【哲成視点】
たぶん、おそらく、きっと、オレは恋愛とかそういうことに関して、遅れているのだと思う。
クラスの男子が喜んで見ている露出度の高い女の写真を見せられても、気マズイだけだし、男女間の具体的な写真にいたっては、正直「気持ち悪い」と思ってしまう。
なんて、誰にも話したことのない話を、村上享吾に話してしまったのは、今、奴が弾いているピアノの音が、母の音と似ているからかもしれない。
「それは、女性を神聖視しているとか、そういうことか?」
「あー、なるほど。それはあるかもしれない」
ピアノの椅子に並んで座っていると、くっついている右側が温かくて、安心する。
「キョーゴは?彼女とか」
「いない」
「好きな女子とか」
「いない」
「前の中学でも?」
「いない」
即答だ。
「興味は……」
「ない」
あっさりしてる。村上享吾は、背も高いし顔もいいのに、地味でモテない、と前に誰かが言ってたな……
(暁生は………モテるんだよな)
しょっちゅう女子から告白されている。何回かデートをした話は聞いたことあるけれど、特定の彼女はオレの知る限りいなかった。
(でも今は、あの高校生が彼女かもしれないな)
そして、今日もオレの部屋でそういうことをしていたかもしれない、と思うと吐き気がしてくる。部屋に入りたくない……
「………キョーゴ」
「なんだ?」
「うん………」
村上享吾は右手だけで、小さく綺麗な音を奏でている。不思議なことに、村上享吾は色々な音色を出すことができるのだ。
「その音……母ちゃんの音と似てる。キラキラしてる音」
「そうか?」
「うん。どうやってんの?」
「ああ、これは……」
村上享吾は曲を止めて、ちょっとだけ右の腕を下げた。
「いつもはこのくらいの腕の位置で弾くんだけど、こういう音出したい時は、腕を少し上げて、指を立て気味にして、少しはじく感じに弾く」
「ふーん……」
オレも真似をしようと鍵盤の上に右手をおくと、手首を掴まれた。
「手首には力入れない。指先だけ固くする」
「えー無理ー」
「手首持っててやるから、そのままポンって」
「えーと………ポンっポンっ」
掴まれたまま、鍵盤を弾いてみる。……と、なぜか村上享吾がクスクス笑いだした。人が真剣にやってるのに何だよ!
「何だよ?」
「いや………」
手首から手を離され、その手で頭をくしゃくしゃと撫でられた。また、無条件に『嬉しい』って気持ちがきて、少し戸惑う。
「何笑ってんだよ!」
戸惑いを隠すために、思いきり叫ぶと、村上享吾は肩を震わせながら、言った。
「いや……口でポンって言ってるのがおかしくて」
は!?
「お前が言えっていったんだろ!」
「言えとは言ってない。そう弾けって言っただけだ」
クククククと笑い続ける村上享吾。何だよ馬鹿にして!
「紛らわしい!言えって意味かと思った!」
「どんな勘違いだよ」
ホント、お前おもしろいよな。
そう言って、村上享吾はまた、ポンポンと頭を撫でてきた。
「………っ」
また、条件反射的に『嬉しい』がくる。これは反則だ!
「あのさあっ」
「なんだ」
まだ笑ったままの村上享吾に、口を尖らせて言ってやる。
「その頭撫でるのは、戦意喪失させるための技か?」
「は?」
「オレ、お前に頭撫でられると、怒ってても怒れなくなるっ」
「…………」
「…………」
「…………」
しばらくの沈黙のあと、村上享吾はボソッと言った。
「撫でたくなるような頭してるお前が悪い」
「は?!」
オレのせい?!
「なんでオレのせい……」
「ついでに言うと」
「え」
ふいに立ち上がった村上享吾。そして、なぜか腕を掴まれ、立ち上がらさせられ……
「!」
ぎゅーっと、抱きしめられた。驚きのあまり一瞬息が止まった。でも、あたたかい腕が気持ちよくてすぐに息を吐いた。前に抱きしめられた時も、こんな風に温かくて安心できて……
と、思ったら、すぐに開放されてしまった。見上げると、村上享吾はムッとした表情をしている。
「なに……」
「お前が悪い」
「は?」
再度の言いがかりに眉を寄せてしまう。だから何が悪いって?
「抱きしめたくなる顔をしたお前が悪い」
「………は?!」
なんだそれは!
「なんでオレが悪いんだよ!」
「嫌ならオレにそんな顔見せるな」
「はああ?!」
意味が分からない。
「どんな顔だよ!つか、別に嫌じゃねーし!むしろ嬉しいし!」
「え」
「え」
思わず出た言葉に自分でも「あ」と思う。村上享吾も目を見開いている。
「………嬉しい?」
「…………」
「…………」
「…………」
嬉しい……のは確かだ。心の奥の方までぽかぽかしてくる。
コクリ、と肯くと、村上享吾は「ふーん」と言って…………
「だったら今まで我慢して損した」
「我慢?」
「そう」
ふわり、と今度は優しく抱きしめられた。抱きしめながら、頭を撫でてくれる。
「なんか……理由もないのにこういうことするのは、男同士なのにどうかなあと思って」
「あーなるほど」
オレもゆっくりと、村上享吾の背中に手を回して、きゅっと力を入れてみる。伝わってくる体温が、頬に当たる固い胸が、気持ちいい。
「むしろ、男同士だったらOKじゃね? 相手が女子の方が問題ある気がする」
「確かに」
「だよな」
「だな」
クククとまた村上享吾が笑いだした。
「村上……お前、ホント変な奴だよな」
「なんだよそれ」
「お前といると調子狂う」
「調子?」
なんだそれ?
