3月30日(金)曇り。
朝、家族を玄関で見送って、何か食べようかと思ったが食欲なく、コーヒーを飲みながら先日購入した『上海灯蛾』を読むも眠くなり再び布団に入る。昼は、先日、スーパーで買った「ナンドック」2個とわかめスープ。そういえば、その昔、モスバーガーに「カレーナンドック」があって、好きで良く食した。いつの間にかメニューから消えていたので、足が遠のいた。今日のスーパーの物はとても残念な味だった。
実は、妻が来月で長い間勤めた会社を退職する。定年まで一年あるのだが、正規社員ではないので、最後まで働いたとしても、退職金や慰労金など皆無とのこと。時が来て「お払い箱」となる前に、「自分の意志でやめたい」と早期退社することにした。ご苦労さんである。考えてみれば、野村秋介先生が亡くなられてから今年で30年。その間、私は定職に就いたことがない。フリーとして筆一本で生きてきた。と言えば聞こえが良いが、早い話が、支持者、友人のご支援で生きてきた天下の素浪人。二人の子供の学費のために妻は働いて来たと言っても過言ではない。お陰様で二人の子供は、無事に大学を卒業し、現在は、二人とも当世流行りのIT会社に就職した。家を支えてきたのは、私ではなく妻なので、それを知っている子供は、当然ながら妻に優しい。
本当は、今月末で退職する予定が会社の「お願い」で一月延びた。そう決まる前に、妻の「ご苦労さん会」で食事に行く約束をしていた。「どこに行きたいの?、誰か招待したい人はいる」と聞いたところ、「野村先生の奥様と食事がしたい」と言うことで、今日の食事会となった。関内駅で、奥様と妻と合流。妻のリクエストは、馬車道の「天七」。本当は、私がいるよりも女性二人の方が良かったかもしれないが、「天七」は私の馴染みのお店なので私がエスコートさせて頂いた。食後は、三人でサリーズバーへ。知り合いのお店の店長が、「お祝いに」と「山崎」と「黒霧島」をプレゼントしてくれた。明日が早いという奥様と関内駅で別れて帰宅。妻は、料理よりも、先生の奥様と初めてゆっくりと話すことが出来たことに感激していた。