白雲去来

蜷川正大の日々是口実

枕頭(ちんとう)の書

2023-04-20 18:20:05 | 日記

4月14日(金)晴れ。

朝食は、ハムトースト2枚に目玉焼き、インスタントのオニオンスープ。昼食は抜いた。夜は、新玉ねぎのスライスをかつお節と和えた物、カツオの刺身とミスジ肉、どちらもニンニクのスライスをたっぷり添えた。マスクをして、余り人と接する機会も少ないので、堂々とニンニクを食べられる。でも国産の青森産の物が一番良い。お供は、「伊佐美」酔狂亭にて独酌。

何か考え事をするようなときに、読む本がある。以前に盟友から送って頂いた海軍中将・宇垣纏の『戦藻録上・下』(半藤一利・戸高一成監修・PHP研究所)である。終戦の際の最期の日記にはこうある「未だ停戦命令に接せず。多数殉忠の将士の跡を追ひ特攻の精神に生きんとするに於て考慮の余地なし」「余又楠公精神を以て永久に尽くすところあるを期す。一六〇〇幕僚集合、別杯を待ちあり。之にて本戦藻録の頁を閉ず」そして、彗星艦爆11機と共に沖縄方面に特攻出撃し、戦死する。

監修した半藤一利は、その『戦藻録』の「監修のことば」の中で「第一級の太平洋戦争の史料である」と書いたが、やはり半藤が昭和の陸海軍人を個別に評価した『昭和史の人間学』(文春新書)の中に、なぜか宇垣纏の名はない。「卓抜な軍人たち・海軍編」、あるいは「残念な軍人たち・海軍編」の中になぜか宇垣の名がないのだ。「第一級の史料」を残したが、軍人としては特に取り上げるような人物ではなかったということか。宇垣が、終戦時に彗星艦爆11機を道ずれに特攻出撃したことには賛否がある。そんなことも半藤の本に書いてほしかった。※戦藻録を書き終え、特攻出撃直前の宇垣。手にした短刀は昭和天皇が山本五十六に賜ったもので、山本から宇垣に伝えられたものである

 


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