連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

期末試験採点中の概観

2018-02-15 08:42:43 | 日記・エッセイ・コラム
医学部学生に血液分野を分担講義のときは、まだ若く、超専門分野の白血病以外はひたすら学びながら教え、余裕がない教育者。

次第に、教える時間が長くなり、内科学分野全体の期末試験問題の取りまとめなどを行い、経験による問題作成間の違いなども感じ取れるようになり、

医療関係を目指す学生を講義するために、宮城学院女子大学に転職。
期末試験問題作成に当たっては、2,3回の実施した採点結果を検討し、

集中して読まねばならない文章問題で、集中力の持続訓練を兼ねた問題とする。
言葉を書かせる問題で、正確な文字で書く習慣を身に着けてもらう。


実施済みの過去問を、学生が分担し、解答を作成して、試験に備えているようで、
大幅に問題を変更すると、解答してくるのはわずかの学生のみ、
間違えは、摩訶不思議な回答が集団と言える数である、という現実。

それぞれの学生のレベルで、漢字を当ててくるのですが、
その間違いのレベルが、年々、強度が増しえいるといいますが、中学、高校でも繰り返し出てくるであろう、身体表現の漢字が書けない。雰囲気として似たようにしようとした努力が判る記号。音は同じでも、この漢字を当てる?意味を考えると変だと思わない……のかしらと思ってします当て字。
通信手段が発達して、記憶力の減弱、自分で書くという習慣の欠如と言い切れるぐらいの誤字、脱字の、オンパレード。

解剖生理学などは、独創的思考以前の、まず、共通言語として記憶してほしい!
言語を記憶したうえで、身体レベルに起きている変化を思考し、健康へと導くための提案を、共通言語で分かりやすく説明できるようになってほしいという思いも込めての問題。

200問出題、合格点は60点。ですが、このレベルに達しない学生が多く、
同じ問題を、自宅で解答して提出させ、多くは全問正解には達せずとも、それなりの正解レベルで提出するので合格としていますが、そうでない学生が数名いるのです。
もちろん不合格判定。ですが、再履修は、極めて過密な時間割編成となり、学生にとって負担になるはず。
教科書を調べても、問題となっている個所を見つけられない?
教科書を読んでみようという意識を持ち合わせない?
再提出時の、低正解解答用紙を前に、考え込んでしまいます。
繰り返させることと、
意欲を引き出すには……??

太極拳 掤勁(ポンケイ)とお点前

2018-01-30 16:53:38 | 日記・エッセイ・コラム

師匠の月釜担当に際しては、弟子が表の手前を担当せねばなりません。
お茶の稽古を始めたのは、2015年10月。まだ、3年も経っていません。
人前での恥は、最小限にしたい一念で、自分のお点前動作を再点検しています。

大変な、困難、難点は、居ずまい。
”これほど姿勢がゆがんだ人に出会ったことはない!”と言われた私。
全身膠原組織の炎症で、疼痛が極力少なく、かといって仕事もできる姿勢を続けているうちに、拘縮を伴った変形の結果の姿勢です。
15年間の太極拳のためにストレッチを続け、現在は、自分でも改善してきたと思えるレベルにはなってきました。
しかし、治そうと努力し、訓練した姿勢はとれるのですが、わずかな違いの動作でも、意図して反復していない動作は全くと言っていいほどできません。^
帛紗を裁く時の腕、肘の位置は、
太極拳の基本中の基本、掤勁(ポンケイ)と、同じと感じました。
座して行うには、これも太極拳の基本、虚領頂頸: 頭と頸、背骨に通じる立身中正。

左右均等に、骨盤を下せない内部拘縮を感じざるを得ません。
内部拘縮で時計回転している姿勢は、
右手で道具を扱い、左側に置く動作の多い、お点前の動作では、伸縮力の乏しい腕は、
手なり、ゆったり感とは程遠く、
背骨周囲も炎症の名残が強く、左半身は、特に頸肩から骨盤まで連なる硬い板が入っているような炎症後変化があるので、
ギシ、ガバッというという表現せざるをえにようなぎごちない動作の手前だろうなと、自分では確認できないながら思っています。
暦日としては4月1日まで、まだ2か月もあるますが、
ストレッチで修復できる期間は、たった2か月!
弛まず、歩め!と己を叱咤激励するしかありません。

2002年に太極拳を誘っていただかなかったら、正座どころか、今頃車いす生活だったかもしれません。
太極拳の先生は、高齢で教室が閉鎖され、時間的に通う太極拳教室がないのですが、
お茶のお点前に通じるので、自分で続け、
目標だった、検定2段、B級指導員を目指そう。

月釜に 備えんとして 居ずまいを 点検するに 古傷悟る
治りしが 痛みを避けた 姿勢にて 手なりの手前 程と遠かりし
月釜の 手前を前に あらためて 居まいに遠き わが身あるなり



疲労困憊時の心身

2017-12-17 11:10:43 | 日記・エッセイ・コラム
見ることを避けたい、音を聞きたくない、静かで暗い所にひっそりとしていたかった状況で思い出すのは、骨髄移植後から1週間程度の患者を思い出す。
骨髄を空っぽにするための大量の化学療法剤投与、
引き続き、全身照射のために40分という長時間の照射を6日間。
1987年から1998年までに実施した当時のconditioning

11月末から日々移転に向けた作業が続き、
その間に、生涯教育、看護学校の講義、第9コーラス参加練習、12月3日演奏会演奏会など通常ではないことも加わり、毎日が過密スケジュールで、
往復の通勤時間3時間中、なるべく目を閉じていたかった。
診療は、いつも以上に元気溌剌で対応したが。
外来初日に受診した患者に、、”おめでとうございます。”と、声をかけられ、素直に応えられない、複雑な感情。内面は、切実な患者の希望に応えようと、資金力の無ければ、経営の才能もないなか、開院に漕ぎつけ、その後も、人員確保の厳しい現実などを必死で乗り越え、挙句に閉院止む無しとなっただけなので。

”広い!” ”隙間風が入らず暖かい” ”雨漏り心配しなくなくなりよかった”と、立て続けに、富田病院に、勤務していた、仙台血液疾患疾患センターとは疎遠な職員の言葉は、突き刺さった。



人間の感情は、
歳をとることは、
一度、咀嚼し、心にとどめ、平常心を装うことがどんどん、どんどん増えてくることと、悟りしなり。



感情とは

2017-12-16 15:29:31 | 日記・エッセイ・コラム
2017年12月14日、患者移送、閉院がded line!
27年間の、それに先立つ東北大学第3内科血液グループ時代の急性白血病化学療法黎明期からの患者個票の機密書類廃棄作業。
次第次第に、疲労が蓄積し、ded lineまでに終了しなければという思いだけになった。
新病院で、3日目となり、感情とは?との思いが湧き上がった。

1989年恩師の退官後、患者の切実な気持ちに沿うために、病院設立のための候補地探しに始まり、
1990年起工式、1991年竣工、1991年5月1日クリニックレベルで開院。
1995年には増床許可病院となり、2013年2月28日、葵会に売却。
葵会仙台富田病院となってからも、居住していた病院の閉院に伴う、転居作業は大変だった。

断捨離

2017-11-30 04:10:14 | 日記・エッセイ・コラム
いったん手元にあることになったものを捨てることが苦手です。
時間が経つとなおさらのこと。
ある入院患者から、”ばった屋”という職業を教えてもらってから、
死後に向けた荷物整理は、スペースがあるかぎりやめようと。

