スケルトンハウス‐きまぐれCafe

生活とビジネス

そのときの思いや状況で、いろいろなことを話し合ってきた喫茶店。きまぐれに、思いつくままに・・・

NHK朝ドラ

2014-09-27 07:20:03 | 日記・エッセイ・コラム

 家族でテレビの話になったとき、NHKの朝ドラの最初は何だったかと訊かれることが幾度かありました。都度、私は迷わず「おはなはん」と応えていました。
 先日NHKホームページの『連続テレビ小説一覧』を観て、NHKとしての位置づけで、「おはなはん」の前に5作品あることを知りました。

 1 娘と私    昭和36年4月3日~昭和37年3月30日
 2 あしたの風 昭和37年4月2日~昭和38年3月30日
 3 あかつき   昭和38年4月1日~昭和39年4月4日
 4 うず潮    昭和39年4月6日~昭和40年4月3日
 5 たまゆら   昭和40年4月5日~昭和41年4月2日

 2014年8月16日(月)の朝日新聞『文化の扉』に朝ドラが特集されていました。それによると5作品目まではナレーション中心で、6作品目の「おはなはん」からドラマ仕立てとなったとのことです。
 そういう意味では、“最初の朝ドラは「おはなはん」”という私の思いは間違っていなかったのではないでしょうか。

 「おはなはん」が私の記憶に強く留まっているのにはそれなりの理由があります。「おはなはん」は昭和41年(1966年)4月から一年間放送されました。昭和41年4月は私が高校三年生になった時であり、2月に父親が下関に転勤となり、親から離れて山口で下宿しての通学となったこと。そして、入学時から参加していたギター同好会の同級生がマンドリンを持っており、このマンドリンを借りて「おはなはん」のテーマ曲を弾いていたことなどが強く記憶を留める要因となったのではないかと思います。

 朝ドラが1作品を一年間かけて放送していたのは昭和49年(1974年)4月1日に始まった「鳩子の海」までで、昭和50年(1975年)4月7日に開始された「水色の時」以降、放送期間が半年に、言い換えれば1年間2作品制になりました。

 NHK朝ドラは高視聴率を得続けている印象がありますが、1994年頃から低迷期に入り、ハイビジョン制作を始めた2002年頃から地デジ移行期間の2009年頃までは20%未満の視聴率となりました。
 この低迷期を抜け出した作品が、平成22年(2010年)3月29日〜22年9月25日の半年間放送された「ゲゲゲの女房」でした。
 また、この作品から、それまでは放送時間が8:15から15分間だったのが8:00からに改められました。この開始時刻の繰り上げ効果も然ることながら、2010年(平成22年)3月29日から放送開始された『あさイチ』の効果を見逃すことはできません。毎日、番組始じまり早々に、司会の井ノ原快彦さん(V6)と有働由美子アナウンサーが感情移入して感想を語る。これが相乗効果を齎したものと思われます。いずれにしても、NHKがダイバーシティ・マネジメント(Diversity Management)に真剣に取り組んだ結果ではないかと思います。

 私は、出勤前の習慣として、8:10頃に立ち寄っていた会社近くの喫茶店で朝ドラを観ていましたが、8:00開始となってからは喫茶店に着く頃には終了間近となっているので観なくなりました。

 NHK朝ドラは、女性の生涯を描くドラマですが、NHKドラマ番組部の遠藤理史部長によれば、ヒロイン像は時代ごとに大きく三つに分けることができるとのことです。
 昭和58年(1983年)4月4日からの「おしん」あたりまでは古い価値観と戦って働く女性を、平成11年(1999年)あたりまでは女性があまり進出していない職業で頑張るヒロインを、平成13年(2001年)以降は仕事以外で自己実現に向かう女性を描いているとのことです。

asahi-tobira


【関係サイト】

 ○ NHK連続テレビ小説一覧

 ○ 朝日新聞デジタル(文化の扉)はじめての連続テレビ小説女の人生、時代に寄り添い描く

 ○ NHKあさイチ

 ○ NHK DVD通販サイト


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 ○ 企画に欠かせない「ダイバーシティ」





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