【享吾視点】
約束通り、哲成が店にピアノを聴きに来てくれた。
この長い付き合いの中で、ここでピアノを聴かせることだけが、唯一、本当の気持ちを伝えられる手段だった。なんとか均等を保ってこられたのは、この場所のおかげだったと思う。一度だけ……オレが結婚すると報告した夜だけ、溢れ出てしまったけれど、その一度以外、ずっと、ずっと、気持ちを外には出さず、友人関係を続けてきた。それが、一生一緒にいるために選んだ道だった。
3年2ヶ月ぶりの、哲成のためのステージを終えて、控室に戻ると、妻の歌子に苦笑気味に言われた。
「お父さんがここにいたら、確実に説教されてたわね。特に一曲目」
「…………ごめん」
一曲目に選んだのは、哲成の大好きなドビュッシーの『月の光』だ。つい感情を入れ過ぎたため、弾き終わった時には店中が静まり返ってしまったのだ。
この店の前オーナー兼シェフだった歌子の父親には、度々、注意されてきた。
『ここではお客様のお食事のBGMとなる演奏を心掛けなさい。君のリサイタルを開いてるわけじゃないんだから』
でも、哲成がいる時だけは、どうしても感情が優先されてしまって……
「つい……」
「ああ、ううん。責めてるんじゃなくて……」
謝ったオレに、歌子はパタパタと手を振ると、
「あいかわらず、いいなあって思ったの。私には、出せない音」
「…………」
「その情熱。切なさ。素敵よ」
にっこりとして言う歌子。『私には出せない音』と、出会った頃から言われている。でも、それを言うなら、オレには、歌子のように包み込むような慈愛に満ちた音は出せない。だからお互い様だ。
そう言うと、歌子は、「ありがと」と、くすぐったそうに笑って、
「せっかくだから、早く哲成君のところに行って? 私、明日9時からレッスンだし、もう帰るね?」
「ああ」
「あ、それから明後日、よろしくね? 帰り、自主練してく?」
「そのつもりで楽譜持ってきた」
こくり、と肯く。
明後日の日曜日は、歌子のピアノ教室の発表会の本番だ。
オープニング演奏として、歌子と歌子の友人のフミさんで連弾をするはずだったのに、フミさんが娘さんのインフルエンザをもらってしまい、明日来られなくなってしまったそうで、急遽、オレが弾くことになったのだ。プログラムには『オープニング演奏』としか書いていないので、オレの弾ける連弾曲……フミさん編曲の『星に願いを』のジャズバージョンを演奏することにした。この曲ならば、子供達も知っているので、ウケはいいだろう。
「じゃあね」
「気を付けて」
歌子を送り出すのと同時に、哲成の座っている席に向かう。
一歩……一歩。哲成に近づく……
「……哲成」
「おお」
謝ったオレに、歌子はパタパタと手を振ると、
「あいかわらず、いいなあって思ったの。私には、出せない音」
「…………」
「その情熱。切なさ。素敵よ」
にっこりとして言う歌子。『私には出せない音』と、出会った頃から言われている。でも、それを言うなら、オレには、歌子のように包み込むような慈愛に満ちた音は出せない。だからお互い様だ。
そう言うと、歌子は、「ありがと」と、くすぐったそうに笑って、
「せっかくだから、早く哲成君のところに行って? 私、明日9時からレッスンだし、もう帰るね?」
「ああ」
「あ、それから明後日、よろしくね? 帰り、自主練してく?」
「そのつもりで楽譜持ってきた」
こくり、と肯く。
明後日の日曜日は、歌子のピアノ教室の発表会の本番だ。
オープニング演奏として、歌子と歌子の友人のフミさんで連弾をするはずだったのに、フミさんが娘さんのインフルエンザをもらってしまい、明日来られなくなってしまったそうで、急遽、オレが弾くことになったのだ。プログラムには『オープニング演奏』としか書いていないので、オレの弾ける連弾曲……フミさん編曲の『星に願いを』のジャズバージョンを演奏することにした。この曲ならば、子供達も知っているので、ウケはいいだろう。
「じゃあね」
「気を付けて」
歌子を送り出すのと同時に、哲成の座っている席に向かう。
一歩……一歩。哲成に近づく……
「……哲成」
「おお」
こちらを振り返った哲成は、なぜか眩しそうに目を細め……
「あいかわらず、お前のピアノはいいな」
そういって、優しく笑ってくれた。オレはこの瞬間のためなら何でもする。
【哲成視点】
約3年ぶりに聴く享吾の「月の光」は、苦しくなるほど切ない音がした。
騒めいていた店内が次第に静まり返っていき、皆がそのピアノ演奏に惹きつけられ……最後の響きが消えてもなお、誰も話すことができないほどの緊張感に包まれた。
(なんだよ……それ)
思いがあふれて、涙が出そうになる。
(お前、オレのこと好きすぎだろ)
3年離れていても、全然変わらない。この3年の間に、亨吾は歌子さんを支えるために仕事までやめたらしいのに、享吾の「好き」はやっぱりオレだけに向いている、と確信できる音。
(オレだって……オレだって、お前のことが好きだよ)