この度、1991年に開院し、2013年やむを得ざる事情で売却し、その後も勤務し続け、旧院長室をそのまま使用許可をいただき、
患者資料と、多くの本に囲まれて、過ごしてきましたが、
ついに、2017年12月14日をもち、閉院。
患者資料は、
“Non-invasive early detection of anthracycline-induced cardiotoxicity in patients with hematological cancers by using the phased-tracking method”
”Response-based intensive induction chemotherapy of curative approach in elderly acute myelogenous leukemia patients in single institution”
として、掲載済みに関しては、廃棄処分:機密資料として。
現在投稿中の
Fifty-five essential thrombocythemia patients follow-up study in single institutionに関する保存義務期間を過ぎたカルテも含めて新病院で、手元に。

ほぼ原稿は書き上げても、データ処理関連の、宇塚先生と共同して作り上げた個表は、投稿までは自宅で手元に。
半間の本箱の一段の本を詰め込むのに、経験から、ミカン大箱3つは必要と理解していましたが4間四方の壁面3段分の個表は、治癒を目指して分析する以外は利用価値がない情報とはいえ、機密処理をする量は膨大です。廃棄するのに、感情がこみあげてきて、時間を要します。
期日は厳守、ピッチを上げなければ。

てもとにあれば、いずれ解析をしてと思いつつ、資料を横目にみながら、日々を過ごしてこれたが、廃棄してしまっては、利用しきれなかった無念さのみが残る。昭和50年前後に電顕でも細胞構造を観察研究していた宇塚先生撮影の写真。

物は、断捨離しても、記憶は、心は、離れない。

能力、体力を考えると、資料を利用し、治りたい患者の希望に添える研究を完成させることが困難になりつつある自分を悟り、断捨離。

敬老対象者

2017-09-18 11:55:50 | 日記・エッセイ・コラム
本日、9月第3週の月曜日は、国民の祝日敬老の日。趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」。
”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”
対象は、曖昧模糊とした若くない人。
100歳以上の人口が、6万人以上。
90歳以上は、200万人以上。
80歳以上は、1000万人以上。
70歳以上は、2500万人ぐらいだそうで!http://www.stat.go.jp/data/topics/topi1030.htm

老人とは?
生物学的には、個人差があるので、社会的要因で規定しようとしているので、
年金受給資格の年齢、健康保険区分の論議とリンクして考えざるを得ません。

仕事は、馴れ親しんできたので、加齢による変化で適応力が低下してきても、適応のための努力は、新しいことに取り組むよりは楽ではないでしょうか?定年退職という制度で、継続不可能な現実もあります。
仕事をしていた時間の過ごし方という現実もあります。

独居の高齢者。

四捨五入すれば、70歳となる我が身は、高齢者議論の渦中の一人ですが、自覚は、有るような無いような。
教育職は定年となりましたが、収入は激減しても、継続中。
医療職は、四六時中、患者の急変に対応して夜間だろうと呼び出しに応じていたのは免除されたのですが、
仕事以外に時間を費やすこと、潔しとせず過ごしてきたので、、
毎日、夕方からは拘束が無くなったのに、戸惑いを感じながらも、
やりたかったことを、はじめています。
データー整理、文献投稿に、いそしみながら、オリジナル原稿としてのデーターが尽きたとき、
社会から請われない、趣味的なことをするだけになったとき、
どのような時間を過ごしていかなければならないのでしょう。

2016年度、仕事についていた65歳以上は、770万と報告されていました。
仕事の内容、賃金の分析内容にも興味があります。
年金だけでは、生活できないので、仕事をせざるを得ない。
能力を買われて、仕事を継続している。

敬老の日の対象 ”多年にわたり社会に尽くしてきた老人”、
これからも社会に尽くすという、再決意をする日としたいと、思っています。
年金は、自分が収めた額以上は使わずに、
わが両親のように、病悩期間は短く、介護保険は一切使用せずの、
肉体を維持できた幸せな一生であればなと



勝手に慕っている先輩へ

2017-08-31 06:43:02 | 日記・エッセイ・コラム
仙台は、36日続きの雨模様のの合間の27日一日限りの晴天後、昨日はあれ間が覗いた曇り。
今日30日は、雨。
大学教員生活の身で、成績評価もやっと終了し、晴れがあった後で、
涼しい雨日を、家に引きこもれるのを楽しんでいます。

急性白血病の治癒を目指して、大学は異なれど、昼夜を問わず、患者の生存に心血を注ぎ、
木村禧代二先生、宇塚先生を、敬いお慕いあげていたのも、
独身、両親は他界していることも共通している先輩に、
次世代の治療は、私たちの化学療法のレベルまで到達せよとのメッセージを込めて投稿した論文
Response-Based Intensive Induction Chemotherapy of Curative Approach in Elderly Acute Myelogenous Leukemia Patients in Single Institution と、

自由時間が手に入るようになり、時間の使い方に戸惑いながら、
臨床医は、修理再生屋と認識している、職業観とも一致した、
親の古着の再利用で、つくり出した”匂い袋”、”巾着”を一緒にして、
近況をお伝えしようと思い立ちました。

一流誌からは、新薬も使っていない化学療法に関する論文なんて!とくさされたのですが、
経済の観点からすると、旧弊の薬を侮るなかれ!
新薬は、コストに見合った、旧弊たる薬剤を凌駕してこそ価値あり。
新薬の高コスト故、使用を控えなければならない人が出ないように。





デパート催事場でのお茶手前

2017-03-11 13:55:00 | 日記・エッセイ・コラム
急性白血病を専門分野として365日24時間、勤務時間外も絶えず呼び出される可能性の中で、40年以上過ごしてきたのですが、
やむを得ない事情で、病棟勤務が無くなった、無聊の時間の過ごしかたは、
多忙ゆえに発表できかねていた、今なお通用するデーターの発表
心地よかった、幼少時両親で慣れ親しんでいて、いつかはと願っていた
茶道、笛を始めようでした。
稽古を始めて1年半ほどの今年の3月に、お師匠様から

お茶は、催事場でのお茶席のお点前でした。
お師匠様は、裏千家宮城支部の副幹事という立場上やむを得ないとのこと。
昨年5月までは、宅稽古をされていなかったのを、
初心者のための茶道教室の指導を担当をなされた縁で、生徒一同が頼み込んだために始めて下さった宅稽古です。
日程が決まってから、6回の立礼手前の稽古で、3月5日藤崎デパート、大京都展でのお茶席でした。
広告にも、お茶券にも梶原社中と印刷されています。日曜ということもあり、催事に参加できたのは5名です。
何やらうれしさとと楽しさ、緊張が入り混じったなかで、打ち合わせ。
亭主の茶席への意向を示すしつらえは
軸は、喫茶去:大崎八幡神社の瓦の葺き替え時にでた檜皮を柵に、瑞鳳寺のご住職に揮毫していただいたものです。
   宗津先生は、お茶は楽しめばよいのですとおっしゃられながら美しい、無駄のない手前の所作を指導してくださいます。
花は、生命の息吹勢いを感じさせる咲くか咲かないかの、椿の加茂本阿弥とあけびを、3代目作の記念品である堤焼の花入れに。
水指は、菱形祥瑞写 花蝶窯 手塚石雲
薄器は、雲錦蒔絵 角出俊平造 
茶杓は、小寿 瑞鳳寺 前住職鎌田宗承師 88歳での作
茶碗は、仁清写四君子 久世久宝 鵬雲斎箱
    末弘小峠葛芳 丹山
    青海波 阿山
蓋置 鳥居 陶兵衛 (お軸に呼応した蓋置)
建水 脇差 吉向十三軒
  
薄茶点前用の抹茶は、福寿園の青仁の白
お水は、先生が汲んでこられた、定義山の長命水http://www1.securev.jp/~johgi/guid/tyoumeisui.html。

お席に参加された方から、おいしいお茶とのお話をいただきましたし、
後日、他の社中からも、おいしいお茶とおほめいただいたとのこと。
これは、たっぷりのお抹茶で立ててこそという、先生の持論を実践するために選んだ茶杓 小寿の櫂先、お茶をたっぷり掬える形。
たっぷりのお抹茶を引き立てる、特にベテランが立てた、絶妙な泡立てによる滑らかな舌触り(もしかしたら、梶原社中、初心者、私たち5人のお点前による主客のお茶が最悪かもしれませんが、問答ではお褒めの言葉がありました:先生の常日頃のご指導にお応えしようと必死で立てた賜物)。

そして、名水です。

1年少しで、大勢の人前で立礼手前をさせていただけ、社中の面々は、緊張したけど楽しかったという感想です。
梶原宗津、宗弘先生ご夫妻のお人柄によるご指導のおかげと、感謝しかありません
宗弘先生と社中3人、先輩と手前座で。

掃除で思うこと

2016-12-28 14:55:16 | 日記・エッセイ・コラム
いつもせっつかされているような気分は、
30年近く経過して、開発からかかわった位相差トラッキング法による”薬剤性心筋症”を、やっと書き上げ、掲載までのsubmit,revise,accept,publishhedまで、こぎつけた安ど感、
引き続いて、request submitの機運に乗ろうとがんばって、"acute leukemia"も受理されて、来週には発刊されるという安ど感から、やっと得られた。
引っ越してきてから30年、年末の大掃除は、頭をよぎることがあっても、実行する時間はなく、
散らかっていても死にはしないさ!と、当座の生活スペースがあればと放置してきたが、
この年末は、病室の急変で呼ばれることもない、当直からも解放された時間のなかにある。

年末といえば、大掃除。
2011年の震災後も、当座のスペースを確保しただけの跡片付け状態であったので、
片付きません。
人の労働でできる範囲の微々たるものを実感し、
片付いている家の、”主婦”の労働力に思いを馳せ
わずかな時間で、片付けようなんて大それたことなり!と、お手上げ状態。
片づけるのに慣れていない!
お掃除、ハウスキーピングは、一大産業。
表を立てるための、裏方は大勢必要。
猫もいるし、などなど、片付けられない、言い訳は次から次と出てきます。
断捨離は、なじまないので、スペースがゆるすかぎり、再利用の方法を探りながら、分別仕訳保存。



年末年始の時間の過ごし方:楽しいい思い出としてよみがえる!

2016-12-24 14:34:16 | 日記・エッセイ・コラム
”クリぼっち”なる言葉が飛び交っている今年。
クリスマスは、医局で所在投げに、テレビ映像を眺め、どれほどの人がクリスマスを楽しんでいるの?結構一人だったり、しごとだったりしているのではないの!と、何となく騒がしく、差し入れてくれたケーキのおこぼれにありついたりして長年過ごしてきた。

急性白血病を専門としている臨床医たったので、主治医として病室を持っていた2012年までは、
年末年始の期間は、職場では休暇を取る体制なので、むしろ多忙で、休暇の予定は立てない!立てられないで過ごしてきた。
両親が生存していた1995年までは、何とか都合をつけて1泊の帰省を義務として、足場をやっと確保する混雑の秋田新幹線で戻り、
駅で待ってくれる父のもとに小走りでかけつけた。

両親とともに過ごした幼少時の年末年始は楽しかった!
NHK朝ドラ”べっぴんさん”の12月22日の、すみれさん、紀夫君二人で市場に買い物に出かけた映像から、
12月31日に、師走の町に、父と、母が連れ添って、買い忘れた物を買うためと、それ以上に、にぎわう街を見届け、無事に一年過ごせたことを楽しむための”恒例行事”を思い出しました。
師走、大晦日は、夫婦二人に入り込む余地のない雰囲気を感じたので、留守をしていたのですが、
クリスマスは、
終戦間もない1950年台は、
枕もとの、お菓子がぎっしり詰まった、長靴だったり、橇だったりを見つけると、夜中でも起きだしてはしゃぎまわりました。
銀座教会のクリスマスのミサ、パーティに連れだってでかけ、帰りは寒いので、父の大きなコートの中にくるんでもらったのも楽しい思い出。

1960年後半になると、何となく親とがうさん臭く感じられ、ギフトが楽しみになり、
記憶の中身は、乏しい寂しい景色が増えてきました。母は、お祝いの料理は欠かすことなく、”ハレの日”にふさわしい演出をしてくれつづけたのに!

年末は、おせち料理の準備が始まり、
仕上げは餅つき。
餅つきは、一家総出が原則だったので、1970年代後半になると、
臨床医となり、血液疾患を専門とすることになってからは、28日または30日に戻れるかの確認が必要となり、参加できないことがほとんどなってしまいました。
でも、父が病に倒れ、力が弱って、無くなる前の年だけ、兄1人でついたのを最後に餅つきをしなくなってしまいました。
一家の大黒柱だった父の逝去は、行事を遂行する張あいが無くなったのでした。
”うまい”と健啖ぶりを示した父なき後は、母の気持ちを察して、私が、母の手作りのお節料理を、医局に持ち帰り、医局に所在投げに詰めてわびしい正月を過ごす同僚にごちそうするのを張りあいとしてたくさんのおせちをつくってくれました。

ことしの年末年始は、ボッチ女の誘いが続き、姦しい日が続きそう。
猫になびしい思いをさせない調整に頭を悩ましています。


白質脳症

2016-12-08 12:48:29 | 日記・エッセイ・コラム
他院から、紹介された患者につけられた病名の一つが”白質脳症”。

初発症状は転倒。原因検索の過程で、脳の悪性リンパ腫に起因する転倒と診断され、治療。
治療終了後、症状、腫瘤は消失したが、
発症から10か月後、治療終了後半年後に、歩行障害に始まり、症状は進行性で、1年後には歩行困難。
薬剤性の、脳白質の進行性の変性によるものである。

30年以上前に経験した、急性リンパ性白血病患者は、髄膜白血病へと進展し、
髄腔内へのメソトレキセート注入、放射線照射を施行した。
激烈な頭痛、吐き気は消失したが、
1年ほど経過したころに、知的レベルの低下をみとめ、2人の子持ちの彼女は、童女のような清らかな天使に戻り始めた。
治そうと必死に行った治療が、人格を喪失させ、多くの人体機能を奪う変化をもたらした衝撃は、忘れたことがない。

今回、脳の病変に対する治療は、遅々として進んでいない現実に、
30数年前の、幼子を残して、世を去っていた患者の当時と重なる。

医原性疾患
治療をせねばならない、発症する次の病変のジレンマ。


暇が出来たらなにをしたいか?

2016-11-29 17:01:07 | 日記・エッセイ・コラム
60歳も半ばを過ぎ、
年金受給年齢となり、
定年退職を迎えた同僚も増え、
ハタと、自らの時間の過ごし方をどうしたいかと問いかけてみた。
今は亡き恩師宇塚善郎先生の下で、
研究、診療生活を始め、
休日も、患者の状態を必ず確認するために、病院で時間を過ごされるのに習い、
日中、夜間を問わず、状態変化時の呼び出しに対応するのは当然の生活を40年も続けてきた身としては、
熱望してやりたいものは、思いつかなかった。
心ならずもの病院閉鎖、恩師の逝去で、
ぽっかりと仕事が減ってしまった。暇が出来た、というか出来てしまった。

やりたい、成し遂げたい最優先事項は、いままで、最先端を走ってきたという自負の在る仕事を世に発表することだった。
患者の期待を30年間感じて計測した、位相差トラッキング法という、新しい心機能計測は、
ことしの7月に発刊され、
いつもいつも、心の中を占めていたもやもやのなにがしかは解消。

次は、新薬開発から取り残されている急性骨髄性白血病の治療。
高額な新薬であれば、我々の治療成績を凌駕してもらいたいという気持ちを乗せて、
11月までには、投稿できるところまでこぎつけた。

次は、多発性骨髄腫の治療成績。
数年前までは、治療法がないと見放されていた感がある多発性骨髄腫であったが、
最近は、新しい作用機序の新薬が続々と上梓されているが、
生の成績は、われわれが長年施行してきた化学療法をっ凌駕するほどには至っていない。
コストに見合った成績を目指してほしいという期待を込めて投稿していきたいと準備を開始した。
投稿しても、”古臭い!”と言下に切り捨て去られそうだが。

受理された後を考えると、本態性血小板血症の診断に関する投稿を目指し、
”U細胞”などとなずけて盛り上がったときもあり、
文献検索の旅のテーマはあるが、
人生の終焉を目指して生理に向かっている姿勢で、
メインテーマが尽きたとき、
気晴らしの雑事をあれこれやっている気持ちは?

加齢に伴う代謝の低下で、アポトーシス、肉体の消滅を実感する肉体変化を見つめながら(見つめられる脳が存在していることを熱望)時の過ぎ去るに任せられるだけ、仕事をやりきれていればいいな!


アメリカ合衆国民の底流を2016年大統領選挙の結果から考えた

2016-11-11 09:32:12 | 日記・エッセイ・コラム
トランプ氏が2次期大統領に選出された。
マスコミ露出が、いやがうえにも増えるだろうトランプ氏を目にしたくない私。
トランプ氏を目にすると、不快な気持ちが湧き上がって来る。

投票人数では、ヒラリー氏が過半数を制したが、USAの大統領選挙の仕組みから、選挙人の過半数を制したのがトランプ氏。
戦略の勝利。
選挙中も、非難合戦という様相は、トランプ陣営の戦力にはまり、ヒラリー氏の、政治家としての方針を表明する機会を失った。
喧嘩の時、自分らしくない売り言葉に買い言葉の応酬で、不快が澱のように巣食う感覚です。
カタルシスを得たのは、ヒラリー氏の敗北宣言。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161110-00010000-bfj-int

トランプ氏を指示したアメリカ人
個人的目的で、脱税まがいの節税を肯定したトランプ氏を受け入れ、
    企業は、節税戦略をもって、国家収入減に邁進すべき!

イスラムに対する入国拒否、差別(HPから11月7日に削除)を受け入れ、
メキシコとの国境を封鎖:失業という不満を抱えた人のうっぷん晴らし取り組む戦法
    高賃金のアメリカ人を雇用による経済繁栄戦力を今後注視せねば!

金さえあれば、女はたなびくトランプ氏を肯定した、女性を含むアメリカ人

イギリスから新天地を目指して、先住民を排除してできた国、アメリカ合衆国。
移民拒否は、自らのルーツの基本を放棄。
今さえよければ、
前言を翻すのはものともせず、すなわち、その場で受けさえすれば、何をしてもよい、選挙期間中のトランプ氏。
発現は、信用できないと感じたトランプ氏。
すべてにわたって、個人的利益が最優先のトランプ氏。

トランプ氏を指示したアメリカ国民。
その深層を、いやがうえにも意識した2016年アメリカ合衆国大統領選挙。

ヒラリー氏の敗北宣言から(和訳からの抜粋だけれど)
「憲法に基づく民主主義は、私たちの参加を求めます。4年に1度の選挙のときだけではありません。常に参加を求めているのです。だから、できることをやりましょう。私たちが大切にしている理念や価値を前に進めていくために。私たちの経済を富裕層だけでなく、みんなのものにするために。私たちの国を、私たちの地球を守るために」

「皆さんに、特に若い人たちに聞いて欲しいんです。私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」

「あなたたちも、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。負けることは辛い。でも、決して、信じることをやめないでください。正しいことのために戦うことは、価値のあることです。やるべき価値のあることなんです」

「私たちは最も高い『ガラスの天井』を打ち破ることはできませんでした。でも、いつか誰かが打ち破るでしょう。そのときが、今、私たちが考えている以上に早いことを望みます」

