2018年12月末の、内閣府調査のの40歳から64歳のひきこもりは61万人超と推計。従来行われてきた、15歳から39歳のひきこもりは54万人推計より多いという。
引きこもりの人の生存を支えている人は、一人の引きこもりの人に一人以上はいるのだろうと推測される。
何百万人かは、関係者だということに。
引きこもりになっている人は、もともと引きこもりではなかったのでしょう。
引きこもりとなるきっかけが改善されず、むしろ繰り返されての果ての引きこもりとなったのだろうと思い、
”hikikomori"と記載される外国の報道から、日本の人間関係の心の底にひそむゆがみの蔓延、改善策の無い社会になってしまったのかと思う。
わが身を振り返り、引きこもりにならず、過ごしてこれたのはと、振り返ってみると、
最大の危機は、大学卒業まじかの、今でも残像が浮かび上がると体がこわばってしまう出来事と、それに付随するその後の中傷だったが、幸い、そこに留まらず、無関係な人間関係の場所で、時間の余裕がない仕事に就いたことで、外の世界につなぎ留められていたので、引きこもりにならずに済んだと思う。残像以外のことは、失神とともに、関連ある期間の記憶は喪くなって。ただ、恐怖を、思い起こす雰囲気に出会うと、その場にいたくは無くなるのですが。
嫌な場所から、切り離して生活ができること。取り巻く人間関係は重要。外に結び付けておく、義務的な毎日も重要。
厭世的にならずに、引きこもりになる危険がなくなるのには、
変化に気づき対応できる人が近くにいることで、繰り返し何気なく対応していくことで時間が過ぎていかなければ。
”引きこもり「”当事者になる危険がった人が、原因に立ち向かって解決しようと思い始めて、始めて危険が去ったと言えるのだと思う。
引きこもりの究極は、自殺ではないかと思うのです。
ひきこもり原因の近似に対することへの攻撃性を行動に移すまでの、用意周到な目的意識を、ある期間保ち続けられるのは、思いつめたらという人間は、いくらでもいて枚挙にいとまがない。ただ、防ぐこと可能な時間はあったのだと思う。
何をすればよいのだろう?何に気づけばよいのだろう?