今日は、素敵なメールを頂いたので(天才って書いてあった)、「素敵な一日」の曲解説でもしてみましょう。
この曲の原型を作ったのは、もうだいぶ昔、たぶん、2000年だと想う。「コネコ。」とか「ラプソディ」とか、そんな唄を作った頃の曲。
”今日も電話は鳴らない・・・なんて素敵な一日”ってフレーズはその頃からそこにドッカリと座っていて、その存在感のありすぎるフレーズのせいで、作詞が進まずにお蔵入り。仮で録ったデモテープを、たまに聞いては「いい曲だなぁ、いつか作りたいな」などと想いつつ途方も無い時間が流れてしまった次第。
たぶん、仕事がとても大変だった。長時間の夜勤明けで大宮に歌いに行って、そのままベルボトムのジーンズを履いたまま仕事場に向かったり。アニーズガーデンが乗りに乗ってる時でもあったりして、夜勤明けで一人で原宿のスタジオまでラジオの収録に行ったりもして、またその足で仕事に行ったりして。アニーのレコーディングもあったし、トラッシュのレコーディングもあった。もちろんライブもあって、ライブの準備なんて、今とは比べようも無いくらい大変だった(今はスタッフのお陰で楽ちんです)。ライブ前になると4、5日眠らないなんてことは普通だったりして。キーボードの前で座ったまま意識を失ったりしてたりして(笑)。死人のような顔で仕事をして笑われたりして。
たぶんね、その頃は、いつも「南の島に行きたい」って言ってたような気がする。多分ね、何もかもから解放されたかったんだと想う。忙しさから逃げ出すんじゃなくて、早く全部を成し遂げて、自分にご褒美をあげたかったんだと想う。ギターも曲作りのためのテープレコーダーも持たずに南の島に行って、毎日打ち寄せる波の音だけを聞いて過ごしたいって想ってたんだな、きっと。
そんな時期に浮かんだフレーズを活かしつつ殺しつつ、今回歌詞を書き上げたわけだけど、ははは、まったくそんなことは歌っていない。だからもちろん、どんなに考えても意味なんてわからないはずではあるのだけどね。実は実は、やっぱり深かったりもしてね・・・それを説明してあげたいのはやまやまなんだけどね、でも、しかし、そんなところまで解説をしてしまうと、みんなの想像力を奪ってしまうことにもなりかねないから・・・やっぱりしないでおきましょう。
そんな忙しさに殺されそうだった時期なのに、「辛い」と想ったことなんて一度も無かったのは覚えてる。やばい、このままじゃ死ぬとは何度も想ったけど。忙しくて忙しくて、やることが山ほどあって、いくらやってもなくらならなくて、南の島なんて絶対行けるわけなんてなくて・・・でも・・・楽しくて楽しくて仕方ない日々でした。だって、死にそうな顔をしながら、いつも笑っていたんだもん。周りには仲間がたくさんいて、そんな僕らを一生懸命支えてくれるトラッシュっ子やアニーっ子たちが、時には笑い、時には泣きながら僕らを待っていてくれたからね。
・・・結局、話は全然それたけど(笑)、そんな唄です。はい。
写真は、その頃の仲間の一人、天才カメラマン「かわっち」が2001年に撮ってくれた ”しんぐついに路上で死す” です。握られたハーモニカホルダーが、素敵です。顔面、地面に付いてます。彼は間違いなく「天才」です。しんぐを世界一かっこよく撮る天才です。
この曲の原型を作ったのは、もうだいぶ昔、たぶん、2000年だと想う。「コネコ。」とか「ラプソディ」とか、そんな唄を作った頃の曲。
”今日も電話は鳴らない・・・なんて素敵な一日”ってフレーズはその頃からそこにドッカリと座っていて、その存在感のありすぎるフレーズのせいで、作詞が進まずにお蔵入り。仮で録ったデモテープを、たまに聞いては「いい曲だなぁ、いつか作りたいな」などと想いつつ途方も無い時間が流れてしまった次第。
たぶん、仕事がとても大変だった。長時間の夜勤明けで大宮に歌いに行って、そのままベルボトムのジーンズを履いたまま仕事場に向かったり。アニーズガーデンが乗りに乗ってる時でもあったりして、夜勤明けで一人で原宿のスタジオまでラジオの収録に行ったりもして、またその足で仕事に行ったりして。アニーのレコーディングもあったし、トラッシュのレコーディングもあった。もちろんライブもあって、ライブの準備なんて、今とは比べようも無いくらい大変だった(今はスタッフのお陰で楽ちんです)。ライブ前になると4、5日眠らないなんてことは普通だったりして。キーボードの前で座ったまま意識を失ったりしてたりして(笑)。死人のような顔で仕事をして笑われたりして。
たぶんね、その頃は、いつも「南の島に行きたい」って言ってたような気がする。多分ね、何もかもから解放されたかったんだと想う。忙しさから逃げ出すんじゃなくて、早く全部を成し遂げて、自分にご褒美をあげたかったんだと想う。ギターも曲作りのためのテープレコーダーも持たずに南の島に行って、毎日打ち寄せる波の音だけを聞いて過ごしたいって想ってたんだな、きっと。
そんな時期に浮かんだフレーズを活かしつつ殺しつつ、今回歌詞を書き上げたわけだけど、ははは、まったくそんなことは歌っていない。だからもちろん、どんなに考えても意味なんてわからないはずではあるのだけどね。実は実は、やっぱり深かったりもしてね・・・それを説明してあげたいのはやまやまなんだけどね、でも、しかし、そんなところまで解説をしてしまうと、みんなの想像力を奪ってしまうことにもなりかねないから・・・やっぱりしないでおきましょう。
そんな忙しさに殺されそうだった時期なのに、「辛い」と想ったことなんて一度も無かったのは覚えてる。やばい、このままじゃ死ぬとは何度も想ったけど。忙しくて忙しくて、やることが山ほどあって、いくらやってもなくらならなくて、南の島なんて絶対行けるわけなんてなくて・・・でも・・・楽しくて楽しくて仕方ない日々でした。だって、死にそうな顔をしながら、いつも笑っていたんだもん。周りには仲間がたくさんいて、そんな僕らを一生懸命支えてくれるトラッシュっ子やアニーっ子たちが、時には笑い、時には泣きながら僕らを待っていてくれたからね。
・・・結局、話は全然それたけど(笑)、そんな唄です。はい。
写真は、その頃の仲間の一人、天才カメラマン「かわっち」が2001年に撮ってくれた ”しんぐついに路上で死す” です。握られたハーモニカホルダーが、素敵です。顔面、地面に付いてます。彼は間違いなく「天才」です。しんぐを世界一かっこよく撮る天才です。