
3月18日(土)雨。
家族皆のんびりと起きた。朝食を作るのが面倒と言うので、「ほっともっと」で弁当と豚汁。夜は、焼きそば、白滝の和え物、アスパラ炒め、ボイルウインナー。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
夜は、昨年の暮れ以来3ケ月ぶりに神奈川県維新協議会(神維協)の定例会に出席。神維新は全国初の県単位の連合体として昭和50年に結成された。二年後の3月3日、野村先生らが「財界の営利至上主義を撃つ」として財界の総本山、経団連会館を襲撃占拠した、いわゆる「経団連事件」が起き、獄中の野村先生から神維新に対して「連帯の挨拶」を頂いたことがある。
私は、昭和60年から62年まで議長を務めた。平成13年の第13期の折に、私が「神奈川県維新協議会24年の歩み」を書かせて頂いた。しかし、以後私が実践運動から離れたこともあって、その後の神維新の「歩み」というものをほとんど知らずにいる。一時は、「戦後神奈川県民族派運動史」をまとめようかと思ったこともあったが、ズボラな性格ゆえか資料集めだけに終わってしまった。今では、それを書く気力もない。第24期の議長が執行部によって選出された。会議終了後に、皆さんにご挨拶をして会場を後にした。※私が議長の時に行った講演会のポスター。私は34歳だった。