白雲去来

蜷川正大の日々是口実

様々な雑誌をご恵送頂いた。

2023-01-28 17:47:03 | 日記

1月21日(土)曇り。

朝食は、お粥、大根とわかめのスープ。昼は抜いた。夜は、芝エビのから揚げ、マグロの刺身、牛タンの塩焼き。お供は、高知の名酒「桂月」。一本空けてしまった。

事務所の郵便受けを開けると、様々な機関誌、紙、雑誌が届いていた。『月刊日本』『維新と興亜』『宗教問題』『牛喘荘通信』『國の子評論』『時對協時報』『しんぶん国民』『不二』。恐らく採算の取れている雑誌や機関紙などほとんどあるまい。それでも発行を続けるのは、使命感と意地だと思う。印刷費、紙代、郵送費が以前より随分高くなった。多くの人たちに読んで頂きたいが、出せば出すほど赤字になる、と言うのが実態である。差し歯と入れ歯ばかりになったが、歯を食いしばって、やって行くしかない。ご恵送頂いた皆様に感謝申し上げます。

 


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『読書論』。

2023-01-28 16:54:41 | 日記

1月20日(金)晴れ。

起きられずに朝食は抜いた。昼食は、ハムエッグ、キャベツの千切り添え、コロッケ一個、シジミの味噌汁。夜は、ミスジ肉、スライスマッシュルーム乗せ、キュウリのナムル、白菜のおしんこ、大根おろし。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

少にして学べば則(すなわ)ち、壮にして為すことあり。壮にして学べば則ち、老いて衰えず。老いてて学べば則ち、死して朽ちせず。有名な儒学者の佐藤一斉の『言志晩録』の一節である。これを知ったのは、歴史作家の小島直記の『志に生きた先師たち 』だったと思う。読んだのは北海道時代のこと。その頃は良く本を読んだ。いや本を読むには適した環境だった。私の読書の指針となった一冊の本がある。それは、元慶応義塾の塾長の小泉信三が書いた『読書論』(岩波新書)である。その「読書論」の中で、当時私が最も感動したのが江戸中期の蘭医の杉田玄白等が有名な「解体新書」を翻訳した時のエピソードである。それは「読書論」の「第三章・語学力」の中に書かれたもので、この一文に触れたことによって「格闘して学ぶ」という読書に対する姿勢というものを理解するようになった。

『蘭学事始』に記される杉田玄白らの蘭文解剖書解読の話は、後の学者を力づける。彼のみずから記すところによれば、明和八年(一七七一年)三月三日杉田玄白が前野良沢、中川淳庵らと共に千住骨ケ原の刑場に死刑囚の屍体の『腑分け』を見て、オランダ解剖書の精密に驚き、帰路『ターフル・アナトミア』の翻訳を思い立ったとき、彼はまだアルファベットをすら知らなかった。翌日杉田、中川は良沢の家に相会した。そのとき先ず、「彼『ターフル・アナトミア』の書にうち向ひしに、誠に艫舵なき船の大海に乗出せしが如く、茫洋として寄べきなく、只あきれにあきれて居たる迄なり』と記された一説は、後に福沢諭吉をして感泣せしめたことを以て、またその他にもなおたびたび引用されることによって人に知られていることと思う。(本文より)

今日も盟友のブログは更新されていない。

 

 

 


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