井戸茶碗が見立ての妙の第一と私には思われます。
朝鮮半島の高麗時代に民衆が日常の安価な食器として使用されていたとされる品です。
民衆の感性もすぐれていて、職人たちの美意識も理屈なしににじみ出たから。
人間の根源的な美に対する感性はDNAに組み込まれているのかなと!?
医学分野でも見立てがまず第一歩で、診察、診断と表現されます。
最近の医学現現場は、疾患別と細分化されて、”見立て上手”が軽視される傾向がいやがうえにも助長されています。今の教授陣に、求めても無理な時代に突入してしまったと思います。
それにしても、仙台血液疾患センターの院長宇塚善郎先生の診療上の見立て上手には敬服することは多いです。その筆頭が、妊娠末期に初めて血液の異常も気づかれて東北大学第3内科を受診した再生不良性貧血(AA)患者の幼い甥の診断です。AAは10年以上前に完全寛解になり年一度、元気でいるというりんごの便りばかりになっている人なのですが、宇塚先生なら何とかしてくれると、ピーピーないてばかりでわずかな言葉を話す3歳の男児でし。、小児科では神経疾患で成人に達するのも危ういし、たとえ成人しても小人で障害を抱えるといわれ家族が悲嘆にくれていたのでした。宇塚先生は、小児科は専門外と言いつつ昔のなじみで、診療手続き前に診察(病院は、診察手続きをすれば有料となるので、専門外で無力ならば料金が発生することに気後れを感じるらしいのです)し、膠原病と診断され、膠原病専門医に紹介されました。ややしばらく後に、先生すごいね!稀な小児の皮膚筋肉硬化症だったよ。ということで、ステロイド治療を施行されました。その男児は、今では小学校も高学年で頭脳、身体発育にもまったく支障なしとの便りを受けています。
昨日のNHKクローズアップ現代で
高速バス運転手に何が起こっているか
で、頭痛がするというので脳神経内科を受診し、異常なしといわれた話が出ていました。
今は、専門的な検査に走って、基礎データを確認しない医師が増えています。
木を見て森を見ず の例えは病人には恐ろしいことです。
血液学は、全身の異常を反映するので、訓練として全体を考え、異常がなくても経過観察とする習慣を恩師より叩き込まれているのですが、今風の疾患別に分離された大学病院に長く勤務した悪弊も身についているかもしれないという意識を持って、診察、診断に当たらなければと再度注意を喚起した報道でした。専門馬鹿医による誤診例の報道多すぎますね。
良い見たて 簡単そうで実力がないとできません。
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