臨床医の一人として、この度の未成年者からとりだされた臓器が、
新たな人の中で、生き生き働き続けられることを祈っている。
人の体から臓器を取り出し、他人に譲り渡すことに対しては
法的秩序の下で許されることになったが、
だからと言ってすっきりしない私だが、
死ぬかもしれない人が今は死ななくても済むかもしれない運命を喜んでいる。
ドナーカードのない未成年者からの臓器移植のニュースに接してから、
ギャップを強く意識している。
今までも、ギャップによる差別、区画などを意識してきたが、
連帯を感じながらのギャップという不可思議な感覚。
東日本大震災の被災地に居住している私は、
被災地といえども
海からの距離の差による被害の差
福島第一原発からの距離の差
家族を失わず、家を失わず、職場も失わなかった私は、
臨床医として休みなく働いた。働く場があり、休むわけにはいかなかった。
今は疲弊しまくっているが、役目を果たせて良かったという安ど感がある。
震災を経て、研究者としての復活は、
深い思考が必要な厚い壁が出来た様な気がする。
教育者としては、頼もしい子どもたちだったんだと思えるといいなと
5月の新学期を待ち望んでいる。
今度の震災を
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