連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

あえなく敗退聖火ランナー

2019-12-19 11:05:31 | 日記・エッセイ・コラム

12月14日の聖火コースの発表で、聖火ランナーになれなかったと実感。

応募にあたり、推薦、身元引受人など協力を仰いだいただいた方に、選出連絡無しとお礼を申し上げた。

大学在学中に、全身の関節を含む診断未確定の病に襲われ、かろうじて歩行はできていたが、

早く歩く、走り駆けるのは論外で、

1990年代末になると、いずれ車いすと覚悟をいめなければいけない状態となった。

転帰は、2002年、心配した友人が、太極拳を誘ってくれたこと。夕食付きの送り迎えで、稽古に参加させていただき、

自分の体の変形を指摘され、姿勢と向き合う機会を得たことから、ストレッチに励んできました。

姿勢の改善で、中心軸がほぼ正中になってきた2018年には、駆ける実感が得られ、

学生時代のしばしの間意識を失う恐怖体験のPTSDから仕事以外で人と付き合うことは、過度の緊張を伴ってきたのも、友人の誘いに渋々応じているうちに、軽減してきたので、

走る”ランナー”に応募してみました。選出されませんでしたが、能力限界枠を超えてみようというきっかけになりました。

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写経

2019-10-10 09:32:33 | 日記・エッセイ・コラム

仏教徒たらんと決意してからは、盂蘭盆会には、般若心経の写経、寺院拝観時に写経場があれば、時間の許す限りは写経に努めます。

幼少期から、宗教には関心がありました。身近には、仏教、神道、キリスト教の聖職者、熱心なキリスト教徒がいることもあり、違いに関心があり、知識も増えていきました。

 学会参加で、イスラエルの地にしばし滞在して、環境風土の厳しさに、生理的なじまなさが湧き上がりました。

雨水ゆたかな日本で育ってきた自分は、八百万の神々がすみたもうなかで、仏教の御仏に心を寄せていくのが、無理がないことに思い至り、帰属する宗教は、仏教と違和感なく意思表示します。

経典への関心は、仏教に限らず興味津々。深く知るには、時間が足りない。

読み砕いた文章には、読み砕いた人が反映されているという思いがあります。原典は、絵のようにも思える認識しか持ちえない文字で、表記されています。

旧約聖書はヘブライ語”死海文書”

仏典は、サンスクリット語:梵字などなど。

というわけで、経典は、翻訳者を、一人のみならず複数の人を経たものに接せざるをえません。

苦難を経ての伝来者には敬意がわきます。

奈良薬師寺の僧侶に同行させていただくインドへの旅前に、

唯識経を、少しでも知りたいと、唯識三十頌の写経に励み、少しでも、声明から、心に訴えるレベルに達したいです。

 

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えんがわ

2019-10-06 21:42:47 | 日記・エッセイ・コラム

縁側に座り、穏やかな日和の庭をただ眺めていながらに、傍らにいてほしいのは?

二人寄り添ったシルエット、その様な光景は、今まで有ったかな?  無かったな‼️

季節の変わり目を見つけ、親に呼び掛けたこと、

近くに居るのが好きだった"とら"が、寄ってきて、膝に乗ってくれた穏やかな時。

縁側には、不思議な時間、空間を呼び出す力があった。

 

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言葉を覚える、使える、表現するとは

2019-08-08 11:19:52 | 日記・エッセイ・コラム

10連休の余波で、学期末が8月になり、やっと期末試験の採点となりました。

2004年赴任当初は、〇×、選択などの形式も試みました、当たるも八卦当たらぬも八卦的、解答をまじまじと眺め、

期末試験は、授業の延長、知識の再確認の機会ととらえて、文章中の空欄に、言葉を記入して完成させる形式としました。

解答終了したら、終了前に退席を許可していましたが、ほとんど空欄でも退席するので、以後不許可としました。

問題数100問では、一通り解答すると時間があまり、以後再度解答をひねり出そうとする努力もなく、終了まで寝入っている姿に対応し、

問題数を200問に増加。試験に備えてきた学生には、見直す時間もあり、備えのない学生は、最後の問題にたどりつくころには試験時間終了:試験範囲を網羅してあるので、集中してきた勉学範囲がいずれにはあるはずと思い、試験問題を最後まで読み進む真剣さはあると信じての問題数増加に、学生は対応してくれた!

試験問題作成には、問題数が増えたなりの苦労、困難さが出現し、

採点時間は倍増。

採点しながら、誤字、脱字は、内容の理解程度を反映している?

違いに鈍感?味噌も糞も一緒的、他人に対しての鈍感さを反映している可能性は?

体の部位を示す言葉の知らなさは、健康ゆえの、人体部位を示す必要がないからなのか?

正誤だけではない、今までの成長過程での言葉への向き合い方も考えさせられる採点、答案用紙です。

新しい言葉を覚える。言葉が示すことと一体化させる。覚えた言葉を、表現手段として使う、使えるようになる。

教育を標榜した職業について15年過ぎました。

1年目は、研究、臨床医として過ごし、トップの研究を目指してきた名残があり、〇×、記述式などの問題を作成。

合格60点を目指す姿勢の欠如した学生に驚き、

教育の一環として、問題数、問題文について、わずか90分とはいえ、教育効果を狙うに貴重な機会ととらえ、

それなりの工夫をしてきました。

応えられる学生も、全く答えられなレベルの学生も垣間見られる答案用紙です。

応えられない学生は、今までの十数年の周囲のかかわり方の乏しさ故と、とらえざるをえません。

子の成長に関わる、親、保護者、学校、教育現場の人々の、

関わり方の少なさ、その都度、その都度の関わりをしない、したくない?からとしか思えません。

学生は、大人の鏡。

気持ちざわめく、採点結果となっています。


語彙力が少ない状況は、極端な表記が気にならないのではないかと思えます。

極端なのが表現だけならばよいのですが、行動も、極端:ON,OFF的ではないとよいのですが。

 

 

 

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生き延びている

2019-07-05 09:46:57 | 日記・エッセイ・コラム

7月7日、仙台は旧暦の七夕まつりが8月が盛大ですが、保育所、病院は新暦から飾り続けています。

短冊に願い事。

技芸の上達は、古希ともなれば望外に近いなと思いもすれど………。

逢瀬を望む人は、同じ世からは逝ってしまった。かといって、早くその世に行きたいわけでもなく、生き延びていることに、不思議な感慨が拡がります。

大学の学生時代半ばで発病したころ、同じテニス部に属していた二人も、発病。

三人も!お祓いでもしなければと気づかわれた、私以外の二人は、すでにこの世から去ってしまった。

結婚式に参加しては、病も癒えず一人でいる私をきづかってくれた二人は、家族を残し早世してしまった。

社会的つながりンおある知人の訃報を聞くことも増えてきた。

学生時代は、疾病関連悪の身体障碍などで、足でまといという感じの若者の持つ残酷な冷たさをヒシヒシと感じもしたが、

治療関連の副作用で、冥界寸前で連れ戻された経験もしたし、

病状の進行時には、死なないからと慰めてくれた、主治医も天国に逝ってしまわれた。

最近は、良性疾患は、悪性疾患と異なることを実感し始めている私。

自己免疫異常に伴う、全身にある関節、結合組織の変化は残っているものの、

正常残存の関節部位はわずかで、新病変発症の疼痛は軽微(くずぶり続けるのか!)。

外来診療で、生死の境を切り抜けてきた、高齢患者に接すると、その年齢に達するまでいかほどの年月を過ごさなければ達しないかと愕然とします。目下最高齢の方の年齢に達するまでは、誕生から大学までの年月があります。

今の体力、知力の減衰を想像だにできません。

105歳で死亡した伯父は、逝去の半年前までは、独居、食事を含め自分でしていました。

病を得て医療介入は受けた80台で亡くなった両親、105歳の伯父ともに記憶にぶれは無く、あやかりたいの願いを込め短冊を。

裏千家の月釜、7月7日で、席中の一人のみへのミニ七夕飾りがあたりました。

願いはかなうかもしれません。

 

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まだまた生きなければ到達しない!

2019-06-27 22:23:29 | 日記・エッセイ・コラム

96歳になる患者の受診日。

挨拶をして、

診察とはいえ、30年来の付き合いですから、世間話が多くなり、

”長生きしすぎ”という言葉を、何回か発しますが、死にたいとは言いません。

お盆、そしてお彼岸までは生きられるかしらと言って、車いすを押されながら出てゆきます。

患者の年齢に達するまで、私は、大学卒業までの時間を生きて、生き続けてと想像することしばし。

外皮的属性なく、心を寄せて時間を過ごせる人はすでにこの世を去って、

はてさて、明日につなげるものは、

亡き人の法事、

同居している猫の寿命が尽きるまで

昨日、あと6年半は、生きていないと、望む形での法人解散に至らないことを知ったので。

体力、知力の減衰を伴いながら、でも、まだ、感情鈍麻には至っていない生存。

社会の一員として、最も研鑽を積んできた医療の分野で、父から贈られた言葉、慈療済世を心に抱いて。

 

