白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『戦藻録』を読む。

2023-01-14 17:41:14 | 日記

1月6日(金)晴れ。

良い天気なり。朝食は、豚汁、赤ウインナー、目玉焼き。昼は、自宅近くの蕎麦屋で「かつ丼セット」。夜は、足柄のポークハム、湘南餃子、湯豆腐にキムチ。お供は、「さつのま司」。

大東亜戦争開戦から二年目の正月。すなわち昭和17年の1月1日、宇垣纏の従軍日記『戦藻録』にはこう書かれている。支那事変以来6年、大東亜戦争第二年目の新春を迎える。竹の園生(たけのそのう=親王。皇族。「たけのその」とも。▽中国の漢代、文帝の皇子の梁(りよう)の孝王が、庭園に竹を多く植えて、「修竹苑(しゆうちくえん)」と名付けた故事による)の弥栄と国運の画期的発展を祈ると共に、速やかに聖戦の目的貫徹を期す。開戦以来まだ二十五日に過ぎざるも、作戦の経過順調にして三月一杯をを俟たずして第一段作戦を終わるの望み充分なり」。そして宇垣は「年あらた総進軍の喇叭鳴り」という句を詠んだ。

しかし、その半年後の昭和17年7月6日、いわゆる「ミッドウェイ海戦」において、日本海軍は投入した空母4隻とその艦載機約290機の全て、および兵士ら3,057名を失うという惨敗を期す。この戦いがターニングポイントとなり、以後戦局は好転せず、敗戦につき進む。過去を学ぶことは、今を知ることにも繋がると思い、私にとって『戦藻録』は聖書のようなもので、常に傍らに置き読むようにしている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする