【哲成視点】
リハーサル終了後、花梨を楽屋で着替えさせてドアを出た瞬間、廊下の椅子に座っている享吾とバッチリ目が合ってしまった……
「……おお」
「ああ」
お互い手を挙げて挨拶し合う。これは確実に、オレのことを待っていたようだ。
「……おお」
「ああ」
お互い手を挙げて挨拶し合う。これは確実に、オレのことを待っていたようだ。
さっきまでは、その場の雰囲気で誤魔化して、個人的な話はしないですんだけど……これでは話さないわけにはいかないじゃないか。でも……普通に話せる自信が、まだ、ない。だから、
(花梨をネタに帰るか)
と、思ったのに、花梨があっさりと、
「テックン、かりんトイレいってくる!」
「え」
「ここで待っててね!」
とっととトイレに行ってしまった……。
亨吾に目で促され、観念して、横にストンと腰を下ろす。
「…………」
「…………」
数秒の奇妙な間の後、享吾がポツリと言った。
「…………いつから日本に?」
「……年末に」
「そうか。だからFacebookの更新やめたんだな」
「……………」
つぶやかれて、「やっぱり」と思った。タイにいる間、無事を知らせる意味をこめて定期的に更新していたのだ。帰国してからは「帰国を知らせなくては」と思いつつ、再会する覚悟ができず更新できていなかった。
(やっぱり、チェックしてたのか)
それを、嬉しい、と思ってしまう自分の気持ちはどうしようもない。
関係を進めてはいけない、と戒めるために3年間離れた。でも、3年前と変わらず、好きでいてくれていることを求めている……
「…………」
「…………」
ふうっと大きく息を吐いてから、なるべく普通に、会話を続ける。
「お前、発表会の手伝いっていつもしてんのか?」
「……いや、今回はたまたま。人手が足りなくて頼まれただけ」
「ふーん。繁忙期入る前で良かったな」
「…………」
「ん?」
変な感じに黙ったので、顔をのぞき込んでやる。
「オレ変なこと言ったか?お前、いつも忙しいの4月5月あたりだよな?」
「ああ……いや……」
それを、嬉しい、と思ってしまう自分の気持ちはどうしようもない。
関係を進めてはいけない、と戒めるために3年間離れた。でも、3年前と変わらず、好きでいてくれていることを求めている……
「…………」
「…………」
ふうっと大きく息を吐いてから、なるべく普通に、会話を続ける。
「お前、発表会の手伝いっていつもしてんのか?」
「……いや、今回はたまたま。人手が足りなくて頼まれただけ」
「ふーん。繁忙期入る前で良かったな」
「…………」
「ん?」
変な感じに黙ったので、顔をのぞき込んでやる。
「オレ変なこと言ったか?お前、いつも忙しいの4月5月あたりだよな?」
「ああ……いや……」
亨吾は視線をそらすと、ボソッと言った。
「仕事……辞めたんだよ」
「え?」
「え?」
仕事、辞めた?
「それって……ついに独立したってことか?」
亨吾は大学在学中に公認会計士の資格を取り、卒業後からはずっと大手の監査法人で働いていた。何度か独立の話もあったけれど、「面倒くさい」とか言ってしなかったのに、ついに……と思いきや、亨吾は軽く首を振った。
「いや、会計士の仕事を辞めたんだ」
「え!?なんで?」
「それは……」
と、亨吾が何か答えるよりも早く、上の方から涼やかな声が聞こえてきた。
「オーナー業とピアニストに専念するため、よ?」
「…………歌子さん」
振り仰ぐと、亨吾の奥さんである、歌子さんがにこやかな笑顔で立っていた。
「私がピアノ教室が忙しくて、お店に手が回らなくなっちゃったから、亨吾君にお願いすることにしたの」
「え……」
「しばらく遊んで暮らせるだけ稼いでたしね。一度ゆっくりしてもいいんじゃない?とも思って」
「…………」
「でも、さすがなのよ。あちこちテコ入れしてくれたおかげで、お店の売り上げ、右肩上がりなの。この際、経営コンサルタントになったら?って感じ」
「…………」
歌子さんの言葉に、亨吾は何だかホッとしたような顔をしている。
(…………あいかわらずだな)
その表情にチリチリと胸が傷む。
昔からそうだ。亨吾は歌子さんといると、妙に安心したような表情をする時がある。
(だから、結婚したんだもんな……)
彼女は大きな愛の持ち主なんだ、と、昔、亨吾が言っていたことがある。
歌子さんは、亨吾がオレを好きだと知っているのに、結婚してくれた。でも、オレも亨吾のことを好きだということは知らず、亨吾が一方的に片想いをしていると勘違いしている、らしい。
歌子さんがにこやかに話を続けてくる。
「今は週一で亨吾君ピアノ弾いてるから、哲成君もまた聴きにきてね? 哲成君の席、いつも空けてあるのよ?」
「…………はい」
自分の夫が片想いしている男ににこやかに接するって、いったいどういう心境なんだろう。『嫉妬』の『し』の字もみせない、裏のない笑顔。オレの方がよっぽど醜い嫉妬にかられている……。おそらく二人は、お互いの恋愛を容認する夫婦、ということなんだろうけど……
「あー、歌子せんせーい!」
「花梨ちゃん!」
トイレから戻ってきた花梨に抱きつかれ、ニコーッとした歌子さん。その笑顔にもまったく嘘はない。
「上手にできてたね!楽しかった?」
「うん!楽しかった!」
「来週の本番も頑張ってね?」
「うん!ママ、みにくるって」
「そう。じゃあますます頑張っちゃおうか」
しゃがみこんで、花梨と視線を合わせて話してくれる歌子さんは、すっかり「先生」の雰囲気だ。
(大きな愛……)
そうだな……歌子さんには大きな愛があるのかもしれない。それに比べてオレの愛は……
「……哲成」
「…………」
軽く頭を撫でられ、振り仰ぐと、亨吾の瞳がすぐ近くにあった。
「今は毎週金曜日に弾いてる」
「…………」
「よかったら……」
「…………」
………。そんな怯えた目、するなよ……
と、思ったけれど、もちろん言わなかった。そんな目をさせているのは、このオレだ。
「おお。じゃあさっそく来週いこうかな」
「ん。待ってる」
ホッとしたように、嬉しそうに、泣きそうに、うなずいた亨吾。きゅっと胸が締め付けられる。
(そうだ。これでいい……)
亨吾のピアノを聴いて、亨吾の愛に包まれて。
それだけで満足する。
そうやって20年以上過ごしてきた。
これからも、そうして過ごせばいい。
それだけで、オレ達は充分幸せだったんだから。
これが、一生一緒にいるために、自分達で選んだ道なんだから。
夢は、みない。
この3年の間、何度もしてきたように、オレはプルプルと首を振った。男同士で幸せそうに寄り添っていた渋谷と桜井の影をふるい落とすために。
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お読みくださりありがとうございました!
本当は前回ここまで書くつもりでした。
歌子さんには歌子さんの事情があるので、そこはそのうち歌子さん視点で書こうかなあと。
家族の休みはまだ続いているため、金曜日更新できるか不安ですが、とりあえず、一応、金曜日更新のつもりで……。
ランキングクリックしてくださった方、読みに来てくださった方、本当に本当にありがとうございます!
どれだけ励ましていただいたか……感謝の気持ち書ききれません。