震災の事は、もう風化しちゃってるんだよな。実際。
午後2時半を過ぎた頃、Excelのイフ関数の問題を解きながら、ふと想った。
こんな日にスピーチの授業があったなら、テーマとかを無視して、涙ながらに熱く語っちゃうのにな。
でも、それが生きることならば仕方がない。
瓦屋の親方は、石巻で仕事をしながらよくこんなことを言っていたよ。
この町のほとんどの人間にとって、震災はもう過去のことなんだ。みんな金のことしか考えてない。みんな自分が得することしか考えてない。
でも、それが生きることならば、仕方がない。
青森の八戸から、福島の南相馬まで下りてきて。僕は福島市内に住む友達のところへ向かった。震災から三週間後のこと。
ぶっ壊れた地球に辛うじて残る残骸だらけの道を、来る日も来る日もひた走った。
僕はなんでもすぐに忘れてしまうから、忘れてしまわないようにと、そう願った。本当は放射能を避けて九州へ逃げたかったのだけど、忘れるのが嫌だから、北へと向かった。
それが、僕が生きるためだったのだから、仕方が、ない。
原発の暴走はいまだ止まず。この世界で、制御不能の核燃料が暴れ続けている場所は二つ。チェルノブイリとフクシマ。
オリンピックだとか、再稼働だとか、もんじゅだとか、景気回復だとか、賃金上昇だとか、憲法改正だとか、いろいろと忙しいようだけど、誰一人として責任を取らず、フクシマを見殺しに。
でも、それが生きる術ならば、どうしようも、ない。
相変わらず、金のことしか考えてないなぁ。この国は。
何にしても、金のためにしか動いてないなぁ。この国ってのは。
でも、それが。国家が生き残る、たった一つの術ならば、仕方がない。
何かの犠牲の上にしか、国家が成り立たないというのならば、仕方がない。
学校が終わったら、また石巻へ働きに行こうと思っているよ。
何も出来やしないし、何をするつもりもないのだけれど。
僕はあの日、忘れたくないと思ったのだからね。
そして、何よりも・・・
原発反対。