エクウス(Equus)という聞き慣れないラテン語の響きと、ステージ上にも客席を配した特異なステージ。
奇異な少年犯罪という内容から、どんな芝居なのか興味を持っていました。
その舞台は、まるでボクシングのリングのような印象を与えます。
中央には病室であり、馬の厩舎ともなり、アランの自宅ともなる、四角のスペースが置かれています。
日下武史さん演じる精神科医マーティン・ダイサートと、望月龍平さん演じる馬の目を潰した少年アラン・ストラングの2人が、この中で少年の心の奥底にしまい込まれた真相を解き明かすため様々なやり取りを進めていきます。
アランの告白にあわせ、特異な馬の頭を模したマスク?を身につけた役者達が、アランが崇拝とも言えるほどの愛おしさで接した馬たちを演じます。
この芝居は、法廷劇と同様に起きた出来事を当事者の言動を再現するかのように、シーンが進んでいきます。
アランの育った、厳しい家庭環境。
外界もしくは、家族以外の人間との関わり。
厳しい父親への失望、等々。
それらが複雑に絡み、心のよりどころとなった馬たちをエクウスと呼び、一体となる事で自分を解き放っていたアラン。
彼のもとに現れた1人の女性、ジル・メイソン。
彼女にとっては、個性的な年下の少年 アラン。
アランに興味を持ち、アランが愛するエクウス達のいる厩舎でアランを誘うジル。
2人でいる所を馬に見られたことを知った、アラン。
アランの中で生じた、エクウスへの後ろめたさ。
自分の心の中を見透かされているかのような、馬たちの瞳。
耐えきれなくなったアランは、馬たちの目を次々と刺し・・・。
すべてを語ったアランにダイサートは、『情熱を失わせる事はできるが、情熱を持たせる事はできない。』と語る。
事件の真相を知り、アランの心を解き放ったにも関わらず、苦悩の表情を浮かべるダイサート。
人は誰しも、強さと弱さを内に秘めているもの。
大半の人たちは、その弱さを社会的な通年の中で露にする事は、異常な事として受け止められ、露呈しないように自制をするもの。
これを抑制できずに露呈をすると、マイノリティなものに対して『異常』と見なされる。
アランがとった行動は、6頭もの馬たちの目を潰すという、異常な行動。
ただ『異常』という概念は必ずしも絶対的なものとはならない。
アランの心を開いていくうちに、大きな疑問を抱く。
目を潤ませながら、ダイサートが自身に問いかけながらのエンディング。
この芝居の初演は、1975年およそ30年も前のこと。
現代社会の報道では、アランの行動以上の様々な理解し難いできごとが次々と報じられています。
その都度、犯人の心の闇という言葉が使われ、いかに解明するかということが取り上げられています。
しかし、結局は闇を後から知る事はできても、今闇の中にいる者を照らし出し闇から解放する事は、容易にできるものではない。
止めどない考えが浮かんでくる、そんな芝居でした。