東日本大震災発生後6週間が過ぎ、
3月11日以前の日常を営むことができる場所で生活しているが、
診療のかたわらに、”どうしている?”と尋ねると、
時間の経過に伴う、じわっとした疲れ,不安がひそんでいる。
家を失っても、まだ働くところが残っていたらね!という慨嘆は切実。
やらなくてはと理屈で、わかっていても、
家を失い、職場を失うと、行き先がない。動きたくなくなる。
大震災の恐怖の経験は、記憶に残り、
忘れようと思っても、体の隅々までこびりついて離れないだろ。
喪失を味わってしまった後は、
解決とは無縁の時空に突入させられてしまったのだから。
とりあえず、時間を楽しく過ごす術を、その時々につくりだす。
頭の中のお友達に、話しかけて聴いてもらう。
歌う。
走る、飛ぶ、踊る。
さめざめと涙をながす。 私が実行してきたことの一端。
切り抜けてきたからといって、その時の悲しみは、今でも体中からあふれてくる。
悲惨な経験は忘れようと思っても、出ていかない。
“死んだほうがよかった”という声の数が次第に増えてくる状況にある被災地。
悲しむことができるまで、生き抜いてほしい。自死は思いとどまってほしい。
五感を研ぎ澄まし、そのような人を感じた時は、ふわっと優しい空気で包んでやってほしい。
大丈夫、頑張りますと言っている言葉が、そのままの気持ちであっても、
他の気持ちも同時に抱いてしまう時期に入ってしまった被災地。
復興を期待するが、
復興の兆しのか弱さ、遠い遠い先の復興に打ちのめされそうな被災地。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます