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BL小説・風のゆくえには~続々・2つの円の位置関係2

2019年05月14日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ 続々・2つの円の位置関係

【哲成視点】


 3年2ヶ月ぶりに享吾に会った。

「哲成……」

 そう言って、泣きそうな目でオレを見下ろしてきた享吾……

(キョウ……)

 ズキッと胸が痛くなった。
 ああ、こいつはまだ、こんなにも、オレのことが好きなんだ。

(オレは愛されてる……)

 安心と嬉しさと……申し訳なさと後悔と……もう、自分の気持ちをどうしたらいいのか、自分でも分からない。だから、

「おお!久しぶりー!」

 明るく……何でもないことのように、言った。


***

 3年2ヶ月前、オレは享吾の元を去った。理由は簡単だ。 

 渋谷と桜井の幸せそうな写真を見て、

『オレ達も、こんな未来を選べたら……』

と、享吾が小さく、でも真剣に、本気の本気の本音、と分かる声で、言ったからだ。

 そんなこと、オレ達にはもう、許されないのに。



 渋谷慶と桜井浩介。

 オレ達の高校の同級生だ。
 渋谷は、オレは小学校も中学校も一緒だった。小柄で、中性的で完璧な美貌の持ち主。でも、それに反して性格は狂暴で男らしい。
 桜井は、享吾と同じバスケ部だったけど、オレはほとんど話したことはない。大人しくて、いつもニコニコしている印象しかない奴だ。

 二人は在学中ずっと仲が良かった。でも、男同士だし、もちろん、ただの友達だと思っていた、けれど……

 3年半くらい前に、タイムラインに写真が上がった。投稿主はバスケ部の斉藤。

『渋谷と桜井の愛の巣で飲み会中~飲み過ぎで具合悪くなっても大丈夫。渋谷先生が診てくれます(小児科医だけど!)』

 そこには、相変わらず綺麗な顔をしている渋谷と、その横にくっついてる桜井と、高3の時にオレ達と同じクラスだった山崎と、確か野球部だった奴と、あと女子二人、の6人が楽しそうに写っていた。

 以前、バスケ部の同窓会で斉藤とラインの交換をしたという享吾が、その投稿を見せてくれたのだ。

「渋谷、相変わらず桜井と仲良いんだな」
「だな。ルームシェアってやつか」
「医者なんて稼いでそうなのにな」
「桜井が貧乏とか?」

 その時は、そんな話をして終わった。「愛の巣」なんてただの冗談としか思えなかった。だいたい、もし本当だとしたら、こんな風に、みんなで集まって飲んでる、なんて、ありえないと思った。

 でも、それから数ヶ月後の11月末。
 斉藤の写真に触発されて、懐かしい面々と集まりたくなって、高3の時のクラス会を数年ぶりに開催した。
 そこで再会した山崎に、その写真のことを聞いたところ、

「人のプライベートを話すのは……」

と、話してくれなかったけれど、一緒にいた皆川があっさりと、

「それ、冗談なんかじゃないよ? マジだよ」

と、肯定したのだ。

「マジって……」
「マジもマジ。オレも家遊びに行ったことあるんだけどさ、愛の巣も愛の巣でさ、でっけーダブルベッドがばばーんとあってさー」

 皆川も渋谷達と高2の時に同じクラスだったのだ。酔いの回っている皆川は、ヘラヘラと言葉を継いだ。

「あいつら高2の時からずっと付き合ってるんだってー。しかもー桜井が奥さんでー」
「え」
「これがまた完璧な奥さんでー」
「皆川、やめろよ」

 眉を寄せた山崎が皆川を遮った。

「そういうこと、本人がいないところで言うのは……」
「何だよ真面目公務員!」
「公務員関係ないだろ」

 山崎がムッとしている。

「飲みすぎだよ。いい加減に……」
「うるせーなー。お前はオレの母ちゃんか」

 あはは、と笑って皆川が続ける。

「母ちゃんって言えばさー、渋谷達の親、何も言わねえのかな?」
「何を?」
「だって、うちの親なんか結婚しろしろうるさいからさー、もし、オレが男と暮らしだしたりしたら、絶対怒られるー。あいつらの親だって絶対反対しただろー」

 皆川のセリフにドキリとする。

(そうなんだよ……だからオレ達は……)

 思わず、うつむいてしまったのだけれども……

「そんなことはない!」

 珍しく山崎が声を荒げたので、ビックリして顔をあげた。山崎も山崎でちょっと酔ってるみたいだ。

 口を開けたままの皆川に向かって、山崎はムキになったように言葉を継いだ。

「桜井と渋谷は親とも上手くやってるよ。両方の実家行き来したりもしてるし、こないだだって、フォトウェディングっていう、結婚式はしないで写真だけ衣装着て撮るっていうやつ、やったって。写真見せてもらったけど、両方のご両親と6人で一緒に写ってて、すごく幸せそうで……」

 そこまで言ってから、はっとしたように山崎は言葉を止めた。人のプライベートは話せないと言っていたのに、ペラペラ話してしまったことに今さら気がついたらしい。
 でも、もう遅い。もう、聞いた。実家行き来?フォトウェディング?

 それってまるで……

「結婚してるみたいだな」

 ポツン、と言った亨吾。それに対して、山崎が頬をかきながら、こくりとうなずき、皆川が「だからさー」とまたヘラヘラし始めた。

「桜井がな、完璧奥さんなんだよ! 料理もすげー上手でさー、甲斐甲斐しく世話してくれてさー、その上、月に……」
「だから皆川、喋りすぎっ」

 山崎が慌てたように、メニュー表を皆川の顔に押し付けた。

「ほら、もう、アルコール以外を注文しろ。そろそろラストオーダーだから」
「えー、だったら、最後の一杯はー……」

 皆川と山崎がわあわあとメニュー表を見はじめた。亨吾が壁にもたれてスマホの画面をジッと見ているので、

「お前も何か飲む?」

 メニュー表を見せながら亨吾の横に寄り添うように座り直す。と、

「…………すごいな」

 亨吾が小さく言った。視線の先は、スマホの画面。渋谷と桜井の『愛の巣』の写真……

「こんなことって、現実にあるんだな」
「………………そうだな」

 オレも改めて、その写真を見てみる。

「…………幸せそうだな」
「…………」
「…………」
「…………」

 幸せそうな二人……高校の時から付き合ってたって……そんな……そんなこと……

(オレ達が選べなかった道を、この二人は選んだのか……)

 でも…………

 オレ達は選ばなかった。それでいいんだ、と何度も自分に言い聞かせてきた。一緒にいるためにはそれしかない、と。

 だから、今、一緒にいられてる。

 亨吾は歌子さんと結婚して、ご両親を安心させることもできた。それはオレの望みでもあった。

 亨吾は今日も、歌子さんの待つ家に帰っていく。

 でも、心はオレのところにある。結婚を報告してくれた夜、切ないほどのその思いを受け止めた。そして、毎月聴かせてくれるピアノの音が、それを証明してくれている。

 だから、いいんだ。こうして一緒にいられれば。それ以上のことは望まない。望まない。望まない……

 だから……だから。

「…………哲成」
「………っ」

 オレの呪文を打ち消すように、亨吾の手がそっと、メニュー表を持っているオレの手に触れた。ドキンッとなる……

「……キョウ?」
「哲成」
 
 そして………
 享吾が小さく、でも真剣に、本気の本気の本音、と分かる声で、言ったのだ。

「オレ達も、こんな未来を選べたら……」
「!」

 反射的に、その手を弾いた。

「お前……っ」
「…………あ」

 亨吾もはっとしたように手を引っ込めた。怯えたような亨吾の顔……

「いや……、あの」
「…………」
「…………」
「…………」

 沈黙の中、頭の中で、言いたい言葉がグルグルと回りはじめる。

(今さらそんなこと出来るわけないだろっ)
(あの時、オレがどんな思いで、「結婚おめでとう」って言ったと思ってんだよ……っ)

 でも、何も、言えない。何を言ったらいいのか分からない。

 ただ一つ……言えることは……

「……………二度と、そんなこと言うな」

 それだけ絞りだして、席を立った。


***


 それからすぐに、オレは海外赴任の話を受けた。

「オレ達、しばらく会わない方がいいと思う」

 最後に会った時に、そう言ったら、亨吾は真っ青な顔になりながらも、小さくうなずいて、反対はしなかった。亨吾も亨吾で思うところがあったのだろう。


 それからずっと連絡を絶ってきた。何度か帰国はしていたけれど、亨吾には会わないように気を付けた。3年後、赴任期間が終了して、帰国してからも、連絡はしなかった。

(会いたい……けど)

 自信がなかった。

 オレ達が選べなかった未来を得て、幸せそうに寄り添う渋谷と桜井の姿が、脳裏から消えてくれない。有り得ないと思った未来を得られる可能性を見てしまった今、欲望を制御する自信がない。まわりを不幸にしてまで得ても、幸せになんかなれない。今まで通りにできる自信がつくまでは、会ってはいけない……

 それなのに………


「テックン、明日と来週、花梨のことお願いね」

 呼び出されて実家に顔を出したところ、妹の梨華に言い切られた。梨華は昨年離婚して実家に戻ってきているのだ。

「いいよね?」 

 オレが断るなんて絶対にない、と信じきってる梨華。確かに、梨華の頼みはなんでも聞いてやりたいけど……

「お願いって何を……」
「花梨のピアノの発表会。親も一緒に出ないといけないステージに出るんだけど、私出たくないから、テックン出て」
「え」

 ピアノの発表会?

「花梨、ピアノ習ってたっけ?」
「うん。2ヶ月くらい前からね」
「それなのにもう発表会出んのか?」
「だから、その親と一緒の合奏のところだけ出るんだってば。ピアノじゃなくて、鈴担当ね」
「へえ~~~……、と、え」

 はい、と渡された、発表会のプリント……
 その名前に、動きが止まってしまった。

『村上歌子音楽教室』

 村上……歌子って……

「発表会の前の週に、リハーサルがあって、そのリハーサルの直前に、みんなで合わせる練習するんだって。よろしくね」

 梨華の声が上滑っていく。歌子……村上、歌子?

「ねえ、テックン。いいよね?」
「え?! あ、ああ……」

 梨華に詰め寄られて我に返る。でも、頭の中は、この四文字でいっぱいだ。村上歌子……

「なあ……梨華。このピアノの先生、どんな人?」
「どんなって……テックンと同年代くらいかなあ? 美人だよ」
「…………」

 村上、歌子……

 ジッと考えこんでいたら、梨華が「あ!でも!」とオレの腕をバシバシ叩いた。

「先生、結婚してるから、変な期待しちゃダメだよ? 旦那さん、背の高いすごいイケメンらしいよ?」
「…………あ、そう」

 村上歌子。オレの同年代。美人。ピアノの先生。背の高いすごいイケメンの旦那。

 ここまで条件がそろっていて、この『村上歌子』がオレの知っている歌子さんじゃなかったら逆に驚くよな……


 だから、歌子さんとの再会を確信しつつ、亨吾との再会も覚悟して、翌日を迎えた。

 ついつい上の空になりながら、指定された部屋で花梨を着替えさせていたら、花梨が着替え終わったと同時に走って出ていってしまい、

「うわ、待て!かりん!」

 慌てて荷物をまとめて追いかけた。花梨は梨華に顔も似ているけれど、せっかちで我が儘なところもそっくりだ。

 なんとかリハーサル室前にたどり着いた。両手いっぱいに荷物を持ったまま扉を開けようとしたところ、扉が勝手に開いた。親切にも中にいた人が開けてくれたらしい。

「ああ、すみません……」

 開けてくれた人を振り仰ぎ……

「……って、あ」

 ポカン、と口を開けて見つめ返してしまった。

 3年ぶりの、享吾。

 全然変わっていないどころか、ちょっと若くなってるのはなんでだ?

 愛しいと思う気持ちが条件反射的に沸き上がってくる。

 そして……

「哲成……」

 オレを見下ろしてきた享吾の目は、今にも泣きだしそうで……

(キョウ……)

 ズキッと胸が痛くなった。

(キョウは、やっぱり、まだ、こんなにも、オレのことが好きなんだ)

 疑いようもない、瞳。

(オレは愛されてる……)

 安心と嬉しさと申し訳なさと後悔と……もう、自分の気持ちをどうしたらいいのか、自分でも分からない。

 だから。

「おお!久しぶりー!」

 明るく……何でもないことのように、言った。



------------

お読みくださりありがとうございました!
こんな真面目な話、誰得? いいの私が読みたいからいいの……といういつもの自問自答をしながらの更新でございます。
皆川君が渋谷&桜井の家に遊びに行った話は、『たずさえて3』でした。
次回は金曜日更新予定です。

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BL小説・風のゆくえには~続々・2つの円の位置関係1

2019年05月10日 07時21分00秒 | BL小説・風のゆくえには~ 続々・2つの円の位置関係

【亨吾視点】



「オレ達、しばらく会わない方がいいと思う」

 哲成がそういって、オレの前からいなくなったのは、2015年の冬のことだった。

 原因は……オレの不注意だ。オレがあんなことを言わなければ、オレ達はこの21年と同様に一緒にいられたはずだったのに……


 それから3年2ヶ月。哲成からは一切連絡はない。
 でも、Facebookに定期的に風景写真をあげてくれるので、無事の確認はできている。それが無かったら、オレは気がおかしくなっていただろう。

 いや……おかしくはなっている、か。

 哲成がいなくなってからは、ずっと仕事で気を紛らせていて、そのまま繁忙期に入り怒涛の連日深夜残業で、本当に頭の中を仕事でいっぱいにしていたのだけれども……

 一段落ついた夏のはじまりの朝、突然、足が動かなくなった。鉛にでもなったかのように重くて、重くて……手で足を押して、なんとかベッドに腰かけた時に、ふと、中学一年生の時の、兄の部屋での出来事を思い出した。

 兄が起床時間を過ぎても部屋から出てこないので、母に頼まれて呼びにいったところ、兄はぼんやりとベッドに腰掛けていたのだ。

『お兄ちゃん?』

 声をかけたオレに、兄はゆっくりとこちらを向いて、困ったように言った。

『享吾……お兄ちゃん、足が動かないんだよ。何でかな……』

 苦笑した兄の青白い顔……。オレも今、あんな顔をしているのだろうか……


 あの時、弟であるオレは途方に暮れて兄を見返すことしかできなかった。
 でも、同じ状況にも関わらず、オレの妻の歌子は、オレのような役立たずとはまったく違った。

『享吾君は今までたくさん働いてきたから、ちょっと休みなさいって神様が言ってるのよ。しばらく遊んで暮らせるだけの貯金もあるんだし、ゆっくりしたら?』

 そう言って、退職することを勧めてくれ、手続きもすべて行ってくれた。オレはただぼんやりと、天井をみていただけだ。


 歌子は、自宅でピアノ教室の先生をしている。1階リビングには、グランドピアノとアップライドピアノとシンセサイザーと簡易ドラムのセットがある。個人の教室ではあるけれど、根気強く丁寧に教えてくれる歌子の人柄と、年に一度の発表会が盛大であることが評判で、今や生徒数も40を超えている。学校の一クラス分だ。

(ああ、これ……哲成の好きな曲だ)

 二階のベッドで寝ていても、下のピアノ教室の音が聴こえてくるので、退屈はしない。哲成のFacebookの写真をみながら、この風景にいる哲成の姿を想像して……

(哲成……)

 もうずっと見ていない哲成の笑顔を瞼の裏に浮かべながら、眠りにつく。そんな日々を送っていた。


 それから半年……哲成がいなくなって、ちょうど一年がたったころ、ようやく日常生活に支障がない程度には回復した。一切弾いていなかったピアノも、少しずつ、弾けるようになった。特に何をしたとか何があったとかではない。ただ、穏やかに、時間が過ぎただけだ。

