
4月12日(水)晴れ。
朝食は抜いた。昼食は、レトルトカレー、福神漬け、シジミの味噌汁。夜は、タケノコのから揚げ、ピーマンとジャコ炒め、鶏肉の塩焼き。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。
黄砂がひどいらしい。そういえばクルマのボンネットにうっすらと砂のようなものがついている。映像で見ると、ゴビ砂漠に近いモンゴルなどは、文字通りの砂嵐だ。工藤静香の「黄砂に吹かれて」など鼻歌を歌っている場合ではない。その昔のテレビドラマに檀一雄原作の馬賊の伊達順之助をモデルにした『夕日と拳銃』と言うものがあった。その主題歌の4番は「黄緑江と黄河の流れゴビの砂漠に吹く嵐」で始まり、私が中国と中国の歴史に興味を持つきっかけとなった。そして憧れの上海へと渡ったのは、青雲の志を立ててから50年以上も後のことである。
上海の外灘(バンド)は、上海の中心部、黄浦区にある、観光エリアである。黄浦江に西岸を走る中山東一路沿い、全長1.1kmほどの地域を指す。この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多い。児玉誉志夫先生や、東洋のマタハリと言われた川島芳子、「阿片王」の里見甫など錚々たる歴史上の人たちが定宿としていたブロードウェイマンション(現・上海大厦)、戦前の上海を歌ったものには必ずと言って良いほど出てくるガーデン・ブリッジ(外泊渡橋)を見て、歩いた時はとても感激した。その橋を渡れば、かつて日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュウ)がある。また行けるだろうか。※ガーデンブリッジとブロードウェイマンション。