名にし負はば逢坂山のさねかづら
人に知られでくるよしもがな
藤原定方(三条右大臣)
この前の記事、「昨今の岬はというと、、、」の冒頭で、百人一首の天智天皇の「秋の田のかりほのいほの苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」を載せておりましたけど、こちらも同じ百人一首の句ですよね。
(恋人に)会える坂って名前の付いた山の実葛(さねに小寝、、、寝ようよって言葉をダブらせてるのね)だって、人に知られないように会いに行く術がないのね~~って嘆いているってのが普通の解釈なんですよね。
あの当時も、パパラッチがいて、週刊○○なんてのに写真を売っていたのかななんて、、、
でも、ちょっと心変わりして、別な子はなんて思い始めていて、会いに行かない言い訳の句なんてこと~~ないかな~
うん? 「行くすべ」って、詩では「来るよしもがな」になってるじゃん~~ですか?
この詩、冒頭に「女につかはしける」とでてるんですよね。彼女に詩を送ったことになってる。だから、彼女の方からみて「くる」 定方からは「行く」になるんですよ。行くよしもがなにすれば面倒はないのに、なぜかってのは、「葛」と「繰る」は縁語だからどうしても「くる」を使いたかったんでしょうね。
それにしても羨まし。
「デートしてあげてもいいわよ」なんて思う人がどこをさがしてもいないおいちゃんとしては、羨ましすぎるじゃない。。。