 そんなオレを見定めたかのように、

「ステージ復帰しない?」

 歌子が提案してきた。「うん」と、すぐに肯いたのは、さすがに無職で家に居続けるのが申し訳なくなったからだ。

 歌子との結婚と同時に、歌子の父親がオーナー兼シェフをしていたレストランを引き継いでオーナーになり、レストランをワインバーにリニューアルしたのは2000年のことだ。ワインバーになっても、ピアノの生演奏のサービスは続けている。

 名ばかりのオーナーで、業務は全て歌子に委ねているけれど、哲成のために毎月ステージに上がることだけは続けていた。いなくなってからは、一度もステージでは弾いていない……

「でも、こんなんで弾いていいのかな……」
「大丈夫よ。みんな、享吾君のステージ復帰、心待ちにしてるわよ?」
「………そう言われても」

 おれは「みんな」のためにピアノを弾いたことなんて一度もない。
 おれの愛は哲成にしかない。狭い狭い愛だ。

「大丈夫。その狭い愛にみんな心揺すぶられるんだから」

 にっこりとした歌子。歌子はあらゆるものに愛情が深い。オレとは正反対だ。


 それからというものの、ワインバーで定期的に演奏をすることになった。オレがステージに上がる時には、いつも哲成が座っていた席をリザーブしておいてくれる歌子の気遣いが有り難い。

 オレはひたすら、この場にいない哲成に向かってピアノを弾く。それだけがオレを地上に繋ぎ止める。哲成のいない世界で生きていくために、哲成の影を追い続ける…

 そうして緩やかに月日が流れ……その日はやってきた。


***

 2019年2月。哲成と最後に会ってから、3年2ヶ月が過ぎた。

 年末から、哲成のFacebookの更新が滞っていて、ずっとモヤモヤとしていた。今までは少なくとも2週間に一度は更新していたのに……

(何かあったんだろうか)

 でも、直接連絡することは考えられなかった。拒否されるのが怖い……
 会社に問い合わせてみようか。それもおかしな話か……

 そう悶々としていたところ、

「享吾君、ヘルプ!お願い!」

 土曜日の朝、めずらしく歌子に拝まれた。

「今日、来週の発表会のリハーサルなんだけど、フミちゃんの娘さんがインフルインザで、フミちゃんが来られなくなっちゃったの!」

 フミちゃん、というのは、歌子の音大時代の友人で、発表会の時にはいつも手伝ってくれる人だ。

「私がステージのリハーサルしてる間に、フミちゃんとヒカルちゃんにはリハ室で幼稚園以下の子の親子合奏の練習をみてもらうことにしてて……」

 ヒカルちゃん、というのは、歌子の昔からの生徒で、今は幼稚園の先生をしている。ここ数年、親子合奏の仕切りはヒカルちゃんに任せることが多いらしい。

「フミちゃん担当のピアノ譜、これ。享吾君なら初見でいけるでしょ?」
「ああ……」

 有名なアニメの主題歌だ。楽器の演奏を引き立たせるためなのか、ピアノはあくまでシンプルな楽譜だ。

「本番はフミちゃん来られるはずだから、リハーサルの今日だけ。お願い!」
「分かった」

 こういうことも気が紛れていいのかもしれない。
 そんな軽い気持ちで引き受けたのだけれども……

 リハーサル室前のテーブルで、出欠のチェックをする係も必然的にやることになってしまった。ピアノを弾くだけだと聞いていたのに騙された。でも、ヒカルちゃんは早めにきた親子の相手をしているので、そちらを任されるよりはマシと思うことにする。

 出席簿には、15人の生徒の名前が並んでいる。
 今時の名前は難読なものが多く、ふりがなを振ってくれているのが有り難い。でも、読み方は分かっても、絶対男の子だろう、と思っていた名前の子が女の子だったり、その逆もあったりする。

