白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「死亡記事」が気になる。

2023-04-10 15:08:46 | 日記

4月7日(金)雨。

勤め人は、明日から土、日と休みが続くので、金曜日の仕事終わりは「ハナ金」とか言ったが、今も使われているのだろうか。そんなことを真面目に考えながら(冗談です)の昼に近い朝食は、コロッケ2個、ナポリタン、キャベツの千切りにシジミの味噌汁。夜は、愚妻は会社の友達との飲み会、子供は残業とかで、久しぶりに酔狂亭にて独酌。肴は、お肉とナポリタン。お供は「黒霧島」。外は、ひどい風と雨が降っている。最近は、夜に、それも雨が降ると車の運転がしずらいので、そんなときは出かけないようにしている。

新聞の「死亡記事」に目が行く。何も人の死に興味があるわけではなく、亡くなられた方の年令が気になるのである。90歳に近い人だと、「まあ、そこそこ大往生かな」と思い、私と歳の近い人だと、何があったのか気になってしまう。読まずに無視すれば良いのだが、つい気になって読んでしまうのである。

自分の愛猫の死亡を友人に知らせたのが夏目漱石。『吾輩は猫である』のモデルである黒猫の死に際して、懇意にしていた門下生に猫の死亡通知を送ったそうだ。「辱知(じょくち)猫義久々病気の処、療養相不相叶(あいかなわず)、昨夜いつの間にか、裏の物置のヘッツイの上にて逝去致し候。埋葬の義は車屋をたのみ箱詰めにて裏の庭先にて執行致し候。但主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申候」というもの。この葉書を受け取った寺田寅彦は日記にこう記した。「夏目先生より猫病死の報あり、見舞いの端書認(したたむ)」。

猫の死を知った高浜虚子は「吾輩の戒名もなき芒(すすき)かな」。「先生の猫が死にたる夜寒かな」とは松根東洋城。半藤一利さんの『歴史探偵忘れ残りの記』(文春新書)で知ったエピソードである。

 


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食事会でした。

2023-04-10 14:31:36 | 日記

4月6日(木)曇り。

その昔、伊勢佐木町をウインドーショッピングなどして歩くことを「イセブラ」といった。まあ伊勢佐木町をブラブラ歩くことの略称なのだろうか、そんな言葉も今では死語となった。かつては横浜屈指の繁華街であった伊勢佐木町も、横浜駅の西口やみなとみらい地区、あるいは野毛などに観光客や買い物客、飲み客が分散し、私が子供の頃の賑わいは感じられない。子供の頃には、伊勢佐木町にはデパートが何軒かあって、屋上にはそれぞれ遊具があり、連れて行って貰うのがとても楽しみだった。伊勢佐木町から姿を消したのは、おもちゃ屋、靴屋、レコード(CD)屋・・・。

夜、6時半から、お世話になっている方たちと野毛で待ち合わせて「ボンノ」という鉄板焼きのお店で食事会。少し早めに着きそうだったので、伊勢佐木町を歩きながら、この街の昔のことを思い出しながら、歩いてみた。野毛から、関内に転戦して、日にちが変わる前に帰宅。


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『維新と興亜』の坪内さんと一献。

2023-04-10 14:11:47 | 日記

4月5日(水)晴れ。

朝食は、銀ダラの粕漬、餃子を3個、インスタントのシジミの味噌汁。昼は抜いた。夜は、「やまと」にて『維新と興亜』の坪内隆彦氏と一献。

二日間もパソコンの具合が悪かった。フェイスブックやメールは使えるのにネットが繋がらないのだ。機械オンチの私ではお手上げで、上の子供に手つだって貰ってようやくつながった。しかし原因は不明とのこと。今年は、野村先生の自決事件から30年、赤報隊による朝日新聞阪神支局銃撃事件から30年。そして30年前は自民党が野党になり、細川護熙が首相になった。そんなこともあったのだろうか、坪内隆彦さんが、一応「取材」と言うことで、横浜に来た。坪内さんの盟友で『維新と興亜』の発行人である折本龍則さんは、統一地方選で千葉県から立候補の真っ最中。坪内さんも選挙を連日手伝っている中での「取材」。

まあ「取材」といっても堅苦しいものではなく、「やまと」の小上がりで一杯やりながら、インタビューに答えた。彼は文章の達人なので、私のとりとめもない話でも、いつも上手にまとめてくれる。一段落した所で、愚妻が合流。八時過ぎに解散。


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