高齢化社会に直面して、攻める医療から、みまもる医療への転換が必要と、かまびすしい。
血液専門医としては、攻めの医療を続け、
診断、治療の全経過に関わってきた。
今年3月、仙台血液疾患センターは閉院し、
新たに開院された富田病院では、3月から5月まで、84名が入院し、
40名が死亡退院されたという。
入院時は主治医が関与しているが、
その後は、主治医不在時は、たまたま勤務している医師が死亡を確認し、死亡届を書く。
私も、顔見知りになることもなく、看取ると言うにはほど遠い死亡確認をした。
これで良いのだろうか?と、考え続けている。
病院を出るときの見送りも、すべきか?
主治医で無いと言うだけでなく、関与の有り様に、納得できないから。
東北大学第3内科血液グループ時代を経て、仙台血液疾患センターでも、
薬石効なく、次第に状態が悪化するときは、全経過の治療を思い起こし、
現状の医療で、最善を尽くし、現在の医療レベルでは、
やむを得ない最期であったかと、自問自答しながら、
かなりの時期を患者と共に過ごした日々に思い巡らせながら、
再び病院も門のくぐることの無くなった最後の退院のときは、
何の疑問もなく必ず見送りをした。
20年間、診療を続けてきた患者に対して、経営権は変更したが、
同じ病院の外来で診療を継続しながら、
入院加療が必要になったときにはどすることが最善かと考えている。
仙台富田病院に搬送される前の主治医とのコミュニケーションはいかがであったのか?
在院期間が長くなって、困り果てた後なので、
転院先が、最期まで看取ってくれるのでほっとして、忘れ去られるだけなのだろうか?
患者を失った悲しみを、医療の進歩へとつなげてきた私にとっては
困惑の極みだ!