20年以上変わらない気持ち。でも……好きだから、一生一緒にいたいから、幸せになってほしいから、友達でいると決めた。だから、享吾と歌子さんの結婚も、心から祝福したんだ。
(キョウ……)
でも、もしあの時、違う選択をしていたら……何もかも捨てて、自分の気持ちだけを優先していたなら……
オレ達も、渋谷と桜井みたいに、人生を共にすることができたのかな。自分の気持ちを隠し続ける苦しみから解放されたのかな……
***
大学在学中、オレには『森元真奈』という彼女がいた。
真奈は小さくて可愛くて、それでいて理系頭で話が合うので、喧嘩もせず、ずっと仲良くやっていた。恋人というより兄妹のようだとまわりからよく揶揄われた。
大学3年生の夏休みには、オレと真奈と享吾と歌子さんの4人で、真奈の家の別荘に旅行に行ったりもした。
そうして一応『恋人』として、楽しい時間をたくさん作ってきたけれど、結局、真奈に対して恋愛感情を抱くことはなく……
だから、大学卒業後、大学院に進んだ真奈に、そこで出会った先輩のことを好きになった、と告げられた時には、正直、ホッとした。
「頑張れよー」
はしゃいで応援の言葉を送ったところ、真奈はせっかくの可愛い顔を、これでもかというくらい鼻に皺をよせた顔にして、
「テツ君は、女心が全然分かってない!」
と、プリプリ怒り出した。でも、怒っている意味が分からない。元々、真奈は、母親の再婚相手に片想いしていて、両親を油断させるためと当てつけのために、その人と似ているオレと付き合うことにしたのだ。でも、その想いを乗り越えて、好きな人ができたというのなら、こんなにメデタイことはないじゃないか。
「なんだよ、女心って?」
「なんでもないですーだ」
イーッとますます鼻に皺を寄せて、「じゃあね!バイバイ!」と、思いきりオレの腕をバシバシ叩いてから行ってしまった真奈……
その後ろ姿に、オレは万感の思いで、頭を下げた。
真奈のおかげで、義母と上手くやっていけるようになった。合コンや飲み会を断る口実ができた。何より、亨吾に「お前も彼女を作れ」と言うことができた。真奈には感謝しかない。何もかも、真奈のおかげだ。
だから……もう少しだけ、名前を貸してもらうことにした。
享吾が、ちゃんと『彼女』を作るまで、オレは真奈と別れたことを隠すことにしたのだ。
享吾には幸せになってもらわないといけない。享吾のお母さんが安心できるような『普通の幸せ』を手に入れてもらわないといけない。
(やっぱり、歌子さん……だよな)
享吾のお母さんも気に入っている歌子さん。オレが享吾を好きだと気が付くきっかけの嫉妬をくれた人。
(歌子さんなら……)
歌子さんだったら、認められる。歌子さんなら……
そんなことを思って、やんわりと享吾に歌子さんを薦めてみるんだけど、享吾はいつもポーカーフェイスで、「興味がない」というだけだ。
「………あっそ」
唇を尖らせながらも、安心している自分がいた。享吾はやっぱりオレのことしか好きにならない……。「彼女を作れ」と口では言いつつも、本当に「享吾に彼女ができる」ということがどういうことなのか、分かっていなかったように思う。
こうして、享吾とは定期的に会えているし、ピアノを聴かせてもらえるし、仕事は念願の時計開発部配属になったし、18歳年下の妹の梨華はオレに懐いていてメチャメチャ可愛いし、何も言うことのない、満ち足りた生活を送っていた。あの日までは……
就職して2年目、1998年。ノストラダムスの大予言の日まであと一年の7月末。
父が脳梗塞で倒れたのだ。
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お読みくださりありがとうございました!
『4人で真奈の別荘に行く小話』を若い時にノートに書いたのですが、シュレッターしてしまったので手元には残っておらず……
内容は、こんな感じでした↓
別荘には寝室が2つしかないため、女子チームと男子チームに分かれて寝ることに。掛布団を女子チームに譲ってしまって、タオルケットしかない男子チーム。ベッドに並んで寝ながらも、寒くて震えていたところ、
「抱いてやろうか?」
と、哲成が享吾に手を伸ばし……、ぎゅっとくっついて眠ることにしました。とさ。
お読みくださりありがとうございました!
『4人で真奈の別荘に行く小話』を若い時にノートに書いたのですが、シュレッターしてしまったので手元には残っておらず……
内容は、こんな感じでした↓
別荘には寝室が2つしかないため、女子チームと男子チームに分かれて寝ることに。掛布団を女子チームに譲ってしまって、タオルケットしかない男子チーム。ベッドに並んで寝ながらも、寒くて震えていたところ、
「抱いてやろうか?」
と、哲成が享吾に手を伸ばし……、ぎゅっとくっついて眠ることにしました。とさ。
『ただ単に、受けっぽい哲成に「抱いてやろうか?」と言わせたかっただけ』という後書きを書いた記憶があります^^;
次回、火曜日更新のつもりでいます。
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