 

 

 

 

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認知症

2019-06-15 10:34:03 | 日記・エッセイ・コラム

職業柄、高齢者介護、認知症介護、認知症当事者との接点がある。

認知症という言葉、知らない人はいないと言えるほどの日常語になったのはいつ頃だろう。

Dementiaに対応する言葉として”痴呆”が使用されていたが、言葉の持つイメージに配慮する形で、議論を重ね

2004年12月に名称提案がなされ、行政用語として使用されるようになったのだそうです。、

厚生労働省のHPには、詳しくしるされています。

【認知症とは「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで、日常生活・社会生活を営めない状態」をいいます。

避けようのない加齢現象。以前は認めなかった、白毛、しわ、足がつるなどがあらわれると、

にわかに、”認知症”当事者としての自分が、そこはかとなく浮かび上がってくるが、

両親は、認知症にはならず、介護は、必要なく、薬石手を尽くしたが、疾病による死亡であったので、

ロコモティブシンドロームにならなければ、多分老衰死!をイメージしている。

学生時代に発病した膠原病関連で、歩行困難、車いす生活での生存を想定していたので、自宅はバリアフリー。

入り口はスロープ、手すり取り付け可能な耐久性を持った壁の自宅なので、住み慣れた家で、AIロボットを相棒として導入し、介護システムの支援を受けながら、自宅で死ぬまで過ごしたい。

心通わせた人はすでに他界しているので、葬式はせず、葬儀社に取り仕切ってもらい、遺骨は、両親、先祖が眠る寺院の墓地に。

仏教界の社会通念に従い、菩提寺で法要をしてもらい、死後50年を経過していない両親の法要もあることであり、近々には、永代供養のお願いについて聞いていただく。

奈良薬師寺食堂『千体阿弥陀仏』にて、宝寿院無量医光善照清居士、喜徳院悟山覚道居士、齋藤家の永代供養をしていただくことになり

先行き不安なし‼という安堵感がひろがりました。

生を得てから、唯一の変えられぬことは、死ぬことですから。

一期一会、日々に生き、死ぬ。

 

 

 

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ひきこもり

2019-06-13 09:23:30 | 日記・エッセイ・コラム

2018年12月末の、内閣府調査のの40歳から64歳のひきこもりは61万人超と推計。従来行われてきた、15歳から39歳のひきこもりは54万人推計より多いという。

引きこもりの人の生存を支えている人は、一人の引きこもりの人に一人以上はいるのだろうと推測される。

何百万人かは、関係者だということに。

引きこもりになっている人は、もともと引きこもりではなかったのでしょう。

引きこもりとなるきっかけが改善されず、むしろ繰り返されての果ての引きこもりとなったのだろうと思い、

”hikikomori"と記載される外国の報道から、日本の人間関係の心の底にひそむゆがみの蔓延、改善策の無い社会になってしまったのかと思う。

わが身を振り返り、引きこもりにならず、過ごしてこれたのはと、振り返ってみると、

最大の危機は、大学卒業まじかの、今でも残像が浮かび上がると体がこわばってしまう出来事と、それに付随するその後の中傷だったが、幸い、そこに留まらず、無関係な人間関係の場所で、時間の余裕がない仕事に就いたことで、外の世界につなぎ留められていたので、引きこもりにならずに済んだと思う。残像以外のことは、失神とともに、関連ある期間の記憶は喪くなって。ただ、恐怖を、思い起こす雰囲気に出会うと、その場にいたくは無くなるのですが。

嫌な場所から、切り離して生活ができること。取り巻く人間関係は重要。外に結び付けておく、義務的な毎日も重要。

厭世的にならずに、引きこもりになる危険がなくなるのには、

変化に気づき対応できる人が近くにいることで、繰り返し何気なく対応していくことで時間が過ぎていかなければ。

”引きこもり「”当事者になる危険がった人が、原因に立ち向かって解決しようと思い始めて、始めて危険が去ったと言えるのだと思う。

引きこもりの究極は、自殺ではないかと思うのです。

ひきこもり原因の近似に対することへの攻撃性を行動に移すまでの、用意周到な目的意識を、ある期間保ち続けられるのは、思いつめたらという人間は、いくらでもいて枚挙にいとまがない。ただ、防ぐこと可能な時間はあったのだと思う。

何をすればよいのだろう?何に気づけばよいのだろう?

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NHK フランケンシュタインの誘惑 ナパーム弾:

2019-05-11 09:07:37 | 日記・エッセイ・コラム

ルイス・フレデリック・フィーザー(Louis Frederick Fieser, 1899年4月7日 - 1977年7月 25日)によって1943年に発明されたナパーム弾の最初の戦場での使用は、日本だったのか!と5月2日の放送で認識した。焦土と化した東京。

開発費は520万ドル、開発に携わった有機化学者は6名。それに引き換え、原爆は20億ドルの開発経費、発明に携わった科学者は2万人弱。https://www4.nhk.or.jp/P3442/x/2019-05-09/31/30490/1760006/

いずれも製法は、公開されているし、ナパーム弾は安くできる。より殺傷能力を高める工夫も、高度なな知識が無くても出来そうということで、貧者の戦闘兵器といわれ、どうやら歯止めがかからず世界各地の戦場で使用されているという。

フィザーは、国家に貢献するための兵器として開発したので、「ナパームの開発者として、責任を感じることはない」と述べた。

人を大量に殺戮するために開発したのだから、人の大量死を目の前にしても、責任を感じないという精神性に慄然とする。

目的に邁進するときの倫理性の喪失に陥る危険は、すべての人に内在する。糾弾する側は、される側の立場の逆転は常にある。

 

NHK ニュース9で、ある新入社員時代の上司から受けた行為に対し、後年謝罪されたけれど、その謝罪は、その行為に対してだけで、被害者は”その後の人生すべてを奪われてなので、謝罪は全く心に響かなかった”ということを、聞いた後だったので、なおさらに、科学者の発明が、その後の全人類に影響を及ばすということと呼応してしまった。

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フランケンシュタインの誘惑から二コラテスラ:孤独死

2019-05-06 16:40:27 | 日記・エッセイ・コラム

5月2日のNHK フランケンシュタインの誘惑で、取り上げられたテスラ。「ゆがめられた天才 幻の世界システム」

4月25日放送の「脳を切る “悪魔の手術”ロボトミー」は、学生時代の精神科実習で、電気ショックと共に嫌悪感甚だしきものだった。

いずれも、科学者のエゴイスティックな自己理論追及邁進の恐ろしさを描き出している。

理想を追い求めるあまり資本家から見放され、いつしか「マッドサイエンティスト」と見なされカルト的な信者を生み出したテスラは、

伴侶を求めず、友人を失い、老いては、公園の白い雌バトを慈しみ、その死後は、という後で86歳の生涯をみとられることなくホテルで死後発見された、というストリーをつけられていた。

”孤独死”ということになろうかと思うが、家族がいても孤独死はありうるし、

高齢独居のわたくしも、なるべくならば、自宅でひっそりと息を引き取りたいと願っている。

いろいろなシステムがあるが、まもなく死にますと連絡をつけらずに息を引き取り、

数日後に発見されても、やむを得ずと思っている。

生き方が、独り住まいのくらしを満喫して生きてきているので、

必然の死に方だと思う。

看取られて、特に愛する人に見守られての臨終の場を求めるならば、それなりの生き方を準備しないと出来ないと思う。

夫婦が同じ日に死ぬのは事故でもなければ。伴侶に先立たれた人は、愛する子供、孫に見守られて、ですか。

フランケンシュタインの誘惑は、毎回厳しい問いを突き付けられる番組です。魅惑的な番組でもあります。

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平成から令和へと時代が変わる

2019-04-30 09:18:58 | 日記・エッセイ・コラム

予定された元号、天皇の退位。時代が変わる。

平成回顧番組も沢山。

世界で最も長く続いてきた家系という、世界に誇って良い、日本民族の有様を示していただいている天皇家と、私は思っています。

休日らしい休日、連休を取れるのは、血液疾患を専門分野とした昭和52年以来初めてで、終了せずに途中になっている種々をかたずけようが、連休期間中の予定で、時代の変わり目に何を思うか?最後の晩餐アンケートなどの報道でも、何事も思い浮かばずにすごしてきました。