そして、全ての少女たちに聞いて欲しい、と言葉を続けた。

「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」



パラリンピック

2016-09-10 13:58:18 | 日記・エッセイ・コラム
時間が出来たのか?2020年オリンピックを控えて放送時間が増えたからか、
パラリンピック関連の番組にが増えたという気がしている。
それと同時に、そういう競技があったの知らなかったの!という、健常者と異なる競技を知っている自分に気づいた。自分自身も、全身運動器の障害が進行する疾患に20代から罹患しているために興味があったのかなと自覚したりしている。

パラリンピックと健常者のオリンピックの違いは、
肉体を支える、器具の装着が許されていることでしょうか。
器具のみが、優れていても、
使用者=身体障害者の肉体との調和がなければならないということ。
この点については、競技以外の番組によって実感できた。

1964年 東京オリンピックが、身体的、知的障害者を座敷牢から一般社会への門戸を開かなければならない日本に変わり始めたのだというのが、1964年に競技者として参加した人の認識を変えたという、記録映像がNHKで放送されのをたまたま目にして。

相模原障害者施設の殺傷事件は、氷山の一角に過ぎないだろうと思わざるをえない、
まだまだ、障害者への偏見は強い。
パラリンピックの感動を沢山報道してほしい。

開会式で、パラリンピック旗の入場は、障害の子供の靴と親の靴が一体になった靴を履いて、入場行進。
サッカーをしたいと願った子の望みをかなえるために、考案した、親と子が一体になって動ける装具を作り出した親の愛情。

人への愛情は、創意工夫を生み出す。
制限を受けている肉体を、能力発揮できるような装具を開発できる能力を秘めた人が目につくように、パラリンピックの報道時間を増やしてほしい。
すべての障害者の能力を拡大させる可能性を秘めた大会だな!と改めて実感している。


制限因子:生きる力、死ねない要因

2016-09-10 08:47:36 | 日記・エッセイ・コラム
命の継代を託した両親は、ほぼ寿命という年齢で世を去り、臨床医、研究者として教育してくれた恩師宇塚善郎先生も88歳で亡くなり、
命、仕事を託してくれた人より、先に死んではならないという制約はなくなった。
死に急ぐこともないが、家族のない無縁の身としては生き続ける意味は?と自らに問いかけることが増えた。

急性白血病の完治を目指して、臨床医として、研究者として、患者を凝視する視点は、
生存を妨げている要因は?
元気を取り戻せない要因は?
原因を追究し、除去し、患者の望む健康を取り戻す!ことが、
東北大学第3内科に所属した1977年から、仙台血液疾患センターが閉院した2013年2月までは、
自身の行動規範のすべてでした。
患者の状態により、夜の時間、睡眠はしばしば奪い去られ、
研究成果の執筆はままならずに過ごしてきました。
病室が無くなってから、恩師の死後の、近々の目標は、
まだ世に問う価値のある研究成果を報告し続けることが、
患者の命に携わってきた臨床研究者の義務と、自らに制約を課している。

”成人急性骨髄性白血病の治療”
”多発性骨髄腫の治療”:ここ数年急速に治療機運が盛り上がっているので、私たちの重利の化学療法の成績を凌駕する成績を上げてほしいという指針として報告しようとしているので、もたもたしていると喜ばしくも不要になるかもしれない。
”本態性血小板血症の診断法”

投稿受理までには、2~3年を要する。でも、そのぐらいの年月。

一人の患者は、≪死ぬまで生きたい≫と明言で生き抜いたが、
はてさて私は、死に急ぎはしないが、生きたいと思う気持ちは?と問うと、この世につなぎとめるものは?希薄。

昨日、帰路を同乗した友人が、北朝鮮の核実験関連の次世代への懸念、心配の
大きさに驚く。
遺伝子操作の時代に突入し、
突然変異の結果命を得た生物も、突き詰めれば、生き延びたい必死の中での遺伝子変異を手に入れた結果で、
今の世代の、食=命を支えるための遺伝子操作を悪とばかり言えるか?
など堂々巡りの思考に突入。