白雲去来

蜷川正大の日々是口実

戦時中の陸軍の名将5人。

2025-02-18 17:43:56 | 日記

2月17日(月)晴れ。

昼食は、白菜ときくらげをたっぷり使った「中華丼」、大根のおしんこ、能登屋のさつま揚げ。夜は、新ワカメとレタスのしゃぶしゃぶ、六ッ川の「中華総菜」の小籠包、みすじ肉。お供は「黒霧島」のお湯割り。大人しく酔狂亭にて月下独酌。

石破総理が好きで影響を受けたというのが、歴史作家の半藤一利氏。保守陣営からは「リベラル」と批判されているが、まあ、学ぶことも多いのは事実である。頭の中にいくつもの引き出しを用意して「良いとこ取り」をすればよいと思う。半藤氏の『昭和史の人間学』という本にとても興味深いエピソードがあるので紹介してみたい。対米開戦時に東条英機の副官を努めた西浦進(陸軍士官学校34期、陸軍大学42期の首席。陸軍士官学校同期の服部卓四郎および堀場一雄と並び「34期三羽烏」と称された)は戦後になって陸士同期の堀場一雄(最終階級・陸軍大佐)と服部卓四郎(最終階級・陸軍大佐)の3人で、戦時中の陸軍の「名将」を5人選んだことがあった。その時、全員一致で1位が石原莞爾の名を上げたという。以下、2位が板垣征四郎、3位・阿南惟幾、4位・今村均、5位・安達二十三の順だったという。

不勉強ながら、安達二十三(はたぞう)の名を知らなかった。ウイキで調べると、部下思いの名将であり、終戦後、捕虜となった部下の判決が全て下るのを待ち、拘留中の部下8名の釈放が決定すると、弁護団に礼を言い、ラバウルの収容所にて自決した。作家の山田風太郎は著書『人間臨終図巻』(徳間書店)において安達の遺書を引用し、次のような言葉を記した。『終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決をしたのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将官はきわめて稀であった。』

石原莞爾に関する著作は数多出版されており、有名な『世界最終戦争論』は手に入れることは容易である。阿南惟幾と言えば角田房子の『一死大罪を謝す』(ちくま文庫)がすぐに浮かぶ。今村均に関しては、やはり角田房子の『責任ーラバウルの将軍今村均』(ちくま文庫)や今村自身の『幽囚回顧録』(中公文庫)がある。板垣征四郎は「板垣征四郎刊行会編」による『秘録・板垣征士郎』(芙蓉書房)が白眉であろうか。気になった軍人がいれば、是非読んでみて下さい。また、芙蓉書房から出版されている『世紀の自決ー日本帝國の終焉に散った人びと』という名著が出ている。※写真は、石原莞爾。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年に一度のお墓参り。 | トップ | 僭越ながら、石破総理に一言。 »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事