平成最期の日は、出勤で、勤務先に向かう途中の地下鉄車中で、突然、浮かんできたのは、

時代を超えられず、

時代を超すことを叶えてあげられなかった、

若くして亡くなった患者のことでした。

所要のために無菌室内のカーテンを超える時には、〇〇様のお通りだと、

純白のウエディングドレスで、昇天していった〇〇ちゃん、

その日の苦しみを取り除くために行った治療が、今も不治の白質脳症となって、幼児のようなあどけさをまとって、幼子を残してなくなった〇〇ちゃん。

分子誘導薬の出現で、出血リスクから回避できるようになった、前骨髄急性白血病だった、

美しい奥様を残して亡くなった,〇さん

夜回診で食事前に会話中、突然口から血を吐きながら亡くなった、〇君

妊娠中だったけどの〇さん、

分子標的薬の出現で、骨髄移植しなくても、楽々ほぼ完治したであろう〇〇さん

時代の変わり目を共に過ごせない家族を思い出しながらいるのだろうなと思うのです。

 

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大徳寺龍光院展MIHO美術館

2019-03-31 11:25:29 | 日記・エッセイ・コラム

2018年末に思いもかけないお誘いを受け、直ちに参加を申し込んだ、3月19日、20日の龍光院展ツアー。

お誘いを受けるきっかけは、東日本大震災につながります。

また、仙台の1811年(文化8年)に創業された新、古美術の茶道具店”金源堂”さんの龍光院様とのつながりでもあります。

東日本大震災逝去者への霊に祈りを捧げ、震災からの復興を祈念されて寸松塾が仙台3月の第3日曜で開催されています。

四六時中、年がら年中臨床医として、休むことなく暮らしてきたのですが、2015年以後は、休みが取れるようになり、始めたお茶のお稽古の縁で、2018年に寸松塾の座禅会をお知らせいただき参加。東日本大震災チャリティの、龍光院和尚様の手になる色紙、軸が出品されていました。少し離れたカウンター台に飾られていた、【このしっぽとまれ】という、寸松塾に参加した子供たちの文からなる本の表紙を飾っている犬:龍光院に住まいされています。

これも、チャリティ品ですかと尋ねたところ、お待ちくださいと言われ、しばしの後、どうぞということで、齋藤家のいぬとなりました。お稽古をつけていただいている先生が、体調を崩されました。幸いに平癒され、戌年生まれの先生を、【このしっぽとまれ】の犬になぞらえて、これから先も、長くご指導していただきたいとの願いを込めて、金源堂に表装をお願いいたしました。龍光院和尚様の箱書きまでも添えてありました。

今回の龍光院展ツアー参加者は、長年のつながりがあるばかりの方々。その中に加えていただけたのは、東日本大震災復興祈念の縁です。

19日待ち合わせ場所の龍光院の、足元の踏み石に、塀に瓦が使われていました。美しい。

展覧会開催前の、20日に開催された、プレレセプションに、従来の1.5倍の、900有余名の方の参加があったとの主催者の挨拶にありました。400年の間、門外不出で、外部では目にする機会が絶たれていた品々に対する、渇望、期待の表れの数字と感じました。図録が、571ページ。じっくり、墨跡を読みたい図録です。www.miho.or.jp/exhibition/daitokuji-ryokoin/

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高齢者の未来のミライは?

2019-03-09 16:30:34 | 日記・エッセイ・コラム

第46回アニー賞の長編インディペンデント作品賞を受賞。

アカデミー賞は残念でしたが、日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品受賞おめでとうございます。

人生の先行きを、想像するとき、余命が影響するかな?

古希を迎えた私の場合は、両親すでに他界し、

40年の長きにわたり、、同じ目的をもって、臨床、研究を続けてきた恩師も冥界へと旅立ち、

1991年に開設した病院は、やむを得ない状況で2012年2月28日閉院し、

矢っと今年3月を医療法人としての廃止が許可となりそう。

未来を自由に思い描くと、

仏教徒の私は、お釈迦様の世界で

現世は守り本尊である千手観音様に見守られ、薬師瑠璃光如来さまにおすがりしながら医師の仕事ををこなし。

薬師寺東塔の水煙には、飛天。笛を吹く飛天も。軽やかに、自由に舞い、奏でる。

阿弥陀如来さまの世界へと旅立つ。

梵字では、千手観音さまはキリーク、阿弥陀如来さまもキリーク。

現世から来世に続き、関門無し。

毎日の無事の先に、未来が拡がりますように。

 

 

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薬師寺東塔平成の大修理

2019-02-15 08:27:02 | 日記・エッセイ・コラム

奈良薬師寺は、680年天武天皇の発願により藤原京に創建され、710年平城京遷都に伴い現在地に、現在まで続いている寺院。幾多の災害を免れて現存しているのは東塔のみで、平成21年から大修理が行われて,2020年4月22日から26日には落慶法要が営まれる。