「調子?」
「そう」
なんかよくわかんないけど……
「それは嫌ってことか?」
「そうじゃなくて……」
「…………」
「…………」
言いにくそうに、村上享吾はポツンと言った。
「お前と一緒にいると……自分を隠せなくなる」
「…………」
確かに、村上享吾はオレの前では、わりと素直に笑ったりするけど……それって。
「それって、つまり、それだけオレ達が『仲良し』ってことだろ?」
「…………」
「…………」
「…………そうだな」
「そうだぞ?」
飽きもせず頭を撫で続けてくる村上享吾を見上げる。
「オレはお前と一緒にいるの、すっごく楽しいぞ?」
「……そうか」
村上享吾の目元がふっと和らいだ。途端に、キュッと心臓のあたりが締めつけられる。
やっぱり、こいつの側は居心地がいい。
「な……キョーゴ」
本当はこういうこと言ってはいけないんだろうけど、我慢できずに言ってしまった。
「一緒に、白浜高校、行かないか?」
【享吾視点】
「一緒に、白浜高校、行かないか?」
そう、村上に言われて、ぐらっと心が揺らいだのが自分でも分かった。
「キョーゴ、白高受けられるだけの内申点あるよな?ア・テストも足りてるよな?こないだの模試も良かったよな?」
「…………」
内申はギリギリ。ア・テストは足りてる。模試の偏差値は合格圏内ではあった。でも、目立つことを嫌う母は、オレが学区トップ校にいくことを良く思わない。ただでさえ、オレが松浦を殴ったことで、母は今、神経を磨り減らしている。だからオレは学区2番の高校を志望しようと思っているけれど……
なんてことは言えるわけもなく、返事はせずに、村上の頭から手を下ろした。
「…………。村上は白高以外考えてないのか?」
「………………………うん」
村上はストンとイスに座ると、再びポーンポーンと鍵盤を小さく叩きはじめた。
「白高の体育祭がすごく楽しかったっていうのもあるんだけど……、本当は、ただ単に、学区トップ校に行きたいって気持ちが強くて」
「…………」
村上の視線がスッと母親の写真に移った。
「母ちゃんが入院してすぐの時、オレ、漢字の進級テストにはじめて落ちちゃってさ」
「進級テスト?」
「小学校の時、合格すると次の級に進めるっていうテストが毎週あったんだよ」
ポーンポーンと音は続いている。
「オレがはじめて落ちたから、母ちゃん、自分のせいだってものすごく気にしちゃって」
「…………」
「だからオレ、もう絶対に落ちないって決めたんだよ。どんなことでも、母ちゃんのせいには絶対にしたくなくて」
「…………」
「だから、母ちゃんのためにも、学区で一番頭の良い高校に入りたくて」
ぐっと唇をかみしめている村上……
「………そうか」
「うん」
隣に座り、先ほどしていたように、手首を持ってやる。少しだけ、音に固さがなくなってきた。
「村上なら受かるだろ」
「まあ……うん。当日風邪引いたりしなければ大丈夫、だとは思う」
「そうだな」
「…………」
「…………」
ポーン、ポーン……。良い音だ。
(白浜高校……)
そこに行けば、村上と一緒に通える。
(松浦暁生は、いない)
松浦は私立N高に推薦が決まっているのだ。………なんて、それを真っ先に考えてしまうあたり、松浦を意識している自分を認めざるをえない。
実は、村上を抱きしめるのを我慢していたのは、「男同士だから」という理由もあるけれど、それよりも何よりも、松浦の存在のせいでもあった。村上にはいわなかったけれど……、村上の「一番」である松浦を差し置いて、オレがそういうことをすることを、村上が良く思わないだろうと思ったのだ。
(でも、嬉しいって……)
村上が「嬉しい」と言ったことにホッとした。オレはそこまで近づいてもいいらしい。
自分でも村上に対する感情はよく分からない。でも、一つ分かっていることは、村上にはいつでも笑っていてほしい、ということだ。
村上は先ほど、男女間の性的なことに拒否反応があると言っていた。それなのに、松浦は、村上の「親友」という立場を利用して、村上の家をラブホテル代わりにしているらしい。今日、村上の様子がおかしかったのも、それが関係しているのだろう。「親友」と言っておきながら、村上を傷つけている松浦がムカついてしょうがない。
(あんな奴より、オレのほうが…………)
でも、村上の一番は松浦。だから、でも……
(白浜高校に行ったら、そうしたら、そうしたら………)
…………。
…………。
そうしたら、何だってんだ? 何言ってんだ? オレ。
最近、自分でもよく分からない感情に支配されることが多くて、困る。
「なー、キョーゴ。あれ弾いて、あれ」
「あれってなんだよ?」
「ちゃ、ちゃーちゃーってやつ」
「ドビュッシーの月の光、な? お前いい加減、曲名覚えろ」
「えーいいじゃん。キョーゴ、これで分かってくれるんだから」
「…………」
二カッと笑った村上。ああ、ほら、その顔。抱きしめたくなる。そんな顔したお前が悪い。だから、遠慮なく……
「……そうだな」
「だろ」
ぎゅっと一瞬だけ抱きしめて、それから楽譜を開く。村上の母親の書き込みのある楽譜。村上のお気に入りの曲の一つ。
静かにはじまる綺麗な響き……
村上哲成の隣は、居心地がいい。
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お読みくださりありがとうございました!
作中、まだ1989年のため、神奈川県の高校受験は、ア・テストのある神奈川方式です。
それから、前回書き忘れましたが、横浜市立の中学校は、当時も今も給食ではなくお弁当です。
続きは火曜日に。お付き合いいただけると嬉しいです!
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おかげさまで二人の距離もどんどん近づいてきました。
よろしければ、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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