 もともと子供は苦手なので、あまり関わりたくないのに、歌子の指導なのか、あきらかに未就園児と思われる子まで、自分で名前を言いに来るので、正直面倒くさい……

(あと2人か……)

 げんなりしながら待っていたところ……一人の髪の長い女の子が入ってきた。なかなか可愛い子だ。ふわふわのピンクの衣装が良く似合っている。今日は本番と同じ衣装で練習とリハーサルをすることになっているのだ。

 その子はオレの目の前までくると、勢いよく、名乗りをあげた。

「むらかみかりんです!かりんです!むーらーかーみーです!」
「……はい」

 オレも「むらかみ」だよ。と言いそうになり、自分でもちょっと可笑しくなる。オレも「むらかみ」だし、オレの大好きな人も偶然同じ「むらかみ」という名字だ……

「かりんちゃん、おうちの人は?」
「おうちの人?」
「お父さんとかお母さんとかおじいちゃんとかおばあちゃんとか。まさか一人できたわけじゃないよね?」
「うん」

 かりんは大きな目をクルクルしながら大きくうなずいた。

「今日はテックンと一緒。発表会もテックンと出てってママが言ってるの」
「テックン……?」

 ドキリとする。ふいに脳内に蘇る哲成の声。

『オレのこと「テックン」って呼ぶんだよ!超可愛い! 』

 哲成が昔、年の離れた妹にそう呼ばれている、と嬉しそうに話していたことがある。オレ達はお互いの家族についてはあまり話さないので、今もそうかどうかは知らないけれど……

(まさか……まさか、な)

 同じ『村上』で同じ『テックン』。そんな偶然が……
 でも、妹の梨華ちゃんはおれ達より18歳年下のはずだ。今年27歳。このくらいの娘がいてもおかしくはない……

「あ! テックン、遅い!」
「!」

 かりんの甲高い声に思考を破られた。ハッとして顔をあげる。と、両手いっぱいに荷物を持った、小柄な男性が中に入ろうとしている姿が、ドアのガラス越しにみえて、ドキンと心臓が跳ね上がった。

「………!」

 反射的に立ち上がり、ドアを開けるのを手伝ってやり……

「ああ、すみません……、って、あ」
「………」

 「あ」という口をしたまま、こちらを見上げた、クルクルした瞳。3年前と変わらない姿が、目の前にある……

「哲成……」

 心臓が激しく波打ち続ける。こんなに、触れるくらい近くに、いる。会いたくて会いたくて、たまらなかった哲成が、ここに……

「哲……」
「おお!久しぶりー!」
「!」

 ぱあっと顔を明るくした哲成。

「やっぱり、村上歌子先生って、歌子さんのことだったんだなー。昨日、梨華にプリント見せられた時に、もしかしてって思ったんだよー……って、かりん!」
「…………」

 言いながら、哲成はすいっとオレの前をすり抜けた。

「かりん、自分の荷物くらい自分で持って」
「えー荷物は男に持たせればいいってママいつも言ってるよー」
「それは大人になってからの話!」
「かりん、もうすぐ年中さんだもん。もう大きいもん。あ、ヒカルせんせーい!」
「わわ、かりん!」

 わあっと言いながら、ヒカルちゃんにかけよっていくかりんを、慌てて追いかけていく哲成……

(……………)

 哲成がいる、という信じられない夢のような光景。

 でも……

(…………遠い)

 なんだか、とても、遠い。
 目の前にいるのに、なんでこんなに遠いんだ。



------------

お読みくださりありがとうございました!
享吾君、何を言っちゃったの?とか、なんで歌子と結婚してんの?とか、そういうことを今後書いていければと……
先に結論を書いて、あとから理由を書く。って、前回の「続・2つの円の…」と同じ構成ですね…
でも、21年の間に起きたことを順々に書いていくのは、せっかちな私には耐えられなくて💦

そんなわけで、過去話を織り交ぜながら、現在話も進行していければな、と思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
次回は火曜日更新予定です。

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