白雲去来

蜷川正大の日々是口実

妻のリクエスト。

2023-04-03 14:17:04 | 日記

3月30日(金)曇り。

朝、家族を玄関で見送って、何か食べようかと思ったが食欲なく、コーヒーを飲みながら先日購入した『上海灯蛾』を読むも眠くなり再び布団に入る。昼は、先日、スーパーで買った「ナンドック」2個とわかめスープ。そういえば、その昔、モスバーガーに「カレーナンドック」があって、好きで良く食した。いつの間にかメニューから消えていたので、足が遠のいた。今日のスーパーの物はとても残念な味だった。

実は、妻が来月で長い間勤めた会社を退職する。定年まで一年あるのだが、正規社員ではないので、最後まで働いたとしても、退職金や慰労金など皆無とのこと。時が来て「お払い箱」となる前に、「自分の意志でやめたい」と早期退社することにした。ご苦労さんである。考えてみれば、野村秋介先生が亡くなられてから今年で30年。その間、私は定職に就いたことがない。フリーとして筆一本で生きてきた。と言えば聞こえが良いが、早い話が、支持者、友人のご支援で生きてきた天下の素浪人。二人の子供の学費のために妻は働いて来たと言っても過言ではない。お陰様で二人の子供は、無事に大学を卒業し、現在は、二人とも当世流行りのIT会社に就職した。家を支えてきたのは、私ではなく妻なので、それを知っている子供は、当然ながら妻に優しい。

本当は、今月末で退職する予定が会社の「お願い」で一月延びた。そう決まる前に、妻の「ご苦労さん会」で食事に行く約束をしていた。「どこに行きたいの?、誰か招待したい人はいる」と聞いたところ、「野村先生の奥様と食事がしたい」と言うことで、今日の食事会となった。関内駅で、奥様と妻と合流。妻のリクエストは、馬車道の「天七」。本当は、私がいるよりも女性二人の方が良かったかもしれないが、「天七」は私の馴染みのお店なので私がエスコートさせて頂いた。食後は、三人でサリーズバーへ。知り合いのお店の店長が、「お祝いに」と「山崎」と「黒霧島」をプレゼントしてくれた。明日が早いという奥様と関内駅で別れて帰宅。妻は、料理よりも、先生の奥様と初めてゆっくりと話すことが出来たことに感激していた。


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俺に是非を説くな激しき雪が好き。

2023-04-03 13:03:31 | 日記

3月29日(月)曇り後晴れ後雨。

朝食は、うどんと「メヌケの粕漬け」。昼は抜いた。夜は、豚肉と「223」のキムチのオイスターソース炒め、ごぼうの天ぷら、レンコンのから揚げ。お供は「黒霧島」。

午後から事務所へ。片付かず、まるでゴミ屋敷状態である。まあ冬場は寒いので、余り事務所を使用しない。取材などがあっても、要望がない限りは、喫茶店などを使うことにしている。岐阜の「昭和維新の歌史料館」に寄贈する、野村秋介先生の代表句、「俺に是非を説くな激しき雪が好き」のオリジナルの書を額装したものを宅急便にて送る。

先生が自決なされる年に発売された、新潮社の『短歌・俳句・川柳101年』という特集の本に、漱石や子規に列して先生の獄中句集『銀河蒼茫』が選出された。その本が先生のご自宅に届いたとき、朝早い先生からの電話は稀だったので一瞬驚いたが「蜷川、すぐ本屋に行って『新潮・10月臨時増刊』を買って来て読めよ」と、めずらしく興奮した口調で言われたので、車を飛ばして伊勢佐木町の有隣堂へ行ったことを覚えている。以下は選者の評である。

〈俳句〉『銀河蒼茫』悲憤慷慨のポエジー 悲憤慷慨という、やや古めかしく、いかめしい熟語がある。このことばにふさわしいのは、個人の私的な怒りよりは、世間一般に対する怒り、いわゆる公憤であろう。俳句はよく、枯れた、おとなしい心境につりあう詩の領域と思われてきたが、野村秋介の獄中俳句の出現によって、そのような思い込みのあやまりが明確になった。二十世紀も末の私たちには、右翼と左翼の区別、右と左を決定するゼロ地点の存在が、大いに疑がわしい。野村秋介の獄中俳句が鮮烈なのは、その右翼思想の説得力ゆえではなく、彼の自らの思想への思い入れの強さゆえである。季節別章立ての獄中句集『銀河蒼茫』第一の名吟は、「俺に是非を説くな激しき雪が好き」。この「世の虚妄」ならば、どのような表層的知識人も指摘可能だ。しかしながら、「虚妄」を身をもって乗り越えようとすることは、誰にでもできることではない。「是非」を超越した強さや純粋さが、野村秋介には「激しき雪」に顕現して見えるようだ。


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