一月十五日(火)晴れ。
良い天気だが、一面の銀世界。昨日、東京は、雪で動かなくなった車が幹線道路や高速に放置され大渋滞を引き起こしたとニュースでやっていた。また、今朝も道路の凍結で滑って転ぶ人が沢山いたともニュースで知った。雪国の人がこのニュースを見たら、何やってんだかと笑笑われるのに違いない。
横浜などでは、たまに降る雪は、神様がくれたプレゼントのような気がするが、北国では、格闘し克服するものなのだ。網走の農場時代、雪の季節になると泊まり込み農場の「切り通し農場」から更に山深い「住吉農場」と言う所に移動した。雪が積もって農作業が出来ないので、木の伐採や枝払いなどの作業をさせらるのである。映画「網走番外地」の世界がそのままあった。そこで冬を過ごし、春になるとまた「切り通し」にもどる。
「切り通し」に戻ってからの最初の作業と言うのが、まず畑に行くまでの道を確保することだ。自分の背丈以上も積もった雪を、「スノーダンプ」という道具でどかしながら道をつけて行く。連日、この重労働が続く。畑までの道が確保できると、次は東京ドームの何倍もある畑に積もった雪を溶かす作業である。雪を溶かすと言っても融雪剤やトラクターを使用するわけではない。労働力はただなのだから、すべて人力で行う。「農耕本隊」約二十名程度の者が角スコップを使用して、雪に四角く切り込みを入れてひっくり返して行く。これを「天地返し」と言うそうだ。こうすると雪が早く溶けるらしい。
何のことはない。雪で農作業が出来ないが、かといって遊ばせておくわけにも行かないので、こんな非建設的な作業をやらせるのだ。一時間もすると汗でびっしょりとなる。さらに困るのが、太陽の光の反射で「雪目」となり、目が痛くなるのだ。当然、サングラスなど貸してくれる訳はない。生まれて初めて、日焼けではない「雪焼け」と、その「雪目」を経験した。
我が陋屋は、高台にある。箱根駅伝の「花の二区」の権太坂のほぼ頂点よりもう少し高い。大雨でも水の心配はないが、雪となると車を駐車場から出せなくなってしまう。スタッドレスのタイヤなど持っていないから、走ることが出来ない。従って、今日も籠城を決め込んだ。
久しぶりに二十分ほど雪かきをしたら息がきれた。これでは農作業などできる訳はない。夜は酔狂亭で残雪を肴に、ほろほろ、とろとろと飲んだ。