が……」
「委員長?」
首をかしげられ、はっとして口を閉じた。しまった。単なる偶然らしい。これつっこまれたら、藪蛇になる。慶は人にプライベートを知られることを嫌がるので、あんな話をしたってバレたら………
「だから何だよ?」
「何でもない何でもない!」
若干乱暴気味に、慶ごとベッドに身を投げる。
「時効。時効。そうそう、時効。だから、もうこの話はおしまい!」
「何………」
何か言いかけた慶の唇にチュッと唇を重ねる。
「おれはもう2度と、慶から離れるなんて選択しないから」
「当たり前だ」
ムッとしたように慶は言うと、力任せに体勢を逆転してきた。
「お前、今度そんなことしたら……」
「追いかけて、捕まえてくれるんだよね?」
「………。分かってんじゃねえか」
今度は慶の方から唇を重ねてくれる。
「ずっと、捕まえててやる」
「うん」
もう一度、今度は深く……
おれはずっと、慶に捕まったままだ。これからも、ずっと。
それから3日後。
山崎から、戸田先生と息子のシュウ君が、うちに戻ってきてくれた、と報告があった。
「迎えに行って、泣き落としをかけた」
と、いうことだけど、きっと、慶から戸田先生へのメールの効果もあったんだろう。でも、それは内緒にしておく。何年かたって、時効が来たら、教えてもいいのかもしれない。
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お読みくださりありがとうございました!
こんなまったりしたお話にお付き合いくださり、本当にありがとうございます!
実はこの話、前からずっと書きたかったのですが、山崎君のとこの秀一(シュウイチ)君が、生後3ヶ月になるまで我慢我慢……と我慢してて、今になりました。
浩介と慶。今だから話せるあの頃の話、でした。
さて、次回からなのですが……
先日、自分の古いネタ帳を見ていて、これ書こうかな……と思った話がありまして。
準備に時間がかかりそうなので、次回金曜日はとりあえずその話の登場人物紹介だけでも載せられれば……と思っています。
慶と浩介はあまりでてきません。
慶と浩介の出会いの話『遭逢』の2、で、高校のバスケ部に関して、
<『渋谷慶』と同じ中学出身のチームメイトは2人いた>
と、浩介が言っています。
そのうちの1人は、上岡武史という慶のライバルで。
金曜日からはじまるお話は、武史じゃない方の、もう1人の子の話です。
この子の話を書く日が来ようとは……って、すっごい自己満足ー^^;
お時間ありましたら、お付き合いいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
書き続ける勇気をいただいてます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
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