大修理に際しての諸費用は、宗教施設ゆえに、寺院が調達という。国家予算からの支出ではないのです。薬師寺の資金調達は、仏様への勧進写経によるので、私も、舎利礼文10巻を奉納しました。

平成31年2月13日の、仏舎利を、東塔心柱頭頂お戻しする法要に参列させていただきました。

薬師寺には、明和4年(1767)に基辧(きべん)によって書かれた「法相宗伝来肉舎利縁起」が伝わる。それによると、玄奘三蔵はインドから赤い舎利を持ち帰り、今般発見された舎利容器の中に赤い舎利が見え、伝来通りでした。

今回、舎利容器が新たにつくられ、平成の文化を伝えることも含めた、5重の舎利容器に包まれた、お舎利様は、最上層の屋根につくられた回廊道をお坊様により捧げ持たれ進み、頂で待つ加藤朝胤執事長に手渡し、心柱頭頂くくりぬかれた部屋に、参加者一同による舎利礼文を唱える中、納められ、そして、心柱により覆われました。https://www.youtube.com/watch?v=hjgMChm1eO4

東塔に上る前には、薬師寺のお坊様が、経文を唱えられる中を進み、最前列には、お舎利様を捧げ持つ加藤朝胤執事長さまにより、お舎利様で、頭を叩いていただき、塔内に入り、7階を目指して上り、法要。高揚は並々ならぬもの。長い歴史の一員として参加させていただけたことにただ感謝あるのみです。

数百年後の修理で、また次に伝わること可能な平和な時代が続きますように。




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常識の乖離を発見する期末試験採点

2019-02-09 15:55:34 | 日記・エッセイ・コラム

成績評価の季節です。

大学入試作成からは解放されたので、

担当している"解剖生理学” ”診察診療学” の期末試験採点のみで、解答を確認するのは20歳前後の女子大学生のみです。

毎年、不正解の回答で、世代の動向をうかがい知り、驚愕することしばしです。

今年は、大動脈弁を、回盲弁と解答する学生が多かった。弁は共通ですが!盲腸が胸にあることに対する違和感がないのでしょうね。盲腸炎は、古希を迎える私の年代ではありふれた病でしたが、現在は希な疾患となったので、盲腸の場所が、右下腹部にあるのは常識的でなくなっていると認識した次第。今までは無い記入解答でした。

”幽門””括約筋(出題問題に括約筋は記入済み)と答えてほしかった欄には、”肛門”と記入した学生が何人かいました。括約筋くくりで、外肛門括約筋が思い浮かんだんでしょうが、胃から十二指腸に送り出される胃内部の変化の文章の中での質問で、”肛門”と書くの!!でした。

睡眠時無呼吸症候群が正解なのですが、”いびき”と書いてきた学生も多く正解としたのですが、”い”抜きで、”びき”と書く学生がかなりの数いました。地方的に、”いびき”を”びき”と表現するのかと目下辞書で調べたり、東北各地の方に聞いているところです。

漢字の、部首は簡単に省略する学生がこれまた多かった。抗体の“抗”を 手編を抜かして記入する学生がこれまた多かった。

従来、音が同じ漢字を当てはめて書く学生はそれなりにいたのですが、書けなければひらがなどまりの回答でした。

近い将来は、管理栄養士という指導者になっていく人たちですので、共通言語としての固有名詞を位置も含め正確に記憶してほしいという願いがあるので、今年の回答をみて、講義構成をどうするか思案中です。

講義は、細胞と組織→消化器系→血液・造血器・リンパ系→循環器系→呼吸器系→腎・尿路系 が、半年間の講義の試験範囲でした。事前に、過去問を配布することになりました。赴任早々は、教科書に沿っての講義なので、教科書を勉強して試験に臨んでという方針だったのですが、合格点60点にはるかに及ばない学生が多く、再試験、採点の負担の大きさに耐えられず、試験予習問題を配布するようになった経緯があります。

試験問題形式は、当たるも八卦、外れるも八卦の〇×式は出しません。

空欄に、単語記入する形式で、文章を集中して読んで解答してほしいという意図で、だらだらした文章としています。

予備問題と全く同じでないと、解答がずれていたりで落胆することもしばしです。

問題数が少ないと、一通り回答後、眠り込み粘らない学生が多いのにショックを覚え、最終問題に到達するまで試験時間ギリギリ近くさせようと思い、問題数を増加させ200問としました。負担は大きく、右手は腱鞘炎を起こしますが。

 

 

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