二人相次いで、入院。
1人は、医療難民というか棄民というべきはての漂流後に仙台血液疾患センターに紹介により漂着:当院は、町中から外れた、45床の病院で、古来からの日本人の意識にある感情で認識されているということを感じる瞬間です。
ひっそりと村はずれで息づいて、独自性を失わず、個性を発揮して、着実な進歩。
セントラル、スピード、マスプロダクション とは対極にあります。
もう1人の高齢者は、来院時は意思の疎通が取れず、紹介状にも認知症とありました。
履歴は、家族の方から。
家族の方は、傍らで過ごすのは、当然と思っている”大家族”志向の長老として大事にされている80歳を超えた女性。
今朝、座位で、普通に食事をされていました。傍らには、”嫁”である50年以上は共に生活された方と談笑していました。
ある年齢を超えた高齢者は、筋肉労働のスピードが追い付かないので、あきらめの果てに、行動することを無視するようになり、その態度を、”認知症”と安易に診断しているのではないかと、考えさせられました。このような、認知症患者は多いのではないでしょうか。