
ボブディランの魂とスプリンスティーンの肉体を持つと称されたシンガーがいた。
僕が敬愛して止まない・・・SIONである。SINGと似てる。それは、SINGがSIONを好きだから、かもしれない。
高校生の時、二枚目に買ったCDはシオンのファーストアルバムだった。一枚目は恥ずかしいから言わない。ボウイだから、恥ずかしいから言わない。デビッドボウイじゃなくて、布袋のボウイね。あっ、言っちゃった。
ちなみに、初めてのレコードじゃなくて、CDってところがミソだよ。レコードからCDにチェンジする時代だよ。
シオンがなんなんだか、誰なんだか、どんな歌を歌うのか、そんな事は全くしらないままにCDを買ったんだね。なんたって、お金のない学生時代だよ。CD3000円は高価な買い物よ。でも買ったね。冒険しちゃったね。普通買わないよ。聴いた事も観た事もない人の3000円のCDなんてさ。でも買ったね。
ジャケットのシオンは美しかったね。髪が逆立っていて、革ジャン、アクセサリージャラジャラ・・・完全にパンクだ。
新宿の紀伊国屋書店で買ったCDを、家に帰って早速聴いたんだね。
ぶっ飛んだんだよ。・・・言っておくが、みんなが想うようなぶっ飛び方ではない。運命的なとか、ポジなぶっ飛び方ではない。かといって、こんなの買って損したぁ・・・というネガなぶっ飛び方でもない。
シオンの第一声は・・・「新宿の片隅から罵り合う街をみてた」・・・だったのだがね。その声がね。もうとんでもなくかすれちゃってるのよ。中村あゆみや葛城ユキなんてもんじゃない。森進一やトムウエィツなんてもんじゃない。もうね、なんだか、声になってない。声になってないというより、歌になってない。喋ってる。叫んでいるらというよりは、力強く喋ってる。違うな。・・・絞り出して喋ってる。こんなんありか?ってね、ビックリしたんだよぉ。人生最大の衝撃かもしれない。
シオンの声は、魂の声だったんだね。いや、魂の音だったんだね。
結局、大ファンになっちゃったからさ、ライブに足繁く通ったわけ。静岡のライブハウスにも行ったよ。新幹線に乗って、山口マキちゃんと。
初めてシオンのライブに行った時にさ、シオンはこう言ったんだよね。
「最近、ディランの魂とかスプリンスティーンの肉体がどうだとか、言われてますが・・・(間を空けて)・・・スプリンスティーンの肉体は、とてもじゃないけど持ってない。シオンといいます、どうぞよろしく。」
きゃー!きゃー!きゃー!
そう、シオンは意外と小柄で華奢。とてもじゃないけど、スプリンスティーンとは言えない。スプリンスティーンは肉体派。でもそこじゃない。きゃー!ディランの魂を否定しないところ!きゃー!なのだよ。感激しちゃったね。感激しちゃったわけよ。
あれ?なんでシオンの話を書いたんだっけな?あれ?
あぁ、そうそう。想い出した。
新曲、裸の王様の話だった。
ライブの感想メールの中に、裸の王様についての件があってね、「ディランやスプリンスティーンを彷彿とさせる雰囲気があって・・・」書いてあったのさ。
裸の王様を作るにあたって考えたのは、シオンへのオマージュを込めた作品を作りたい。というもの。
シオンの曲には、自分の人生をなぞって淡々と歌ったものが数多くある。そろそろ、おれもそんな作品を・・・書きたい。洒落た言葉を使うでもなく、意味不明な言葉を多用するでもなく、自分の人生を自分の声で、正直に、ただ淡々と・・・シオンのように・・・である。
そんな風に作った唄に対しての感想が、先のメール。ちょっと驚いたわけである。でも、そういうことなのである。つまり、そういうことなのである。
だから、おれも言っちゃうよね。
「最近、ディランとかスプリンスティーンだとか、なんちゃらかんちゃら言われてますが・・・(ちょっと間を空けて)・・・スプリンスティーンの肉体はとてもじゃないけど持ってない。シングといいます。どうぞよろしく。」
そんなわけで、ほんとにほんとに、どうぞよろしく。