2018年4月28日(土)
【真木視点】
チヒロと共に渡米してから、もうじき15年になる。
俺は仕事の都合で時々帰国するが、チヒロはほとんど帰らない。アロマオイルの販売店で働いていて、まとまった休みを取りにくい、ということもあるけれど、姉のアユミが年に一度は必ず遊びにくるので、チヒロの中ではそれで事足りているのかもしれない。チヒロは変わらずアユミのことが大好きだ。
アユミは今は母親と一緒に暮らしているらしい。こちらに来ると母親の悪口ばかり言っているけれど、最後には必ず「ママは私がいないとダメなのよ」と結論つける。彼女は子供の頃、母親に構われず育ったらしいので、今その分を取り戻しているのかもしれない。おそらくアユミが俺とチヒロのことを全面的に応援してくれ、渡米の件に大賛成したのも、母親とチヒロを離したい、という気持ちがあったのではないか、と思う。
まあ、そうであってもなくても、アユミは独身生活を謳歌しているからか精神的に安定しているようだし、このまま、程よい距離で付き合っていくことが、二人のために一番良いと思う。姉弟関係、親子関係というのは、その家庭その家庭それぞれだ。
親子関係、といえば、行きつけだったバーのママと、チヒロの友人コータは、正式に養子縁組をしたそうだ。あのバーも、コータに譲るつもりらしい。
この15年間、帰国の度にバーに顔をだしていたけれど、その度に、ママはコータの男関係のだらしなさを愚痴っていた。でも、「結局、帰ってくるのはあたしのところなのよ」と惚気ていて、くっついたり離れたりしながら15年が過ぎ、結局落ちつくところに落ち着いた、ということらしい。
俺の親子関係は、というと、前進も後進もしていない。
ただ、今日、大阪の実家に顔を出した際に、夏に父の米寿のお祝いをするから、チヒロを連れて帰国したらどうか、という提案をされた。孫たちも全員成人したので、そろそろ……ということらしい。でも、そう言っているのは母と次兄夫婦だけで、父と長兄夫婦は渋い顔をしていたので、チヒロに話すべきかどうか迷っている。
この15年、俺とチヒロの間では穏やかに時は流れていった。
さすがに新しい職場での生活が軌道に乗るまでは落ちつかなかったけれど、チヒロのマイペースさに相当助けられた。チヒロはどこへ行ってもチヒロで、いつでも何事もなかったかのように落ちついている。あのマイペースさは尊敬に値する。
「真木さん」
チヒロはいまだに俺を「真木さん」と呼ぶ。
その、淡々としているけれど、ほんの少し甘えたような声が愛しくてしょうがない。ぎゅっと抱きしめると、ぎゅっと抱きしめ返される。果てしなく幸せな日々。
こうして二人だけの生活を穏やかに過ごしていたのだけれども、昨年からは一人……いや、一匹加わった。友人に頼まれて、ゴールデンレトリバーを引き取ったのだ。ゴールドの艶やかな毛並みの、躾の行き届いた良い子で、しかも名前が『グレーテル』という。運命的なものも感じて、引き取ることにしたのはいいけれど、
「グレーテル!」
そう呼びかけるチヒロの声が、俺に対するものよりも甘い気がして、それはちょっと複雑ではある。俺もグレーテルは可愛いとは思うけれど、チヒロは溺愛しすぎだ。
まあでも、寝起きの悪かったチヒロが、散歩のために起きられるようになったことや、朝晩の散歩を一緒にできるというのは、なかなか良い。
(あと5分か……)
乗換のために降りた渋谷の駅で、時計を確認する。こちらとの時差は13時間。チヒロを朝6時に起こしたいので、日本時間で夜の7時に電話をかけなくてはならない。
(渋谷……渋谷。……あ)
昔とはすっかり変わってしまった渋谷駅の乗換通路の端に立って、人の流れをぼんやりと眺めていたら、ふと、思い出した。
(渋谷、といえば、今日は慶の誕生日じゃないか?)
最後に渋谷慶にあったのは、俺が出国する直前だったので、もう15年も前のことになる。
(俺が今年50だから……慶は今日で44歳か!)
あの天使のような子の44歳の姿……。想像できないな。
あの子は今頃どうしているのだろう? 風の噂で、恋人と一緒に東南アジアに行った、ということまでは聞いているけれど……
今もあの、自信なさげで頼りなさげで自虐的な恋人・桜井浩介と一緒にいるのだろうか? 一緒に行った、ということは、二人はお互い自分が納得できる医師と教師になれた、ということなんだろうか……
そんなことを考えていた時だった。
「………嘘だろ」
思わず、声に出してつぶやいてしまった。
なんて偶然だ。いや、こんなことを考えていたことで引き寄せたのか?
渋谷慶だ。確実に渋谷慶。あのオーラ、あの美貌。間違うはずがない。渋谷慶が向こうから歩いてくる。やはり実年齢よりはずいぶん若く見える。30代前半、といったところか。
(さすがに、少し落ちついたな)
昔ほどの、キラキラ感、というか、ギラギラ感は影を潜めている。でもその代わり、大人の色気みたいなものが備わっていて、それはそれで色っぽい。それに、人の目を引くオーラはあいかわらずだ。
15年もたって、こんなところで会えるなんて、こんな偶然があっていいのか? すごい。すごいな!
