中2国語で漢字の問題をやったのですが
「書き」はもちろん、「読み」も
危うくなってきたなあという実感があります。
たとえば「九分九厘」。
問題文には「作品は九分九厘完成した。」とあったのですが
この文の意味が分からないという声が多数。
99%ってこと。と説明したら
「きゅうふんきゅうりん」と書く生徒がけっこういました。
「くぶんくりん」と書いて、おしい!オマケして!
と言ってきた生徒も。
よく見ると、野球部の少年たちはみんなしっかり読めていて
むしろそちらに驚きました。
それから「費やす」。
問題文は「多くの時間を費やす。」
これは「ひやすでしょ!
」「ひやすとしか読めない!🍨」と
あちこちから声が飛び
時間をひやすってどういうこと!?と反論したら
「時間は冷やせません・・・
」「意味が分かりません
」とトーンダウン。
そもそも、字が違うから。
時間を使うという意味だと伝えると
「じゃあ、『多くの時間を使う』でいーじゃん!
」ですって。
一応、小学校で習ったことになっているんだけどなあ・・・。
だから知っている生徒ももちろんいて
騒いでいたのは一部の生徒だ、と、信じたい。
「書き」はもちろん、「読み」も
危うくなってきたなあという実感があります。

たとえば「九分九厘」。
問題文には「作品は九分九厘完成した。」とあったのですが
この文の意味が分からないという声が多数。

99%ってこと。と説明したら
「きゅうふんきゅうりん」と書く生徒がけっこういました。
「くぶんくりん」と書いて、おしい!オマケして!


よく見ると、野球部の少年たちはみんなしっかり読めていて
むしろそちらに驚きました。

それから「費やす」。
問題文は「多くの時間を費やす。」
これは「ひやすでしょ!

あちこちから声が飛び
時間をひやすってどういうこと!?と反論したら
「時間は冷やせません・・・



そもそも、字が違うから。

時間を使うという意味だと伝えると
「じゃあ、『多くの時間を使う』でいーじゃん!


一応、小学校で習ったことになっているんだけどなあ・・・。
だから知っている生徒ももちろんいて
騒いでいたのは一部の生徒だ、と、信じたい。