「慶く……っ」
その上がったテンションのまま、何の考えも無しに、声を掛けそうになった。けれど……
「浩介!」
「!」
うわ、と仰け反ってしまった。キラキラキラキラッとオーラ全開、満開の笑顔で俺の斜向かいの方に向かって手を振った慶。そこには当然、恋人の桜井浩介の姿が。
(こいつもあまり変わってない。そのまま歳を取ったって感じだな……)
前から落ちついた子ではあったけど、さらに落ちついた感じがする……
(ああ、いや、ずいぶん変わったか)
内面から滲みでていた自己肯定感の低さみたいなものがなくなって、穏やかに優しく包み込むようなオーラが出ている。それが年齢を重ねたせいなのか、何かあったからなのかは分からないけれど……
(幸せ……なんだな)
微笑みあい、並んで歩きだした二人の後ろ姿には、『幸せ』という言葉が良く似合う。
『真木さんもお幸せに』
昔、慶に言われた言葉を思い出した。
あのあと俺は、お菓子の家の魔女たちにきちんと断りをいれて、お菓子の家から旅立った。チヒロという俺のグレーテルに手を取られて。
「お幸せに……」
慶君。俺も、幸せになったよ?
7時になった。電話をかけよう。早くチヒロの声が聞きたい。15年も一緒に暮らしているというのに、まだこんなにも求めてしまう。
チヒロ。早く声が聞きたい。
「……チヒロ君? 起きてた?」
『はい』
一回目のコールで電話を取ったチヒロ。『は』と『い』が同じ大きさの返事。昔から変わらない。愛しいチヒロ。その声だけで、幸せに包まれる。
お菓子の家の中のように甘い、甘い、毎日。そこには魔女なんかいない。甘いだけの日々が続いていく。愛しいグレーテ。君がそばにいてくれるから。
【チヒロ視点】
真木さんは時々日本に帰る。僕は本当はそれがすごく嫌だ。仕事だからしょうがないけど、寂しくて嫌なものは嫌だ。
でも、近頃はちょっとだけ大丈夫になった。どうしてかというと、グレーテルがいてくれるからだ。グレーテルは可愛い。くんくん寄ってくる。ちゃんと言うこともきいてくれる。抱きしめると気持ちいい。グレーテルが来てからは、苦手な朝も得意になってきた。毎朝、毎晩、真木さんと一緒に散歩するのが楽しくてしょうがない。
「グレーテ」
真木さんは、僕のことを時々そう呼ぶ。ずいぶん前に、僕が「僕が真木さんのグレーテルになります」って言って、真木さんをお菓子の家から連れ出したからなんだけど、「グレーテル」ではなく、「グレーテ」に変わったのは、僕がもう大人になったからだそうだ。
元々「グレーテル」というのは、「グレーテ」という名前に「ちゃん」をつけたという意味の子供向けの呼び名らしい。
犬のグレーテルも、犬年齢的には大人だけれども、ずっと「グレーテル」って呼ばれてきたらしいから、グレーテルのまま。僕は「グレーテ」。
「グレーテ」って呼ばれる僕のいるうちの子になったのは、グレーテルはここにくる運命の子だったとしか思えない。
真木さんとグレーテルと僕。今は三人家族だ。
朝、6時。
真木さんからモーニングコールがかかってきた。
『チヒロ君? 起きてた?』
「はい」
後ろがザワザワしてる。駅?
日本は今、夜の7時。真木さんはこれから夜ご飯かな?
『変わりない?』
「はい」
『グレーテルも?』
「はい」
『そう。良かった』
「はい」
『…………』
「…………」
『…………』
「…………」
受話器の向こう、真木さんの息遣いが聞こえてきて、胸が温かくなる。
「真木さん」
『何?』
真木さん。
「早く会いたいです」
早く会いたい。いつでも会いたい。15年も一緒に暮らしてるのに、こうして数日でも会えないのは、とてもさみしい。
真木さん。真木さん。会いたいよ。
『チヒロ』
囁くような声。
『俺もだよ』
気が遠くなる。
真木さん。真木さん。僕の真木さん。
「真木さん。大好き」
いつものように言うと、真木さんはちょっと笑って、いつものように返してくれた。
『愛してるよ、チヒロ』
俺のグレーテ。
そういう真木さんの声は甘くて甘くて、僕は蕩けてしまいそうになる。
大好きな真木さん。夢みたいに甘い甘い毎日。
<完>
---
お読みくださりありがとうございました!
なにげにこの二人の、
「………」
「………」
という、無言の間が好きでした。
真木さん、表向きは社交的で話上手だけど、うちでは黙ってるタイプ。チヒロは元々無口。なので、うちの中、静かです。時々目が合うと微笑みあっちゃう……みたいな。
と、いうことで。
スピンオフ・グレーテ。これで終了とさせていただきます。長々とお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
火曜日はお休みをして、次回金曜日に更新したいと思います。読み切りで、慶と浩介の現在のお話書きたいなーと。
お時間ありましたらどうぞよろしくお願いいたします。
クリックしてくださった方、読みにきてくださった方、本当にありがとうございます!
おかげさまで無事終了。一人ではここまで辿りつけませんでした。本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!
にほんブログ村
BLランキング
↑↑
ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いいたします。
してくださった方、ありがとうございました!
「風のゆくえには」シリーズ目次 →
こちら
「グレーテ」目次 →
こちら